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半鐘を鳴らす手

俺たちは現状維持に気を配りつつ、横目で今井の姿を追う。

今井は疾走し、敢闘門そばまでたどり着いた。だが自転車はタイヤを擦りつつ、壁に激突する。

 今井は落車して転がった。

俺たちの自転車、ピストにはブレーキが付いてない。今の状況下では壁に当たって止まるしかなかった。ここまでは今井も計算していたはずだ。しかし、アイツは運がなかった。

 落車したときに足をひねったらしい。

「今井!」

「いま行くぞ、今井!」

 俺と立川さんは叫んだ。 

俺たちは裏切り者であろうと、今井を助けたかった。

危険を承知で、打撃の手を一方向に集中する。俺たちはわずかに今井に近づいた。だが、痛みを感じない様子のゾンビたちが、すぐに立ちふさがる。 

今井は立ち上がったが、のろのろとびっこを引きながら門へ向かう。

 そこを黒服の運営員に捕まった。さらに、赤シャツの競輪選手が今井の肩を押さえ、肉に噛み付く。

 そばの階段から、破れたスーツを着た者や、他の競輪選手が上がってきて、今井に群がった。一度捕まれば終わりだ。

「うわぁあああああっ!」

 今井の絶叫が響き渡る。

 俺たちの周りのゾンビが、それを耳にしてよだれをたらし、注意を今井に向けた。

 立川さんが声を張る。

「今井の犠牲を無駄にするな! 一発食らわしたあと、門までダッシュだ!」

 立川さんは、今井の裏切りを美談に変えた。細かいことにこだわる必要はない。

 俺は号令を出した。

「いまだ!」

 俺たちは自転車を振るい、レンチで殴りつけ、最初の囲みを突破した。

 俺たちは駆ける。

 進路上に存在するゾンビは、こちらか今井か躊躇した隙に殴り飛ばす。

 うまく行っている。今井の新鮮な血の臭いが、奴らをかく乱しているに違いない。

 ゾンビたちが群がり咀嚼する、今井の近くを通り過ぎた。今井はひどい有様だった。首が外されていたので、もう蘇ることもないのかもしれない。

 貪欲な二体のゾンビが、俺たちを目にして立ち上がった。他に追ってくる者もいた。

 だが、その時俺はたどり着いていた。

 白く輝く敢闘門に。

 俺の背後で、村田がゾンビを打ち据えながら言った。

「開けろ、知己島!」

 敢闘門には、目の高さの位置に外を覗ける隙間が付いている。

 だから俺には見えていた。

 それでも俺は敢闘門の右半分を引き開けた。

 そして、絶望とともに呟くしかなかった。

「もう……逃げ場がない……」

 強烈な腐敗臭が鼻をつきぬける。

 バンクを取り巻く無人のはずの観客席には、おびただしい数の生ける死者がうろついていた。目の前の競技バンクはドームの二階にあり、その内側はすっぽりと抜けている。床が一階にあるアリーナだ。そこも爛れ傷ついたゾンビたちでいっぱいだった。

