あたしは別に気にしないし
てきぱきと慣れた手つきで既にミルクが注がれたカップに紅茶が注がれる。国々で作法に多少の違いがあるものの紅茶の本場と称されるリヴァイオールではポピュラーなミルクティの淹れ方であった。
「不味いぞ!紅茶もロクに淹れられないのか!?」
乱暴に紅茶が入ったままのカップが投げられ、執事服の少年にぶつかり、熱湯に近い温度が少年の服に染み込む。普通なら熱さから呻き声や、体を縮こませたりするだろうが、少年――ロウは竜人特有の強靭な皮膚と鍛え上げた精神から吐息一つすら漏らさなかった。
「申し訳ありません。淹れ直します」
「もういいっ!何度淹れても同じだ!」
紅茶をぶちまけられても苦痛の感情を浮かべず謝るロウをつまらなそうに見やると、アデルは不機嫌をより深くし乱暴に椅子から立ち上がり自室へと入っていった。
「品の無さもここに極まれりだな」
カーペットに染み込んだ紅茶をロウはしみ抜きを使って丁寧に落としていく中で、ロウでもアデルでもない声が小さく漏れた。
声の主は精霊にすら気づいてもらえない程に存在感が皆無な少年執事リーヴァ。
基本的に仏頂面の彼は何故か眉を顰めながら右肘の当りを左手で撫でていた。実はさっきアデルによってぶちまけられた紅茶が右腕にかかっていたのだ。いくらなんでも、いきなり自分の執事が淹れた紅茶をぶちまける様な貴族はいないだろうと思っていたので不意を突かれてしまった結果だった。
ただの……いや存在感が皆無という特徴以外は人の範疇に過ぎないリーヴァの皮膚が熱湯に耐えられる訳もなく少々火傷していた。
「しかし、何度淹れても同じか……あんな奴の肩を持ちたくはないが、その通りだな」
ケティルを馬鹿にする者は基本的に怨敵にも等しい扱いをするリーヴァには非常に珍しくケティルに蔑視の言葉を浴びせたアデルの意見を肯定する。
だが、別にそれはロウの事を馬鹿にしたわけでは決してない。流石にカップが空中に浮くのを見せるわけにもいかないので紅茶の味を直接確かめる事は出来ないが、リーヴァの目から見てロウの紅茶を淹れる腕は決して悪くない。
王室や一部の大貴族に仕える紅茶を淹れるのを専門とする執事には負けるだろうが、少なくともあの淹れ方で、口に含んで噴き出した上にカップを投げつける様な出来になるわけがない。
飲まずとも紅茶の香り、色からリーヴァはそう推察した。
女王に認められた紅茶の淹れ方を身に着けたリーヴァからしても、充分なレベルだろう。
だからこそ、リーヴァはアデルの言葉を肯定したのだ。アデルが言葉に振りまいた意味とは全く別の意味で、このロウと呼ばれている執事は何度紅茶を淹れようが不味くなるわけがない。
(白葉樹の椅子とテーブル、月光銀製の食器か)
葉に魔力を纏わせる珍しい木、白葉樹もルナ・ドラゴンが銀に魔力を込めることで作られる月光銀、どちらも非常に高価なものだ。特に月光銀は使っているうちに持ち主の魔力が込められていき、使えば使う程に馴染んでいくという特性があった。
細やかに魔力を込め、丁寧に扱えばより美しさに磨きがかかる素晴らしい食器なのだが、この部屋にあるそれらの食器は些か以上にその美しさを損なっていた。
「……」
それが分かっているのだろう。床にぶちまけられた紅茶を拭いた後、ロウは柔らかな手つきで乱暴に投げられたカップや、蹴倒す様に扱われた椅子を魔力を注ぐ。
(主人はアレだが……こいつ自体は劣っているというわけではなさそうだな。……というか、もし正面からまともに戦ったら勝てないな)
まさかついさっき一戦を交えた相手が己のすぐ横にいるなぞロウも夢にも思っていないだろう。
同じ執事、しかも優秀といって差支えないロウのあまりの扱いにリーヴァは思わず目頭を熱くさせた。自身と主人の関係が良好なだけにその同情もより深いものだった。
