闇討ちはダメよ
開いていた教室の窓から花の香りをうっすらと纏う爽やかな風がケティルの髪を靡かせる。穏やかな風で靡く蒼い髪が風が止むと同時にふわりといつもの位置に戻る頃になって、ケティルはようやく口を開き長い沈黙を破った。
「……え?」
単発のそれ以上続く気配が無いそれが、ケティルが現状を把握しきっていない事を雄弁に表す。
ケティルの前方、約二メートル程前には竜人と思われる少年が仁王立ちしていた。刈り上げられた金髪に二メートルを越える体躯からは野性を、ぴしりと身に着ける制服とどこか優雅な所作からは理性を滲ませる不思議な少年だった。
いまいち年齢が分からないが、幸いにもネクタイの色から上級生だという事だけは伺えた。
「いきなりで困惑するのは無理も無いが、できれば受けて貰えるとこちらとしてもありがたいのだが?」
いまいち反応が薄いケティルに顎に手を当てながら少年は小首というには太い首を傾げた。そこには申し訳ないと言いつつも、どこかケティルの反応を楽しもうという様子が滲んでいた。
「何がありがたいですか。決闘を……しかも女の子に相手にいきなり申し込んできて何を考えているんですか?」
「その言い分には一理あるな。だが、今から言う事を聞いて貰えば、こちらがありがたいというのも理解してもらえるだろう」
タイの色が一年生を示す青では無く、二年生の緑だと気付きケティルは敬語で文句を吐き出した。上級生だと気付きつつも、そこには隠そうともしない不機嫌さが十分に込められていた。アデルの件もあって数日間ピリピリしているというのに、ここでまた面倒事だ機嫌が悪くならない方がどうかしている。
思わずかばんを叩き付けて、さっさと部活に行きたくなる衝動に駆られかけるが、友人と呼んで差支えない二人の目の前でそんな態度を執るのは流石に憚られ、ケティルは一度大きく深呼吸した。華奢な肩が上下に動き、それと同時にケティルの頭に周っていた血がやや下がる。
そして、少年の発した言葉を思い出し、疑問に思う。
(決闘……ありがたい……あれ?)
「ありがたいって……まるで決闘で済ませてあげるみたいな言い方ですね」
「頭の回転が速くて助かるな。その通りだよ。ああ、ちなみに言っておくと俺はあくまで仲介のようなものだ」
「仲介?」
「いきなり当事者同士が会うっていうのも危ない。……というか向こう側が妨害してくるかもしれん。あまり品の良い連中じゃないし、なんせ派閥の存続が掛かっているんだから何をしでかすか分かったもんじゃない」
少年はそこでやれやれと大げさに肩を竦めて見せた。
「派閥の存続?……もしかしてテスラ家の?」
「ん?よくテスラ家だって分かったな?」
「質問を質問で返さないで下さい。……別に難しい問題じゃないですよ。侯爵家の派閥が潰されたってクラス……どころか学校中でも噂になってますよ。ちょっと調べれば分かります」
質問に対して質問で返す少年に少しばかりムッとしてしまうケティルだったが、その中身自体は質問の答えがあったので敢えて突っ込むのは止める。既に自体が面倒な方向に向かいつつある中、話を拗らせるのはケティルとしては望む事では無い。
「それもそうか。まぁその派閥を潰したのは俺なんだがな」
「え……?ええええ!?」
少年の唐突な告白にケティルのみならず、遠巻きに様子を窺っていたクラスメート達も驚愕の文字に脳内が染め上げられた。穏やかだったはずの教室内の空気が俄かにざわめきだす。噂になっていた侯爵家の派閥を潰したと聞いて騒がないはずがない、当然の反応だった。
「本当かな?」
「いや、違うだろ……なんでそんな奴がわざわざオーシャンのところに来んだよ」
だが、それを鵜呑みにする者は少なかった。少年の纏う気配は只者ではないとおぼろげながら感じても、ケティルに会いに来る理由が全く想像できなかったからだ。
