首が飛んでるわよ
学外パート終わり。
アシュトンが右手を振るうと、まるで炎が手の延長線上のように横に薙がれた。
ランドは体を撓めると僅かな時の後、弾かれた様にアシュトンに向かって飛び出す。
まともに突っ込めばランドの体は劫火に焼き尽くされていたであろうが、如何に直情傾向が強いランドでも火の竜人が扱う炎に無策で飛び込むほど馬鹿ではない。
地面と並行、そして擦れるか擦れないかで突っ込むことで、火の影響を背面に限定させる。
ある程度の耐衝撃、対刃効果のある彼の体毛だったが、アシュトンの炎には大した効果も無く、あっという間に焼き尽くされる。
だが、皮膚へのダメージは最小限に留められ、ランドに攻撃する余裕を与える事くらいの役割は果たせていた。
予想だにしていなかった正面突破にアシュトンは驚き、わずかに体を硬直させており、それが決定的な隙となっていた。
貫手の形となったランドの右手が、アシュトンの腹部に向って放たれる。
アシュトンの意識は一瞬の硬直から復帰するも、既にそれは遅きに逸す。
「っ!?」
「ちっ精霊かぁ!」
しかし、決まるかに見えた攻撃は、アシュトンがリーヴァの戦いで召喚していた火蜥蜴によって防がれた。
二人の戦いは未だ終わりを見せていない。
そんな激しく二人が戦う中、これ幸いとリーヴァはクルルを小脇に抱え敷地内から無事に逃げ果せていた。
狼は既に殲滅していたのと、アシュトンがこれでもかと辺りに火を付けた事がかなりリーヴァに有利に働いたためだ。
(危なかった~流石人狼、タフだな)
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう」
リーヴァは不安を口するとクルルが心配するだろうと、内心のみで人狼のタフさに感心し外側ではクルルの心配をするという器用な事をしていた。
そんな内心を知らないクルルは、お姫様抱っこされ照れながら自分の小汚さにしょぼくれていた。
「ここも絶対安全とは言えないな。……クルル、家は何処だ?」
「……う……う」
「どうした?」
「……う、お家はあるけど……お父さんもお母さんも……さ、さっきの人達に……う、あ……う」
取り敢えず家までは送り届けねばと思ったリーヴァが振った内容は、大きな地雷だった。
留まるのは危険と、抱きかかえたままリーヴァが街道沿いに歩く中、ぽつりぽつりとクルルは話し始めた。
クルル自身は九大竜族アクア・ドラゴンなれど両親はただの竜人であること。
母方の祖母の隔世遺伝でアクア・ドラゴンに生まれついたとのこと。
それもかなりの力を秘めたアクア・ドラゴンで、アカメディア学院の特別枠で来年から入学が決まっていること。
アカメディア学院の見学のついでに家族旅行で王都を訪れたこと。
そして、その帰り道に襲われたこと。
…………。
「そ、それで……」
「……もういい」
これ以上は辛かろうと、リーヴァはクルルの言葉を中断させた。
リーヴァ自身は家族愛を知らない。
生来の存在感の無さから、普通は無条件に与えらえ、自然に抱くであろうそれをまったく知らなかった。
そんな彼だったが、大切なものを失った時に人が抱く悲しみを想像することは出来た。
子供にとって親とは、その世界を構成する一番大きなものだ。
リーヴァにとってそれはケティルでありオーシャン家の人達だ。
碌に気付いてもらえないリーヴァに、初めて名前を聞いてくれた幼き日のケティル。
名前が無かった彼にケティルは名前をくれた。
彼にとって初めての贈り物。
それは、彼がこの世界でリーヴァとして生まれた日となった。
まぁ、由来はアレだったが。
自分がもしケティルを失うことがあったら……。
(考えたくも無い……しかし困ったな)
それに近しいであろう存在を失った少女の損失感は如何ほどのものだろうか。
リーヴァの胸が痛みを告げるとともに、ある問題が脳裏を過る。
クルルを家族のもとに連れて行けない以上、このまま王宮にクルルを連れて行くことになるのだが、リーヴァはともかく、彼女は探査魔法を問答無用で回避する理不尽なスキルは無いし、もちろん衛兵にも見つかってしまうだろう。
どうやって彼女を王宮に連れて行くか、リーヴァは悩み始めた。
「女王に迎えに来させるのも、そうだけど……まさか人のお風呂の世話までさせるなんて、見る人が見たら首が飛んでるわよリーヴァ?」
「……申し訳ありません」
物騒な事をやんわりとミトラは口にする。
そうこの影の薄い執事リーヴァは、マントを使えばミトラと交信できるのを思い出すと、何を思ったのか直接この国のトップたる女王に迎えに来させたのだ。
クルルを連れて王宮内にそのまま入ってしまえば、王宮に張り巡らせてある探知、探査結界がハチの巣を突いた様になってしまうので、リーヴァの決断はそこまで悪いものでは無い。
それに、ちゃんと敬語で迎えに来て下さいとお願いしたのだ。
迎えに来させたというのは少々語弊がある。
クルルをお風呂や着替えはミトラが、進んでやったし。
と言うか……。
「楽しんでましたよね?」
「あははっバレた?」
リーヴァの視線の先には女王のベッドですやすやと眠るクルルの姿があった。
ミトラにお風呂で遊ばれた上に、着せ替え人形宜しくされてかなりの体力を消費させられた末の結果だった。
そうでなくても、親を殺され、攫われて、食い殺されそうになったりと気の休まる暇が無かったのだ。
幾日かぶりの安らぎに包まれて彼女は眠りに着いていた。
「……でも、気が紛れた様ね……で、彼女に何があったのかしら?」
「……はぁ、実は……」
それまでの幾分か冗談めかした表情を引っ込め、ミトラは真剣な顔でリーヴァに向き直る。
その変貌ぶりに嘆息を一つし、リーヴァは任務の報告をすることにした。
クルルの事は半分だけ感謝することを忘れない。
気を紛らわせるために敢えて騒いだようにミトラは言っているが、かつてケティルに同じ事を散々したのをリーヴァは忘れていなかった。
アクア・ドラゴンはミトラに弄られる運命にあるのだろうか?