「おっと」
無言で作業を続けるロウを見ていても何の情報も得られないのでとりあえずリーヴァは、アデルが入っていった部屋に近づくが、いきなり扉が乱暴に開かれた為、脇に体を逸らした。
扉を開けたのはもちろん部屋の主アデルだ。
「おいロウ!」
「……なんでしょう?アデル様」
魔力を込めていたカップを丁寧に置くとロウは一呼吸おいてアデルに向き直る。丁寧な印象を抱かせる初対面の時と変わらぬ表情だが、それは自身の感情を押し込めたものだった。
「テスラ様にプレゼントとの準備は出来ているか!?」
「白葉樹の琥珀が用意できております」
「白葉樹の琥珀だと……ふむ、まぁ悪くは無いな」
プレゼントをどうするかと、二人が話し合っているのを頭の片隅で聞きながらリーヴァは眉間に深い皺を寄せていた。リーヴァの記憶が確かならテスラというのは雷の竜人たるフルメン・ドラゴンの侯爵家であった。
(侯爵家か……面倒だな)
伯爵家のアデルが傅くということで、派閥の盟主がある程度の位が高い事は覚悟していたが、実際に侯爵家と聞くとリーヴァのテンションも無駄に下がる。
普通に考えれば子爵家に過ぎないオーシャン家に逆らう事が出来ないだろう。
だが、ケティルも含んでオーシャン家はただで言う事を聞く様な連中では無い。ケティルの父はオーシャン家に婿入りした九大竜族には属さない竜人だが、希少竜人に数えられる巨竜人ティタヌス・ドラゴンで普段は二メートル近い体格なのだが、竜化すると城にも匹敵する巨躯を誇る怪物。
そして、ケティルの母はぽーっとした性格なのだが、女だてらに当主を務めるだけあって笑顔で数トンの水を操るリヴァイオール屈指の水使い。
爵位こそ低いもののオーシャン家は武道にも内政にも優れた家。故に軍部、宮廷に関わらず太いパイプを幾つか有している。
(きっと俺がなにかやらされるか……当主とそして女王陛下に)
オーシャン家はまだしもミトラがもしこの事を知れば、この展開を面白がって何を言い出すか分かったものではない。なにせ過去に何度も増長した貴族の鼻を定期的にへし折っているのだ。
へし折ると言っても没落までは流石にせず、適度に締め付ける程度に留めている。
これ事態はミトラにとっても面倒な事なのだが、百五十年前に腐敗した議会を浄化して一時的に全権限を手中に収めた際の忙しさに比べたら些細な事だ。一から議員を選出させ、全く新しい体制を組み上げ、それが安定し再び専制君主制に戻すまでに二十年もかかったのだ。
他の国であったなら、もっと早くに専制君主制に戻すことも出来たであろうが、痛快に腐敗しきった議員達を罷免していったミトラに対する国民の支持率はあまりにも高く、易々と彼女も退くことが出来なかった。
庶子ということもあって、大した期待もされずゆるゆると暮らしてきた彼女にとって忙しい日々は目の回る勢いだった。
女王になる時はそれはそれで忙しかったが、なってしまえば議会で提案された議題を承認すればいいだけ。食事も紅茶も美味しいし、ほぼのんびりしていればいい。
再び議会に腐敗が蔓延れば同じことをしなければならない。
それが面倒なのでミトラは多少手間が掛かっても定期的に貴族の締め付けを行っているのだ。
百五十年前を忘れるなと……まぁ結局は自分は面倒な事はしたくないということである。
「……一応報告に戻るか」
ぼそっと呟くとリーヴァは凹む気分のまま、アデルとロウの部屋を後にした。
「侯爵家ねぇ……やっぱりボーデン先輩が言ってた人みたいねぇ。ん?ハーブティも美味しいわね」
十時頃、深夜になるかならないかの時間にリーヴァは部屋に戻ってきていた。
もう少し諜報活動に精を出しても良かったのだが、アデルがテスラという人物に贈る物から推察するに女性の可能性が高いため、それ以上諜報活動をしていいものかどうか確認に戻ってきたのだ。
