第百五十四話 精霊水の泉(2018.1.1修正)
俺が見る前方は不自然なほどにキラキラと光っていたが、ロイズさんが言う泉は見えなかった。
それは何故かと言うと厚い霧が掛かっていたのだ。
深く掛かる霧の先に泉があるのだろうか。
「どうやら今日はご機嫌麗しい様だね」
「ご機嫌?」
ロイズさんの言い回しはまるで泉を生き物、命がある者として扱っているように感じた。
「まるで生きているような表現ですね」
「生きているよ。この泉はこの山の命そのものだから」
「命そのもの?」
ロイズさんの言葉に俺は首をかしげた。
確かに精霊を生み出すホットスポットに湧き出す泉は精霊の母と言うべき物かもしれないが、俺には命そのものと言われてもわからなかった。
「精霊水の泉はね、山の生命を握っている立役者なんだ」
「どういうことでしょうか?」
「この山にかかる霧は、山の下にある大きな湖から来る湿気が山の斜面と上昇気流によって上空へと舞い上がることで出来るんだ。湿気は上空の冷気で冷やされて雲となり、山の岩や木々にぶつかり一雫の水滴となる。その水滴はやがて泉の周りの精霊の力を取り込みながら霧から靄へと成長し、山の全体に豊かな精霊の力を送り続けているんだ」
「え~~っと?」
「つまりはこの山に生える木や植物は、泉の力を貰った霧や靄のおかげで永らえていると言うわけ」
「……ああ、なるほど。植物があるという事は動物も生きていけるし、食物連鎖の生態系が育まれているからこの山を豊かにしているという事ですか」
「まぁ簡単に言えばそうだね」
確かに植物がないと動物は生きていけないし、動物がいなければ植物も困る。
森は葉や枝を食わせる事で風通しを良くし地中に光を与え、老いた木を退かせて新たな芽を出す下地を作る。更に木の実を動物に食わせその種を自分たちがいけない遠くの場所へ運んでもらうのだ。
そう言う風にして森は広がっていく。
その大事なプロセスの第一段階をこの泉が成しているから山の命そのものと言うのだろう。
それにここは本来植物が生える事のない高地なのだ。
その高地に植物が茂るのは泉の恵みを受けた豊かな栄養があってのこと。
そう考えると山の命そのものと言っても全くおかしくは無い。
「彼女は恥ずかしがり屋で少し人見知り、そして気分屋でもある。例え試練を潜り抜けて来た者でも、彼女が気に入らないとその姿は勿論あの光だって見せてはくれないんだ。あの光は彼女に辿り着く目印なんだ。明らかに今までの光とは違うでしょ?」
ロイズさんが話をしている最中にも霧はとめどなく湧き続け俺達を包み込んだ。
霧を体中に浴びながら俺は深く深呼吸をする。
一呼吸するごとに溢れる充実感。
吸った空気は体の細胞一つ一つを新しく生まれ変わらせていくような気分。
体いっぱいの幸福感は息を吐いても消えることは無く、清清しい爽快感と共により一層増していく。
「………すごい」
「気持ち良いよね。この感覚は何度体験しても素晴らしい」
「はい。コレだけでも山を登ってきた苦労が報われた気分です…………あれ?霧が晴れてきた?」
素晴らしい充実感に酔いしれている中、俺達の周りの霧がどんどんと薄くなっていくのがわかった。
霧が晴れるスピードが速い。見る見るうちに周りの景色がクリアになっていく。
まるで前世で旅行に行った北海道の摩周湖の霧が晴れるかの如き飛ぶ鳥濁さない見事な霧の晴れ方だ。
「………ああ……なんて……」
「さぁ、お出ましだ。セボリー良く見なよ。コレがこの世の中でも最上位に近い極上の美を誇る存在だよ」
それは美しすぎた。
泉は太陽光を浴び、周囲の木々や空気中に漂う細かい物質に当たり乱反射した光を吸収し、全ての光をまた外へと放出させているかのように光り輝いていた。
「………これが精霊水の泉……」
眩い輝きを放ち、まるでそこにある事が当たり前のように自然と調和し、乙女のような麗しい存在。
時折風で水面に起こる波紋は音をなし、まるで鈴を転がすような素晴らしい音色を放っている。
「綺麗だ」
一言。正にその一言だけで表現できるほどの素晴らしさ。
この世の中で最も美しい存在を目のあたりにして、心の中がより一層満たされていく感覚を覚えた。
「……近くに寄っても大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ」
ロイズさんに確認を取り、泉に近づくためにゆっくりと右足を踏み出した。
近づくと水は外側から内側に行くにつれ色が変わり無色透明から水色に、エメラルドグリーンから透き通るロイヤルサファイアブルーへと色をなしている。
「凄い…」
俺が夢で見た泉の大きさは全長10メートル程のでかさだったが、この泉の大きさはちょっとした湖ほどあり、全長は100ートルを越えるかもしれない。少し歪な円を描いているのでその大きさは正確には測れないが、夢で見たものよりも大分大きく感じた。
「……あれ?あそこに小さな小屋みたいなものがある」
ふと湖畔の奥を見てみるとそこには小ぢんまりとした小屋が建っていた。
久しぶりに見る人工物に少しだけの感動と疑問が浮かぶ。
「ああ、あれはフレーデルバルドとアルティア、そしてグレインが住んでいたと言われている建物だよ」
「え!!?という事は1万年以上前から建ち続けているんですか!!?」
「そう言い伝えられているよ。聖下に聞けばわかるんじゃないかな?僕は聞いたこと無いけど」
1万年以上とかありえないだろ。どう見ても建ててから20年も経ってない建物のようにしか見えないんですけど。
「いやいやいや!木材で作られているのになんで朽ち果ててないんですか!?しかも水辺に建っているから湿気だって凄いでしょうに!!」
「この周辺の木を使ってるからじゃないの?聖地に生える木って物凄く丈夫なんだよねぇ。ほら、さっき言ったこの泉の霧のおかげだろうね」
「丈夫とかそんな生易しいものじゃないですって!!石造りの物よりも形残してるってどういうことよ!!?」
「だからこの世界の事で一々突っ込んでたら切りが無いって前にも言ったでしょ。『はいはいファンタジーファンタジー』の一言で済ませられる大きな心を持とうよ」
「持てるかい!!!」
「も~コレだから現代っ子は」
「関係ないから!!」
確かにファンタジーだがこんなのありえないだろうが!こんな木材が前世にあったのなら建築関係の産業が崩壊するわ!!
釈然としない気持ちを振り切りながら泉の畔へと向かった。
しかし本当に素晴らしい光景だな。こんな所で女性を口説いたら絶対に100%の確率で落とせるだろうな。
いや、もしかしたらこの光景があまりにも素晴らしすぎて言葉を聞いていない可能性もあるかな?
まぁ、その前にこの場所は聖地だからパンピーは入れないけど。
「じゃあパッパと汲んで帰ろうか。流石に僕も少し疲れたし」
「早い早い!あんたは奥さんの買い物に無理やりつき合わされて早く帰りたい旦那か!?」
まぁ、流石のロイズさんも本当に疲れたんだろうな。
まぁ、そりゃ疲れるに決まってるか。
これで全然余裕とか言いだしたら俺は本気でこの人が人間なのか疑うわ。
「もっと眺めていたいけど病気の子の為に早く帰らなきゃな」
名残惜しい気持ちを振り切って俺は泉の湖畔に膝を付いた。
「精霊水を汲ませて頂きます」
そう泉に告げ、無限収納鞄から水筒を出し汲もうとした瞬間。
俺の胸を何かが貫いていた。