「……なるほどね」
「ええ、以上が報告なります。……あの」
「何?」
「申し訳ありませんでした!」
「はぁ?」
報告を終え、一段落の相槌をミトラが言うと、突然リーヴァが立ち上がり深々と礼をしながら謝罪の言葉を口にした。
「俺……自分は陛下からの依頼を達成できませんでした。せっかく諜報部の方々掴んだ情報を不意にし、厳命されたリストを持ち帰れませんでした。どうか処罰を」
「……リーヴァ、顔をあげなさい」
「……」
険しい表情のままリーヴァは頭を下げているのとは対照的にミトラは優しく微笑み、頭を上げる様にミトラは促すが、リーヴァはぴくりとも動かない。
「リーヴァ」
「し、しかし……」
女王が自分を許そうとしているのが分かっているだけにリーヴァは、頭を上げられずにいた。
リーヴァやケティルは言わばミトラの身内に近い間柄にある。
五年前よりケティルが色々と世話になっているし、リーヴァ自身も少なからず恩がある。
そんな身内への甘さから依頼を遂行できなかったのを許されては、自分自身が許せない。
故にリーヴァは頭を上げられないでいた。
「律儀ね……まぁいいわ。じゃあリーヴァ、彼女を見てみなさい」
一向に頭を上げないリーヴァにミトラはベッドですやすやと眠るクルルを見る様に促す。
頭を下げたままでいようかと思うリーヴァだったが、頭を上げてという女王の言葉に突っぱねている状況で、新たに掛けられた言葉を突っぱねられる彼でない。
顔を少し上げて、自らが助けた少女クルルをそっと見やる。
「確かに貴方は私が厳命したリストを持ってくることは出来なかったわ。諜報部では極秘裏にリストを持ってくることは困難……だから貴方に頼んだ。貴方なら出来ると思ってね」
「……はい」
「それを達成できなかった……それは私の期待に応えられなかった。と貴方は思っているんでしょう?」
「そうです」
自分で分かってることを敢えて口にされてリーヴァは再び落ち込む。
そんな彼に、ミトラは優しく言葉を付け足した。
「依頼は確かに大事よ。でもねリーヴァ、むしろ私は貴方があの子―――――クルルちゃんを放ってまで依頼に固執していたなら貴方に失望していたわ。それに貴方の話を聞く限り、貴方の行動が少しでも違っていたならあの子が今頃どうなっていたか考えてみなさい?」
そう、あの晩にリーヴァに依頼が入らなかったら、侵入経路を別の場所にしていたら、人狼に付いていかなかったら……。
そうなれば彼の特異すぎる隠密性でリストはあっさりと探し出せていただろう。
その片隅で、辱められ喰われてしまっていたであろうクルルに気付きもしないで。
「あ……」
「分かった?分かったなら顔を上げなさい。私が今、貴方を処罰してしまったら、クルルちゃんを助けた事を否定してしまうでしょう?貴方がやったことは間違っていないわ……むしろ彼女をすんでのところで助けられた。それでいいじゃない?」
「そうですね」
晴れやかとは言えないまでも、先までよりは大分ましな顔になるリーヴァ。
二人はそのまま軽く談笑しながらクルルが目覚めるのを待ち続けた。
「一応、末端ではあるみたいだけど誘拐組織の一部は確保出来たわけだし、牽制ぐらいにはなるでしょうね。件のドラゴン・イグニスの男と人狼には逃げられたみたいだけどね」
「そうなんですか?」
「ええ、とりあえず腕利きの人狼を何人か回したから彼らの鼻に期待しましょ。クルルちゃんもここに居れば取り敢えず安心だし」
王国最大戦力であるミトラに傍に居る限りクルルに危害が及ぶ確率は無いと言って差し障り無い。
残党が生き証人であるクルルを狙う確率が無いとは言えない現状では、これ以上は望めない安全地帯と言えた。
そうでなくても、ミトラはこういった子供を放っておけない性質なのだ。
「それはそうと、後から別の任務をお願いするわね」
「……お手柔らかにお願いします」
疲れ切ったリーヴァの声が女王の私室に響いた。
学生は勉学に勤しむはずの昼の時間。
リーヴァは三日ぶりに寮内を歩いていた。
クルルはミトラに保護して貰う事で落ち着いたのだが、懐かれてしまったので戻ってくるのにかなり苦労したのここだけの話だったりする。
