第百四十話 聖地へ(2017.12.28修正)
ロイズさんが指差した森は遠目から見ても深く茂っており、標高と寒さと空気の薄さの関係であそこまでたどり着くのは困難だと予想できた。
高山病の一歩手前の状態の俺は勘弁してくれよと思う気持ちはあったが、病気で苦しんでいる弟のためにがんばらなくてはと言う気持ちにさせられた。
「精霊水………ですか?」
「あ~、その顔は精霊水の事自体知らないっぽいね」
ロイズさんが言うには精霊水とは一種の聖水で、魔法薬の材料では最高級品の一つで、魔法薬の最上位版ともいえる精霊薬の材料にも使われる逸品だ。
水自体に魔力が宿っており、その水自体が魔法薬として売り出されても可笑しくないほどなのだと言う。
但し売り出されることはまず滅多に無い。
何故ならこの聖水が採れる場所は少なく、尚且つ採れる場所は全て立ち入り禁止指定されている。
更にその場所は殆ど公開されてはおらず、公開されていてもはっきりした場所は伝えられていないからだ。
更に更にその場所は国かアルゲア教団が管理しているので密漁などしたらきつい罰が待っていた。
「今回の病状にはここの精霊水が最適だと思うんだよね。精霊水の中でも最高品質だし」
「ここの?精霊水ってそんなに種類あるんですか…?」
「精霊水はここだけだよ。ああ……精霊水って言うのは聖水の別称のようなものだよ。昔の聖水は全てここの水を使ってたから今でもその名残で魔力の宿った聖水が精霊水って言われてるんだ)」
前ジルストさんに渡した魔法薬も聖水を使って作られたものらしいが、今回の薬はそれ以上の代物のようだ。
「さぁ、行こうか。僕は大丈夫だけど、これからセボリーには辛い道のりになるかもしれないからあまり体力使わないほうが良いと思うよ」
それはそうだろう。今の状態でも苦しいのにこれ以上の無理は禁物である。
俺は余り体力を使わないように声を発せず、その言葉に重く頷いた。
「でも魔力は使って行こう。そうしないと死ぬから」
ロイズさんの言葉に俺は頭を傾げた。
火の魔法で暖を取るために魔力を使うのかと思ったが、どうやらそんな意味で言っている感じではない。
ではどのようにして魔力を活用するのだろうか?
寒さで縮こまる体に鞭を打ち顔を上げて質問をしようとした。
だがその疑問は直ぐに払拭される事になる。
「いくらその服の性能が良くても限界がある。だから魔力を体の中で循環させて熱を作りだすんだ。循環力が弱いと熱が発生しないから凍傷になるし、逆に循環力が高いと無駄な魔力が体の中からあふれ出てしまうから体力を消耗してすぐに動けなくなる。だから繊細な魔力コントロールが必要って訳。他にも方法はあるけど、今はこれが一番理に適っているからね。魔力を体の中で循環させているだけだから魔力の消費は最小限で抑えられるんだよ」
多分これも魔力のコントロールの修行方法の一つなのだろう、俺は魔力を体の中で循環させていく。
しかしこれが中々難しい。スムーズに循環が出来ないのだ。
魔力を体中にいきわたらせる事は少し練習をすれば出来る。力技で魔力を出せば良いだけだ。
だがそれでは先程ロイズさんが言ったように余分な魔力が体から漏れ溢れ魔力の無駄になってしまう。
今のこの状況で無駄な魔力や体力を使うのは生死に関わる。
なので少量の魔力を使い体の中で循環させていくと言う方法を選択させたのだろう。
だがこの魔力を循環させるのは思った以上に困難だった。
感覚としては解るのだが技術が上手く追いついてくれない。
昔皆さんはこんなゲームをやった事がないだろうか?
所々穴の開いた迷路のようになっている箱の中にある玉をその穴の中に落とさずにゴールにたどり着かすかと言うゲームを感覚としてはあのゲームに通じるところがある。
障害物を気にしながらバランスをとり決められたコースを延々と周回し続ける。
だがバランスをとりつつも他の事にも目を向けなければならない。
更に俺は現在クソ寒く空気の薄い中で登山中である。そのことがより一層俺を追い詰めた。
「セボリー、座禅ってやった事ある?」
言われた言葉に俺の頭は理解が追いつかない。
何でこの時に座禅の話をするのだろうか?
俺は首を左右に振った。
「座禅って結構奥が深いんだよ。心を無にするんだ。その無にした先に何があるのかは人それぞれ、答えがあるかもしれないし無駄な時間だったと思うかもしれない。だけど……本当に僅かなものだけど何か得る物があるかも知れない。ここで座禅をするわけにはいかないけど、一回頭の中を空っぽにしてみな。君の場合考えすぎてこんがらがるタイプでしょ?まぁ、こんがらがった後に整理して答えは出せるとは思うけど、今この状態で考えてても厳しいんじゃない?なら考えなければ良い」
いきなりそんな事を言われても直ぐに出来るはずが無い。
今までやってきた事を捨てて新しい事をやれと言われているようなものだ。
「直ぐに出来るはず無いって思ってるでしょ?でもやってみな。一方方向からではいつも見え方は同じだけど、別の方向から見たものは違ったものに見える時もあるんだよ。それにその別の方向でしか見えないものだってあるんだ」
その言葉に頷き頭を空っぽにしようと試してみた。
考えていた事を一つ一つ仕舞い込み、片付け、放り投げる。
動かすのは足のみ、目や耳から入ってくる情報を出来るだけシャットアウトした。
暫くすると頭の中がボーっとして不思議な感覚になる。
呼吸をしているはずなのにいつ吸って吐いているのか分らない。
歩く足は意識して動かしているのか無意識なのか解らなくなってくる。
足に伝わる感覚も鈍っていき、まるで宙を歩いているようだ。
見ている景色も半分は頭の中に入ってこない。
聞こえる風の音や土や氷を踏む音も音なのか耳鳴りなのかもわからない。
まるで半分夢を見ているようだ。
前を歩くロイズさんも本当にいるのかも怪しくなり、俺は目を開けるのはやめた。
それからどのくらいの時間が経ったのか分らない。
まどろみの中に身を浸し、出来るだけ五感を閉じ、暗闇の中をただ漂うように過ごした。
何も見えず何も聞こえないような状況の中で、たまに手を引かれ誘導されたような気もするが、それも本当なのか夢なのかも分らなかった。
だが魔力が体の中で渦巻いているのが分る。
先ほどまで寒かった体は今ではとても温かい。
―セボリー―
―セボリオン―
名前を呼ばれたような気がした。
―我等の愛し子―
―愛しき苗木の種―
俺の体に何かが通り抜ける。
だが決して嫌な感覚ではなく、不思議と懐かしいと思えた。
―祝福を―
その瞬間、真っ黒だった俺の視界の中に光が溢れ、賛美歌のような歌声が聞こえた。
驚き目を開けると、そこに見えるのは白銀の雪と緑の木々、そしてロイズさん。
優しく笑うロイズさんを見て俺は辺りを見渡すが他には何も無い。
一瞬だけ聞こえた歌声も今は聞こえなかった。
もう一回目を閉じても何も見えず首を傾げる。
そして再び目を開けると、そこには精霊達が舞い踊っていた。
それも俺がいつも見ていたような光の粒のような小さい精霊ではなく、動物や人の形をした精霊が…
「聖地へようこそ」
驚きの表情を浮かべる俺に、ロイズさんは優しくそう言った。