なにせケティルは竜人でも落ちこぼれと揶揄される角無しなのだから。
まだ、ケティルがもっと高位の貴族の令嬢なら分かるが、貴族とはいってもケティルの家は子爵どまり、実力も権力も心もとがなさすぎる。そんなケティルに侯爵家の派閥を潰した人物が来る理由は思いつかなかった。
ざわざわと教室内が騒がしい中、ケティルは最初の驚愕以降、驚きを見せてはいなかった。教室のざわめきとは裏腹に厳しい表情を少年に向けていた。
(嘘ってせんも確かにあるけど……でもそれをわざわざ私に言う必要は無い。それに、もしそんな嘘をついたとして、本当にその派閥を潰した派閥、もしくは本人にあったらどうなるかなんて火を見るより明らか。嘘をつくメリットは無いよね)
脳内で色々な可能性を想像し吟味していく。伊達にリーヴァ共々、稀代の策謀家たるミトラに気に入られているだけあって、ケティルもまたこの歳にしては優れた洞察力を身に着けていた。少年の言葉、肉体の僅かな動きから言葉以外の情報を手に入れていた。
(うん。やっぱり嘘の可能性は限り無く低いわね。派閥を潰した本人、最低でもその関係者ってところね。確かめた方が良いかな……?)
「で、決闘は受けてくれるのか?」
「貴方の名前は……なんておっしゃるんですか?」
「それは決闘を受けてくれるって意味でいいのかな?」
「ええ、構いませんよ」
ケティルが何らかの意味を持って自身の名を聞こうとしていると悟り、少年は心底面白そうに笑顔を浮かべ優雅にそれでいて挑戦的に己が名を口にした。
「俺の名前はライスナー。ライスナー・ボル・ローレンツだ」
その家名は女王の近くに居る者としては、最も警戒するものだった。
「ローレンツ……ローレンツ公爵家か。あのラングバルト公爵が今の当主だったはずだな。確かに実力も権力もこれ以上は無いって言える家ではある。厄介すぎる程にな」
「ええ……それなりに有名な家名は想像してたけど、まさかローレンツが出てくるなんてね……まさかリヴァイオールでも最名家とは思っても見なかったけどね。暗剣って名前を知っている事と言いバレたのかもね」
自室に戻ったケティルは、リーヴァが戻ってくると、教室内での出来事を簡潔に説明していた。ちなみにリーヴァの方は収穫が無かった。リーヴァオールのみならず、周辺各国で畏怖される彼だが、対人での諜報能力は、その存在感の無さで並み以下であり、噂話を入手するというケティルからの願いは苦手中の苦手なのだ。
「いや、それは無いだろう。第一、俺が暗剣だと分かっているのは女王だけだぞ?今までの任務で見つかった事はほとんど無いし、見つかったとして日常生活で俺を見つけられるとは思えん」
ケティルの言葉をリーヴァは真っ向から否定する。自身の体質はリーヴァ自身が良く知っている。ちょっとやそっとの事でバレる様な軟な体質だったら、一国家の諜報組織を丸々相手にして無事で済むわけがない。探査魔法や、感知結界、精霊知覚、諜報員としてその技術が優れていればいる程、そしてその技術に自負があればある程、彼を見つけるのはより不可能になるのだから。
「リーヴァ……無理しなくて良いわよ」
「う、悪い……」
自身の正体がバレていない根拠を脳裏に浮かべ、目に見えてリーヴァの纏う気配が淀んでいく。ケティルは際限無く落ち込む己が執事に慌てる事無く、されど柔らかく包み込むようにリーヴを慰めた。
他の貴族が見ればそれは驚く様な光景なのかもしれないが、幼少の頃から一緒に過ごしている彼らからすれば互いが互いを補うのは然程珍しい事では無い。
「でも、どうする?」
「どうするも何も決闘するしかないわね。しかも五対五で……はぁ」