今頃はミトラが色々かまい、無興を慰めているだろう。
少女の様な外見だがあれで二百年以上も生きてるし、子育ての経験すらあるというだから驚きである。
故に地位的にはもちろん精神的にもかなり頼りなるお姉さん的な感じなのだ。
親を失い寄る辺の無いクルルにはちょうどいいだろう。
リヴァイオール最高の防御を誇り、最大戦力の傍である王宮なら身の安全を心配するだけ無駄だ。
「身体強化しすぎたな……痛てて」
ぎこちなくぎしぎしと痛む体を引きずってリーヴァは部屋を目指す。
その表情は体が痛んでいる割には、妙に明るい。
女王からの依頼とは言え一応曲がりなりにも任務は任務、きちんと報酬が支給はされる。
リーヴァへの報酬は今回、国外持ち出し禁止のレアモノが与えられたので、それの使い道を考えてリーヴァは緩む頬を抑えられないでいた。
「……楽しみだ」
廊下で一人にやにや笑う様は傍から見れば怪しい事この上ないが、授業中なので誰もいないのが幸いだった。
……例え居たとしても気付かれないだろうから問題は無い。
「ただいま」
誰も居ないと分かっているが、執事教育の賜物か条件反射でついただいまと言ってしまうリーヴァ。
普段は落ち着いた雰囲気であまり表情を変えない彼だったが、部屋に入った瞬間にその表情が激変した。
「な……」
常に二人の部屋は整理整頓され、チリ一つ無いようにハウスキーピングされている。
普段であれば、家具の一つ一つの配置まで整えてあるはずのその部屋は、無残にも荒れ放題の物置へと変貌を遂げていた。
「お、お嬢ぉ―――――――――――――――――――――!?」
部屋を散らかした犯人の名前を絶叫したところで、疲弊しきったリーヴァの体は限界を迎えた。
「そんなに怒んないでよリーヴァ」
「まったくっ!お嬢は本当にまったく!」
授業が終わって帰って来たケティルにぷりぷりとリーヴァは説教していた。
説教しながらもしっかりと紅茶を淹れ、お茶請けのクッキーを出している時点でかなり説教の効果は薄れているが、主に執事が紅茶を淹れるというのは本能のようなものなのでこれは仕方が無い。
昼前に寮に戻って来れたので、ケティルが帰ってくるまではゆっくりしてようと思ったのに、疲れた体で部屋の掃除すれば誰でも怒るというものだ。
しかも、
「なんで俺の部屋まで散らかってるんだ?」
「あたしの部屋が散らかってるから」
「掃除しろよ」
「えー」
自分の部屋があまりに汚れ、散らかっていないリーヴァの部屋に移動し、そして最後にリビングに進出という経過を辿ったというわけだ。
十年近い付き合いだ予想していなかったわけではないが、ゴミをそこらに散らかすのはまだしも、下着をそのまま放置しているのは流石に令嬢としてはいただけない。
「……いや、すまん。掃除は俺の仕事だ。だがな、パン……下着ぐらいは別にしておけ。ここにナスタ姉は居ないんだぞ?」
ケティル専属の執事リーヴァと同じく彼女専属メイドたるナスタ姉……ナスターシャが居ない事を殊更、強調するのをリーヴァは忘れない。
元々彼女の身の回りの世話をナスターシャがメインで行い、彼女の護衛をリーヴァが受け持つという役割分担だった。
戦闘力は九大竜族の一角、魔力制御に秀でた竜人ルナ・ドラゴンたるナスターシャの方が遥か上なのだが、リーヴァには誰にも気づかれないというアドバンテージがあった為の配置だ。
一応、引き継ぎでナスターシャから雑事全般を色々仕込まれたが、十六歳の健全な青少年に下着は目の毒過ぎる。
「別にあたしは気にしないよ?」
「俺が気・に・す・る・ん・だ!」
「えー昔は一緒にお風呂に入ったでしょ?」
「……女がそのセリフを言うなよ」
ケティルの言葉にリーヴァの方が頬を赤くして顔を逸らしてしまった。
リーヴァのそんな様子を面白そうに笑う小悪魔ケティル、最初から彼の反応を分かっているが故のからかいだった。
「まぁ冗談はこの辺にしておきましょうか」
「……お嬢が言うか」
「無事で良かった……おかえりなさいリーヴァ」
にこっと太陽のようにケティルにそう笑われては、何も言い返せなくなるリーヴァであった。
(やはり、ここが俺の帰る場所か……部屋が汚くなるのだけは勘弁して欲しいがな)