第百四十四話 御伽噺(2017.12.30修正)
俺とロイズさんがスープを飲み終わった後も公星は残ったスープを貪り飲んでいた。
スープはロイズさんが作っただけあってとても美味しかったが、疲労と寒さで食欲が余り出ず俺は一杯で十分だった。
そんな公星を眺めつつ俺はロイズさんに話しかける。
「例の精霊水がある場所まであとどのくらいなんでしょうか?」
「僕が前に来た時はこの辺りから3時間くらいかかったかな?」
「え?ロイズさんで3時間?じゃあ俺と言うお荷物抱えた状態だと…」
「もっと掛かるだろうねぇ」
「………Oh」
これから掛かるであろう時間を考えて俺は頭を抱えた。
そんな俺にいつものような和やかな顔でロイズさんが口を開く。
「話は戻るけど。さっき言ってた夢で象牙色の杖がセボリーの心臓に刺さってたって言ってたよね?」
「はい。殆ど気が付いたら刺さってたって感じだったんですが、全く痛みとかは感じませんでした」
「………ふむ」
「どうしたんですか?」
「ん~~~。実はね、このエルファドラ山って何個か神話と言うか御伽噺みたいなのが残ってるんだよねぇ。その中の一つに杖を持った少女の話が出てくるんだけどね…」
「……一体どんな話なんでしょうか?」
「かなり長いし昔の話だから端折って話すけど……」
ロイズさんは指を組み肘を膝の上に乗せて御伽噺を語った。
それは昔々、人と精霊が同じように共存していた頃。
少女は禍で何もかも亡くし、母親の形見でもある服を着て生まれた場所より遠くへ逃げた。
助けてくれるものなど誰もいない。頼れるのは自分だけ。
辿り着いた場所は何も無い寂しい土地で、土も荒れ果て草すら生えない場所であった。
少女は枯れ木の皮を食み僅かな雨水で飢えを凌ぐ生活を送っていた。
一人夜の寂しさから空を見上げども、厚く黒い雲の隙間から僅かに覗くは月の光だけ、故郷では見えた星も形を探せど星が見当たらない。
それから暫く時は経ち少女は貧しいながらも生活していた。
しかし禍はそんな少女を追いかけてきたかのように迫ってくる。
少女は再び逃げた。
必死で走り捕まらないように一心不乱に足を前へ前へと動かした。
どのくらい走ったであろうか。
気が付くとそこは雲海を見下ろすほどの高い場所で、空気も薄くとても寒い。
夢中で走って来たためか、大事に着ていた母の形見もぼろぼろに破け落ち、粗布の如く色褪せみすぼらしい。
形見の服の惨状に悲しみを覚えた少女だが、いつの間にかその手には見慣れぬ杖が握られていた。
いつ手に持ったのかわからぬが、その杖は象牙色で得も言われぬ芳しい香りを放つ杖であった。
その杖を握っていると不思議な事に寒さも和らぐような気がした。
少女はひとまず心を落ち着け寒く空気も薄いこの場所を降りようとするが、また何時禍が襲ってくるかわからない。
食料の確保などやる事が残っており、軋む体に鞭を打ち体が冷えると解りつつも足元にあった雪の塊を口に含み喉の渇きを潤した。
それから少女は苦いが毒性の無い枯れた草の根や、噛み続けていると幽かな甘みが出てくる萎びた草を見つけ大きな岩に座り今日一日はここで野宿する事に決めた。
夜になり見つけた食料を食べ終え空を見上げると黒く厚い雲は無く、いつもよりも大きな月が目に映った。
少女はその月に少しの怖さを感じ杖を抱きしめると不思議な声を聞く。
―踊れ―
―そなたが踊れば草木萌える―
―さすれば土地栄え我等の同胞が生まれ出でる―
―悪しきものを振り払いし力―
―迷いし苗木―
―仮初の夢―
―踊れ―
何かが少女に語りかけてきたのだ。
少女は震えた。
恐怖ではない、嬉しさでだ。涙さえ溢れた。
故郷を逃れてから今まで少女は他の者の声を聞いた事が無かったのだ。
少女は溢れる涙をぬぐいもせず、聞こえてくる声の言う通りに杖を手に岩から離れ足を地においた。
その瞬間。
少女の踏んだ場所に草花が沸き起こるように生え土を肥やしていく。
少女は驚きに目を見開くが一度動き出した足は止まらず、ゆっくりとした歩みからどんどんとリズミカルなステップを踏んだ。
怒り、悲しみ、不安、憎しみ、歓喜、様々な感情が混じる心を曝け出し少女は踊り狂った。
生み出された草花はやがて綿や種を残し、少女のステップに合わせて風が起こって舞い上がり、その舞い上がった綿や種は光となって大地や大気、空へと混じっていく。