流水の様に煌めく蒼髪をケティルは無造作に掻き上げ頭をがっくりと下げた。その光景は先ほどのリーヴァのようである。そして、その口から洩れる言葉はリーヴァは驚かせるに足るものだった。
「五対五?ちょっと待て、どう考えても人数足りないぞ。向こうは派閥だから良いものの、こっちは二人だぞ……。……こうなったら」
「闇討ちはダメよ」
「……分かってる」
リーヴァの目がすっと細くなり、物騒な考えを脳裏に映し出すが、間髪入れずにケティルの突っ込みが入り、ぎこちなくリーヴァは誤魔化した。分かっているではなく、正確には今気付いたが正しい。そもそも暗剣――ミトラの懐刀だと疑われているのだ。そのリーヴァが何の証拠も無く決闘に参加するメンバーを闇討ちしようものなら、誰にも気づかれなかった。証拠が残らなかったというのが、リーヴァが暗剣だと暗に示してしまう。
普段のリーヴァだったらそんな事にすぐに気付いたであろうが、ケティルが絡むと途端に馬鹿になるのが、リーヴァの欠点の一つだった。
「でも本当にどうするんだ?」
「はぁ……」
再度ケティルの口から溜息が零れた。先ほどのそれよりも深い、深い溜息だった。
「まさかナスタ姉が来るとか……じゃないよな」
そんな訳は無いだろうとリーヴァは、考え得る中でも悪い部類に入るものを口にする。ナスターシャの戦闘力は九大竜族というのを差し引いても非常に高い。十九歳という若さで既に完全竜化を体得しており才能も努力、技能も十二分の才媛だ。
しかし、欠点は誰にもある。そうナスターシャにも当然、欠点はあった。
(ナスタ姉。ケティルの事となると目の前すら見えなくなるんだよなぁ)
リーヴァが思うのは非常にお門違いだが、彼女もリーヴァと同様にケティル馬鹿だった。下手をすればリーヴァ以上に。そんなナスターシャがケティルを害そうとしている者が居ると知ったら、それこそ全力で暴れかねない。現に数年前にケティルの角無しと嘲った貴族の頬を真っ向から平手をお見舞いした事もあったほどだ。
「そんなわけないでしょ?第一呼ばないわよ。そんな事をしたら最初に私達のところに来た奴なんて命の保証が出来ないわよ」
「だよな。……だったらどうする?」
「はぁ……リアニとカナデとかに出てもらうのよ」
「!?……なんであいつらなんだ」
リーヴァの表情があからさまに変わる。只でさえ面倒事なのに、何故そこに二人の友人達が出てくるのか分からなかったからだ。
「……実はね」
リーヴァに勝るとも劣らない苦々しい顔でケティルは説明をし出す。いつもの澄み切った気配とはまるで違う淀んだ気配は、これから説明する内容がロクでもないとリーヴァに告げていた。
ケティルの説明が進むたびにリーヴァの表情はケティルと同じく苦々しくなっていった。
「つまり、アデル達がケティルを勧誘したのは、二人がありもしないケティルの派閥に入っていると思ったからかって事か?……ん、そういえば五体五って、一人足りないが……あいつか?」
「そうよ……あの岩窟人の……名前はなんだっけ。……と、ともかく彼も、私の派閥に入っているって思っているみたいね。連中は……はぁ」
そう、そもそもアデル達がケティルを派閥に勧誘したのが勘違いを端に発したものだった。子爵家なら他にもまだいるし、というか伯爵家の生徒だって居る。その中で子爵家のケティルが勧誘されたのは他国からの優れた留学生と希少種族たる岩窟人を即座に派閥に組み込んだその手管を買われてのことだった。
もちろん、これは完全なる勘違いだ。ケティルは派閥なんて作っていないし、あくまで友人としての付き合いだ。
「というかそれくらい調べてから勧誘しろよ」
「本当よね。……三人には謝っておいたけど、後からお詫びしないとね」
リーヴァがザルな諜報で被る事になった面倒に溜息を吐き、ケティルはその面倒事に友人を巻き込んでしまったことに溜息を吐いた。




