転生悪役令嬢の一人ロマンス劇場
ここが「アンジェリカ・ロマネスク」の世界であると気付いたのは6歳の頃、現在私の婚約者であるギルベルト・フォン・ハインリッヒと初めて出会った時である。
「アンジェリカ・ロマネスク」とは中世ヨーロッパをモチーフにしたファンタジー世界におけるシンデレラストーリーを描いた乙女ゲームだ。
街のパン屋だった主人公、アンジェリカが突如魔法の才能に目覚めたところから物語が始まる。残念なことに魔法の設定はあまり使われていない。
魔法を扱える者は国が保護し、その者は保護に対する礼として国に仕えなければならない。そんな考えが根底にあるこのシュミリア王国では、アンジェリカは当然のように国に保護(というか拉致)される。
そして魔法を学ぶための国の唯一にして最大の教育機関、アスト魔法学院に通うことになるのだが。
乙女ゲームなのでメインは勿論、恋愛である。
攻略対象は4人。
メインヒーローでありこの国の王子である俺様系イケメン、ギルベルト・フォン・ハインリッヒ。
浮き名を流し、数々の女を泣かせてきたが実のところ一途なクラスメート、アレン・デルフィート。
包容力抜群で泣き黒子がセクシーな寮長の先輩、フランシス・トーザ。
主人公と同じ突如拉致された境遇として意気投合する不憫なわんこ、エドガー・カランハ。
そして私、アナスタシア・エリオスチもゲーム内に登場するキャラクターである。
…………ギルベルトの婚約者として、ギルベルトルートでのライバルキャラとして。
6歳でありながら急に精神年齢が上がった私は嘆きました。ギルベルトルートでのアナスタシアの扱いを知るがゆえに。
主人公への虐めが発覚した後に我がエリオスチ家は没落まではいかないが、やはり地位を下げられ社交界での評判も落とすこととなる。
それだけでなく、私は「妃を虐めた醜女」として一生白い目を向けられることになるのだ。あからさまではないものの、気まずくなるのは間違いない。
その悲劇、何としても避けたい。
思い出した瞬間に婚約破棄を申し出たくなった程である。
しかし私、程なくして気付くのでした。
私、別にギルベルト殿下のこと好きでもないから別に主人公に嫌がらせする理由がないのでは、と。
という訳でそれ以来私は、前世で夢にも思わなかった貴族生活と前世で果たすことのできなかった趣味を満喫しているのである、まる。
*―*―*
「……で、お前はこういうのが好みなのか」
限りなく問いかけに近い断定。
明らかに負の感情が籠もっているバリトンボイスが私を襲う。彼の声が地を這うようなら今の私は血を吐く寸前である。なんだかうまいことを言えた気がするが、多分いくらか時が経てば恥ずかしい発言に変わりないため表に出すことは控えようと思う。
ところでだ。私はそんな駄洒落を言いたいわけではない。
私が求めているのは、目の前の婚約者兼王子の記憶を消し、今すぐ彼の手の内にある紙を取り返してこの部屋から脱出する方法である。
魔法を使えばいい? 残念なことに私の使える魔法は「鎌鼬を起こす程度の魔法」、この状況を解決させるようなものではない。
私は彼の持つ紙の束をじっと睨みつけながら、恐る恐る慎重に口を開いた。
「……いくら次期国王とはいえ、相手の了承なしに部屋に入るのはどうかと思いますわよ?」
「それは悪かったと思っている。しかし、何度挨拶しない婚約者を心配するのは当然のことだろう?」
「そうですね。なら、女中でも執事でもお呼びになられればよろしかったのでは?」
「そうするより私が扉を蹴破る方が早い」
やめろこの暴力王子。毎度毎度修理する使用人の気持ちを考えてください。
私は頭を抱えながらわざとらしく溜め息を吐く。
もっと文句を言いつけてやりたいのが本意だが、今回ばかりは仕方ない。
再びきっと睨みつけ、「殿下」と呼びかける。
「今回ばかりは許してさしあげましょう。その代わり、それを返してくださいませんか」
「……ええと、『アンは純粋かつ真面目な少女だった。ゆえに、他の女生徒と違い、家柄で人を見ず』……」
「やめてくださいまし! 今すぐ斬りつけますわよ!」
「……『「お前は本当の俺を見つけ出してくれた」そう言うサンドの右手はアンの右頬に伸び』」
「悪魔! 腹黒! 鬼畜! 腐れ王子!」
「はは、ひどい言い草だな。全く、俺の可愛い女はじゃじゃ馬で困る」
「その小説から抜粋しないでくださいまし!」
私は淑女らしさをかなぐり捨て、羞恥心を紛らわせるためにヒステリックに吐き捨てる。
本当にやめてほしい。私のライフは0なのですから。
彼が持っている紙の束。それは、私の欲望と趣味が詰まった、「前世では出来なかったこと」、恋愛小説である。
元来少女漫画脳だった私は、恋愛小説家になることを夢としていた。しかし家は貧乏、そのくせ子沢山ということで私は公務員にならざるを得なかった。
なので時間がまだある貴族に転生して私は驚喜した。自由に恋愛小説が書けると。
しかし、まさか執筆中に婚約者が勝手に入り込んできては原稿を奪うなど、全く予想していなかったことである。
しかも運が悪いことに、今書いているのは「アンジェリカ・ロマネスク」ギルベルトルートのヒロインと彼をベースにしたシンデレラストーリーだ。
一応名前や立場は変えているが、わかる人にはわかるかもしれない。それに王族に近しい貴族の男、そのわがままな婚約者、そして純粋な平民の美少女というのは彼にも何となく覚えがあるだろう。