大地には栄養を。大気には酸素を。空には星座を散りばめた。
真っ暗だったその場所は何時しか、少女が舞う地だけ明るく光を放ち生命を息吹かせた。
どのくらい踊り続けただろうか。
ふと踊りながら体を見れば、ボロボロだった形見の服は光の粒が纏わりつき、破れた布をつなぎ合わせ極彩色の服に染め上げられている。
髪の毛も本来の色とは違い、この世の者とは思えないほどの美しい光を放っていた。
踊り続けたからだろうか。体が温かく、不思議な事に空腹感も無い。
周りを見渡せば先程まで何も無かった土地は緑に溢れ、寂しく重い空は満天の星に彩られていた。
そして少女は気付く。
少し離れた場所で誰かが立っていることに。
跳ね上がる心臓の鼓動を押さえ、敵か味方かわからず警戒した。
だがその誰かは少女をただただ見ているだけ。敵意も親愛さえも感じられない。
自分自身に敵意は無いとわからす為に杖を地面に刺し手を広げた後、スカートを軽く持ち上げ何も隠していないと意思表示をする。
そうするとその誰かは見蕩れるほど綺麗な礼をした後、少女へと向かい歩いてくる。
お互いの距離が手が届く所まで近づくと、その誰かはまた優雅に見事な礼をして少女の手をとり、そして背中をホールドしゆっくりと動き出した。
少女はリードされるがままその誰かに体を預けた。
満たされていく心。伝わる温もり。
その誰かが囁くと草花が育ち実をつけ。
その誰かが笑うと雪が融け新たな光の粒が生み出され。
その誰かが空を見つめると星が動き天に川が姿を現した。
夢のような時間は長くは続かない。
その誰かは踊り終えると少女の手を離し少女の頬に触れると。
「」
音にならない声を発し寂しそうに微笑んだ。
何故だか解らないが少女にはそれが別れの挨拶だとわかった。
少女はその事が悲しく泣いてしまう。
少女の頬を伝わりその誰かの手へと伝わった大粒の涙は、その誰かの手から零れ落ち小さな泉を作った。
目を見開きその誰かの顔を見ると嬉しそうに微笑むだけ。
その顔を見て少女も自然と笑みが零れた。
だがその時、青々と茂っていた草花の一部が突然枯れ始めた。
禍だ。少女を追って禍が追いかけてきたのだ。
少女は恐怖で顔が引きつり体が動かせない。
動けない少女の直ぐ横にいたその誰かは、いつの間にか先程まで少女が持っていた象牙色の杖を手に持つと泉にその先端を浸した。
その瞬間、泉の水はまるで生きているかのように禍へと向かって降り注ぎ、禍を覆った。
暫くして禍は消え泉からは滾々と湧き出で降り注いだ水は大地へと染み込み、草花は急激に成長し苔生す森へとなった。
その光景に驚く少女。
そんな少女にその誰かは温かに笑いかけ、額に接吻を贈った。
先程とは違った驚きに目を白黒させた少女に、その誰かは象牙色の杖を手渡し空を見上げた。
少女もそれに釣られて視線を空に移せば流れ星となって星が動き、落ちてきた星は結晶となりて土地を更に肥やしていく。
顔を下げ視線を戻すと、もうそこにはその誰かはいない。
苔生す森にあるのは先程よりも大きくなり辺りの全てを映す泉と象牙色の杖。
少女が象牙色の杖を握り直しもう一度空を見上げれば、優しく全てを淡く照らす月と宝石のような星達が輝いていた。
じきに空が白み夜が明け、穏やかな太陽の光が森を照らし始め、光の粒は絶え間なく生まれ飛び回り、泉の水は森を潤し命の水として全てのものの生を繋いでいった。
それからも少女はその森に住み続け、少女は女へと成長した。
女は孤独だったが、気にならなかった。
森に住み着いた動物や光の粒、そして象牙色の杖が側にあったから。
しかしある時。
ちょっとした不注意で手がすべり象牙色の杖を泉へ落としてしまった。
直ぐに掬い上げようとするが象牙色の杖は瞬く間に泉の中に沈んでいった。
泣きながら後悔の念にとらわれる女。
しかしその瞬間。泉から一人の赤ん坊が浮かび現れた。
一瞬呆然としたが急いで赤ん坊を掬い上げ女が抱き上げた瞬間。
赤ん坊は元気に泣き声を上げ、森に声を木霊させた。
するとまるで赤ん坊の誕生を喜ぶように森の動物は空に向かって吼え始め、光の粒はより一層乱舞した。
女も空を見上げ目を瞑ると、暖かく優しい風が女の頬を撫でるように通り抜けた。
それはまるであの時の誰かのように爽やかな風であった。