第百四十二話 月夜の光(2017.12.29修正)
久方ぶりに激しいツッコミを入れた俺はふと気付く。
あれ?そう言えば大声出してるのにあんまり苦しくないぞ?と。
それと同時にそういえば登り始めてからどのくらいの時間が経ったのだろうと疑問が湧いた。
酸素は周りの森を見ればあることはわかる。
だが先ほど見えた森がある場所はかなり上であったように記憶していた。
しかし、今俺はここにいる。
「あの、そういえば登り始めてからここに着くまでどのくらいの時間が経ったんでしょうか?」
「5時間くらいかな」
「5時間!!?」
「かなり集中してたみたいだからね。しかも目を瞑っていたし、進路の修正が大変だったよ。名前を呼んでも反応が無いから手を引っ張って修正したんだ」
「そうだったんですか。それはどうもご迷惑をおかけしました。でもおかげさまで魔力の循環が成功したみたいです」
「うん。良かったねー」
思いっきり棒読みな感想に少しイラっとしたがここは我慢だ。
ここで文句を言ったら確実に置いて行かれる。
しかし必死だったとは言え、ほぼ無意識のうちに魔力の循環を成功させていたようだ。体が温かい。
先程よりもスムーズに循環が出来ている事がわかる。
しかし5時間もまどろみの中に居たのか。よく疲労感も感じずに登ってこれたものだ……
そう思った瞬間、体全体に衝撃が走った。
「……!!………う……か、体が……」
なんだこれ、体に力が入らない。
それに少し動かすだけで電流が走ったように痛い。
重いし痛いし苦しい。
「うんうん。日頃トレーニングしているとはいえ、流石にハイスピードで5時間も山登りすれば慣れてない人ならこうなるよね。今まで集中してたから気付かなかったのかもしれないけど、緊張の糸が解けたから疲労と共に一気に来ると思うよ」
ロイズさんのその言葉で俺は理解した。
これは完全に体の酷使から来る筋肉痛だと。
襲い来る激痛と体のだるさに加え急に眠気がしてくる。
先ほどまでは何とも無かったはずなのに、急に疲労感も感じてきた。
「少し寝たほうが良いね。まずは体力を回復させな。ここはパワースポットだから魔力と体力の回復も早い」
「………はい」
「お休みなさい」
「……………」
その言葉を聞くと俺は倒れるように眠りに落ち………そして夢を見た。
夜だろうか。
薄暗い闇の中、月明かりを浴びながら踊っている少女がいた。
そのステップは時に緩やかに、時に激しく、時に軽やかに、時に重々しく、時に歓喜に酔いしれ、時に悲愴に溺れ、時には悲壮を誇る様に一心不乱に踊っている。
手には少女の足から胸までの長さで象牙色をした杖を持ち、服は見る角度によって色が異なり、動く度にスカートがふわっと広がるロングワンピース。
それ以外の物は何も身につけず、少女はただただステップを踏んでいた。
少女は軽いステップで踊り杖の先端で大地を突き、体全体を利用し杖で大地に弧を描くように回り踊る。
少女が地を踏むたびにその場所に湧き上がるように草や花が生え、大地を豊かにしていた。
空を穿つように杖を突き上げ、その杖を空へと放り軽く回転を効かせた跳躍をしながら空中で杖を掴み直し着地する。
少女が動く度に花の綿毛だろうか光る粒が舞い起こり空へと登っていき、光の粒が増えると共に闇が覆った世界に光が零れだした。
俺はその光景を動こうともせず黙って見ていた。
いや、動けなかったのかもしれない。その光景は余りにも美しすぎた。
息をする事すら忘れていたのかもしれない。
暫くすると光る粒と共に形あるものが大地から姿を現し、少女が踊り続けると今度は人の姿をしたものまで姿を現した。
ああ……これは精霊が生まれているのか。なんて綺麗なんだろう。
そう思った瞬間。少女が動きを止め俺を見つめてくる。
俺は驚いたが、真っ直ぐ彼女を見つめ返した。
その時俺は初めて少女の顔を認識したかもしれない。