要するに私は今、絶賛ピンチなのである。
「で、ターシャはこういうのが好みなのか?」
「今すぐにそれを手放しなさい。いくら相手が王族とはいえ、遠慮はいたしませんわよ」
「……どうしてお前はそんなに反抗的なんだろうなぁ?」
「さあ? そう言うならば、私も言いたいことがありますわ。ついに化けの皮を剥がしましたわね、この鬼畜王子!」
「………………ふうん」
私はずっと彼を警戒し続けていた。
女を下らない生き物と見下し続け、演技することを若くして覚えてしまった彼は常に「皆に優しい王子様」の仮面を付け続けてきたのだ。
いつ本性を見せるか。これがゲーム内、アンジェリカ視点なら「いつ心を開いてくれるのか」とワクワクしたものだが、いずれ婚約破棄されるアナスタシア、というか真実を知っている私視点なら「早く演技やめろよ薄ら寒いんだよ」という感想しか抱けない。
だから私は全身に気を払いながら、彼と相対していた。
そんな私とは対照的に、彼は笑い出す。
まるで子供のように、普段とは違う年齢相応な笑みを見せたのである。
「はははは……なあ、ターシャ。俺が何故今まであんな薄ら寒い演技をしていたか知りたいか?」
「心底興味ありません! そんなことを知るくらいならばこの世の砂の数でも数えていた方がよっぽど有意義です!」
「ひどいなぁ、ターシャは。せっかくだから教えてやるよ」
そして私は彼に腕を引かれ、くるりんぱ。訂正しよう、くるりんぱなんて生易しい擬音では済まされない。くるっ、とん、がたーんが一番真実に近い。
まあ、簡単に言ってしまえば先ほどと打って変わって私が壁際に押し付けられる形になっていた。壁ドンとは言わない。壁ドンはあくまでも煩い隣人に対する攻撃であり、少女漫画でよく見るこれはせいぜい壁トンである。いや、彼の場合迫力がありすぎてトンでは済まないが。
後に引けない私。
せめてと思い、原稿に手を伸ばすが悲しきかなリーチの差が。何故私は身長が148cmしかないのでしょう。悪役でわがまま令嬢ならばもっとセクシー系で、大人っぽい美女にしておけよ! なんで身長を低くした、まさに小物じゃないか!
私は心の中でキャラクターデザイナーに憤りながらぐぬぬと彼を見上げていた。
ムカつく。何がムカつくかと言えば、いくらあくどい笑みを浮かべていたとはいえ、彼が美形に変わりないという事実にである。
私は彼に思いつく限りの罵倒の言葉を吐いていた。ゲームの彼女より小物に成り下がっている気がするが、そんなものより私の精神状態の安定の方が大事である。何が何でも大事である。
「鬼畜、腹黒、俺様、冷徹、強引、似非王子」
「…………ターシャ」
「顔だけ美形、禿げてしまえ、金ぴか王子、二重人格……」
「ターシャ」
「ひうっ!?」
耳に息を吹きかけられれば怯んでしまうのは仕方あるまい。私は情けない声を出してしまったことに赤面するが、今の私にそんなことをしていられる余裕はないのだ。
…………戦争である。そう、言うなれば厨二病ノートが見つかった娘と母親のような、この先を揺るがす戦争なのである。美形にいちいちときめいてはいられない。
いくら愛称で呼ばれ続けても、いくら顔が近くても、いくらスチルで見た時奇声をあげる程喜んだ状況だったとしても、負けるわけにはいかないのだ。
魔法を使うのは非常に危険である。今の精神状態なら、この王子の肌を切り裂いてしまうだろう。コントロールができそうにない私は、自らの力でこの場を切り抜ける必要があった。
こんな時に自分の魔法が割と強力なのが恨めしい。せいぜい「悪寒を感じる程度の魔法」なら、使いまくって原稿を取り返して追い出していたというのに。
「本当、ターシャは罪深い奴だよ」
「っ、そ、その、ギルベルト様……?」
「…………俺が第一王子だということに感謝しろ」
「えっ、ちょ、ま」
「さあ、俺の愛を味わうことだな」
「だからさっきの小説から抜粋するのはやめてくださいと……って、いや、ちょ、え」
この後滅茶苦茶愛を味わわされた(意味深)。
*―*―*
「アナスタシア王太子妃! 私、貴女のロマンスのファンなのです! ……ああ、会えて幸せです!」
「あ、ありがとう…………?」
あれ以来、何故か張り切ったギルベルト様が私と式を挙げ、何故か私の書いていた恋愛小説を匿名で出版社に送り込み、私は何故か王太子妃でありながら売れっ子恋愛小説家という奇妙なものに、何故かなってしまっていた。
もうあれ以来、ずっと言い続けてきて胸やけを起こしそうだが、あえて言わせていただこう。
どうしてこうなった。
私は自分のファンと名乗りはしゃぐ、かつて良く見たことのある女性――アンジェリカ・トパーズ、そう、あの作品のヒロインである!――と握手を交わしながら、苦笑いを浮かべるしかないのだった。
ありがとうございました。
乙女ゲーム悪役転生ものが好きなのですが、いまいち生かしきれなくて自分が残念です。
そして短編は難しいですね。精進せねば。
あとギルベルトが演技してた理由ですが、昔ターシャが「王子様タイプが好み」とか言ってたから、という裏設定があったり。
なんというか、この後滅茶苦茶●●したって便利な言葉ですね。
それではここまでお読みくださり、本当にありがとうございました。