リーヴァが下手に女性の部屋に入ったことがケティルにバレれば、それだけで何をされるか分かったものでは無い。一度女王の命で女王付きの侍女の一人の素性を探っていたことがバレた時には一週間口をきいてもらえなかったのだ。
人に無視されても平然としているリーヴァだが、ケティルに無視されるのは耐え難い苦行なのだ。
「それは俺が屋敷で栽培したもんだからな……ってそうじゃない。どうするんだ?」
「どうするもなにも……目に余るようなことをするなら、学園に言うわ。派閥は禁止されてないけど、それはあくまでも生徒個人の力で作ったものに限るってのが、アカメディア学園の特徴だし。まぁそれをさせない為に、親の地位を使って嫌がらせしてるんでしょうけどね。あたしは別に気にしないし」
「でも、なんでお嬢に声をかけたんだ?……まさか」
ある可能性に気付きリーヴァの目付きが突然鋭くなる。
「……女王様とコネがあるってバレた。って考えてる?」
前半を真剣に、後半部をやや冗談めくようにケティルは囁いた。
それにリーヴァはただ首肯する。
「それは無いわね。女王様とコネがあるなんて分かってたらあんな強引な……というかあんな馬鹿を寄越さないでしょう?」
「それもそうか……だとすると余計にお嬢を誘った理由は一体……」
放課後、アデルが侮辱した様に角無しと言うのは、他の竜人はともかくとして九大竜族……特に貴族階級にある者の間ではあって当然の様に扱われている。力あるものの象徴とまではいかないが、ある程度の力は持っているという証明にはなるからだ。
にも関わらず角無しであるケティルが何故、派閥に誘われた……というか加入を強制されたのかリーヴァには見当がつかなかった。
「分からない?まぁ簡単な理由かな。あたしがというよりオーシャン家が子爵家だからでしょうね」
「ん?……あぁそういうことか」
ようやく得心が言ったとリーヴァは大きく頷いた。
「貴族階級のものが多ければ多い程、派閥としての力が上がるからか」
「ええ、子爵家は決して位が高いわけじゃないけど、九大竜族と言う点で言えばそうでない子爵家よりは位は上だしね。でも爵位にモノを言わせた派閥を作りたければリュケイオン学院にでも行けばいいのに」
やれやれと頭を掻きながらケティルは溜息を吐いた。
リュケイオン学院とは王都に幾つかある高等教育部に属する学校の一つで、アカメディア学園と双璧をなすとまで言われる名門校。
厳格な貴族教育を旨とし、生徒は在学中から徹底した礼儀作法を叩き込まれる。
それだけでもアカメディア学園とは大きな違いであるが、特に違うと言われているのが派閥の有り方だと言われていた。
あくまで個人の力で派閥を作るのを旨とするのがアカメディア学園なら、家柄、親の爵位をもって派閥を作れるのがリュケイオン学院だ。学生の内から自身の立ち位置をしっかりと理解させるのが目的であり、家々の次期当主の長男やそれらの男子生徒達に見初められようと下級貴族の少女達も多く通っている。
「名門、名家はリュケイオンに行く可能性は高い。確実に派閥を作りたかったのかもな」
九大竜族で伯爵家なら派閥の当主になるのも難しくは無いだろうが確実ではない。ならば名門貴族が相対的に少ないアカメディア学園に入学した方が派閥は作りやすい……とアデルが属する派閥の盟主がそう考えたのではとリーヴァは考察した。
「……お嬢の言う通り、教師側に知らせるか。嫌がらせが増えると面倒だ」
「そうね。女王様に知られたら可哀そうね。きっとぺちゃんこになるまで弄られるわよ……その侯爵家」
今まで調子に乗った貴族が異様に腰が低くなるまでに弄られたのを思い出し、派閥がうんぬんでそこまでの目に合せるのは酷だろうと二人は渋い顔をした。
今年の投稿はこれが最後になります。
良いお年を。