それまで唯嬉しそう、悲しそうなどの感情は伝わってきたが顔自体暗くて見えてはいなかったのだ。
少女はお世辞にも綺麗や可愛いとはいえない顔をしていたが何故か魅力的に感じた。
内から滲み出るような魅力と言うのだろうか。
嫌な雰囲気は無く太陽のように朗らかで、月のような清廉な雰囲気を併せ持っていた。
少女は見蕩れていた俺に恥ずかしそうに笑いかけると杖を大地へと突き刺す。
そして空いた手をスカートへと持っていき、スカートを摘んで俺にダンスの礼をしてきた。
俺は咄嗟に返礼をした。
返礼を返した瞬間、俺の足は勝手に少女のほうへと動き出す。
踏み込んだ大地は心なしか暖かく、足を伝わり体全体に心地よさを与えてくれた。
少女も歩き出し俺との距離を詰め、俺の側に来ると再び俺に笑いかけ腕を差し伸べてくる。
俺はその腕を掴み少女の体をホールドし一緒に踊りだした。
アルマンドから始まりクーラント、サラバンドを経てジーグ、スケルツォを楽しんだ後ワルツへ。
踊っている最中も光の粒や精霊は沸き起こり明るさを増していく。
光の粒は月だけだった空に星の如く彩り、星座の形を成していった。
俺は何故かそのことがとても嬉しく思え、少女の腰を両手で持ち上げリフトしながら回り踊る。
少女は最初驚いた顔をしていたが、直ぐに慣れたのか嬉しそうに笑っていた。
楽しい!この時間が永遠に続けば良いのにと頑是無い事を考えていると、少女が俺に何かを語りかけてきた。
しかし、俺にはその少女の言葉が伝わらない。
いや、言葉ではない。少女の声か理解できなかったからだ。
確かに彼女は声を発している。しかし俺の耳に届くのは音として認識できるものだけ。
少女の声と言う事も曖昧で認識できない……いや、理解できない音だけだった。
その音も覚えようとするが頭の中に残らない。
俺はそのことがとても悲しく思えて涙が零れ落ちた。
少女を地に下ろして泣きじゃくる俺に、少女も釣られたのか涙を零した。
少女の頬を伝わり顎から落ちたその一滴は大地へ落ちると徐々に広がり、その場所に小さな泉を作った。
泉の水は俺の感情を表しているかのように滾々と水が湧き出で大地へと溢れ出し、草花に潤いを与えていった。
泉の水を頂いた草花はやがて急速に成長し立派な木へと成長していき、そして俺達の周りはやがて林を経て森へと成る。
森への成長の過程で光の粒は木や草、花の中へと躊躇無く入り込こんだ。
まるで嬉々として………そのために生み出されたかのように………
苔が生した森の中、少女がまだ泣きじゃくる俺の肩に軽く触れる。
俺はゆっくりと顔を上げ少女の顔を見上げると、少女は俺に笑いかけ手を泉に浸して水をすくう。
そのすくった水をゆっくりと俺の口元まで持っていくと俺に飲めと促した。
俺は目から出た分の体の水分を補うために口をつけた。
少女の手から飲んだ水は得も言われぬ味であった。
これぞ極上。甘露の如き味。渇きを潤す爽快感。
絶頂にも似た感覚が舌から脳へと上り、体全体にいきわたるほどの恍惚感。
これ以上言葉では言い表せないほどの充実感。
考える事すら放棄せざるを得ないほどの満足感。
いっその事泉の中へ入り、溺れてしまっても構わないとさえ思えるほどの幸福感。
目を閉じて甘美な余韻を噛み締めた。
頭ではこれは夢だとわかっていたのだが、そんな事もどうでも良くなるほどに酔いしれた。
少女が動く気配がして顔を上げようとした時…
―汝に祝福を―
声に驚き目を開けると、俺の心臓の部分に先程少女が持っていた象牙色の杖が深く差し込まれており、驚いて声を上げようとした瞬間、その杖は俺の体の中へと溶け込むようにして消えていった。
何が起きたのか解らず周りを見渡せど少女の姿は無く、あるのは月明かりに照らされた森と、月と星座の光をその身に摂りこんだかの如き輝きを放つ泉だけであった。