 俺たちの晴れ舞台、バンクの上も。

 そこかしこに小さな群れができ、競輪選手や審判員が、倒れた仲間を喰らっていた。

 誰がドームへの入り口を開けたのかは、もはや問題じゃなかった。

 この北九州メディアドームの外、小倉北区の市街は、すでに奴らが溢れているのだった。

 俺たちが宿舎に入ったころには、静かに始まっていたに違いない。

 小倉では暴力事件が多くなっているようだから気をつけろ、と注意されていた。

 俺は、いつものことだと気にしなかったが、それは前兆だったのかもしれない。

 今晩、この今、臨界点に達し、迸るように街を支配した腐敗と飢餓の。

 どよめきのような唸り声がドームを満たしているせいで、気付くのが遅れた。

 俺は唐突に左足をつかまれ、アキレス腱を食いちぎられた。

 足のないゾンビが、敢闘門の裏側に潜んでいたのだった。

「畜生が!」

 俺は激痛が襲ってくる前に、そいつの頭を蹴り飛ばした。身体を支えきれずに倒れる。

「よくも知己島を!」

村田が横に飛び出してきて、フレームでその頭を刺し貫いた。

 俺は左足全体に広がる痛みに起き上がれず、脂汗をかいてうめく。

 立川さんと安達が飛び出してきて、門の左右に回る。門を閉じ、端から押さえて開かないようにした。

 村田が肩を貸して立たせてくれた。

「しっかりしろ、一口やられただけだ!」

「ああ、ああ」

 俺はなんとか答えたが、痛みは左半身に広がり、痺れかけていた。こんなのは普通じゃない。もう、長くはないと直感した。

 敢闘門が内側から激しく連打される。

 門を押さえながら、立川さんが言う。

「どうする? 外も奴らでいっぱいだ、逃げ場がない!」

「でも、外に出ないと助かりません!」

 村田が怒鳴り返した。

 敢闘門がたわみ始め、安達が悲鳴のような声を出す。

「ここも、もう持ちません!」

 この騒ぎで、バンク上でもこっちに気付いたゾンビが出てきた。

 俺は言った。

「やづらがきづいだ……」

 自分の言葉に衝撃を受けた。口が回らなくなっている。

 立川さんが諦めたように門から離れた。

「ここはダメだ。バンクのほうに下がろう。安達、離れろ!」

 俺たち四人は再び固まり、周囲に目を配りながら、ゾンビのいない方、バンクの内側へ移動していった。

 俺は村田に支えられてついていく。

「ふんばれ、知己島。俺たちは助かる、助かる……」

 村田の励ましが、俺の意識をつなぎ止めていた。村田は頼りがいのある奴だ。うまそうな腕をしているだけはある。

 俺は一瞬の連想を打ち消した。

「うぐぅぅぅぅ……」

 唸って人間の魂を奮い起こす。友情を思い出す。

 バンクを横切ったところで立川さんが動きを止め、小声で言った。

「……どこへ……行く?」

 俺たちはバンクの内側で追い詰められていた。血まみれの腐りかけた奴らにぐるりと囲まれ、そいつらが呻きとともに輪をせばめてくる。

 敢闘門もこじ開けられ、中からゾンビたちが溢れ出す。

 奴らにも感情の名残りがあるのだろうか。俺たちに逃れる術がないと知り、まるでこの状況を楽しんでいるように、ゆっくりと近づいてくる。

 このままでは誰も助からない。

俺は決意した。

「お、おでがおどりに……なる!」

 そう言って振り上げたレンチが固いものにあたり、甲高い音が響いた。

 レンチが、釣鐘型の半鐘に当たっていた。小倉競輪場だった時代から引き継がれ、中央が虹を意味する五色、アルカンシェルに塗られた半鐘は、俺の後ろに吊り下げられていた。

 その音が鳴り渡った瞬間、生ける死者たちの唸りが止み、動きが止まった。

 俺たちも息を呑む。

 それから、俺の頭がまだ機能することを、何かに感謝した。

 俺はレンチで半鐘を続けざまに打ち鳴らした。ちょうどレースで最後の一周が始まるときのように。

「ヴおおっ、ヴホッ……」

「オオオッ、ボホォ……」

 半鐘の響きに連れて、ゾンビたちに動揺が走る。俺たちに対する興味をそがれたように、濁った目で辺りを見回している。

 俺はさらにレンチを振るった。

「ヴホッ、ヴオオオッ」

 口々に喘ぎながら、元競輪選手だった屍たちが、とうとう自転車に手をかけ始める。

 そして生前とは比べられない拙さだったが、自転車でバンクをよろよろと走り始めた。

「オオオオオッ!」

 足が完全じゃなくなっている者たちは、地面を叩きながら悔しそうに唸る。

「どういうこった……」

「何をした、知己島?」

 安達と立川さんが呆然と呟く。

 俺には分かっていた。失くしかけの人間性からの最後の贈り物に違いない。

 周囲に存在する腐りかけの者たちは、死してなお、このメディアドームに引き寄せられてきた。生前は相当な競輪好きだったはずだ。

 さらに競輪関係者なら、この鐘の音を聞いて奮い立たないわけがなかった。

 溶けかけの脳から、魂の残渣を蘇らせる。

 かき鳴らされるジャンの連打には、その力があったのだ。

 俺の身体からは痛みが消え失せ、ふわふわとした麻痺感に包まれていた。ただ、飢えと乾きだけがだんだんと募ってくる。

 もう自力で立っていられるので、村田の腕を振りほどいて言った。

「むらだ……」

 半鐘の音で聞こえなかったらしく、村田は顔を近づけてきた。思わず、よだれが湧いてくる。俺はこちら側に踏みとどまりながら言葉をつむぐ。

「むらだ、いまならいげる……じか通路から宿舎に逃げろ……おではのごる……」

 敢闘門からは、残った競輪選手が自転車で出てきてバンクを走り始めていた。運営員やスーツを着た関係者の何人かも自転車に乗っている。彼らも観衆の見守るバンクを走りたかったのだろう。

 他のゾンビたちは低くのどを鳴らしながら、よろよろと走る自転車を惚けたように見つめる。

 村田が肩をつかんできた。

「知己島、おまえをおいていけるか!」

 俺はもう、いつまで喋れるか分からない。

 半分だけ欲望に従い、歯をむき出して言った。

「おまえを食いだい」

 村田は一瞬目を見開き、それから後ろを振り返って、安達と立川さんに何事か伝えた。

 半鐘の音と死者の唸りが混ざる中、安達が無言で俺に頭を下げた。立川さんは目を閉じ、俺に向かって合掌する。

 村田が大声で訊いてきた。

「最後にできることはないか、知己島」

 俺の飢えは限界に近かった。正直に言わずにいられなかった。

「腕を一本おいでいげ……ゆびざきでもいい……ちょっどでいいんだ……」

 村田はうつむき、目からうまそうな汁を流しながら言った。

「腕はやれん、知己島。だが、おまえのことは一生忘れない!」

「そうが……いげ……」

 俺は心底がっかりしたが、まだ分別はわずかに残っていた。

 村田は口元を押さえながら、安達と立川さんを促して敢闘門へ向かった。

 ゾンビたちは目もくれない。

 俺の肉たちが遠ざかっていく。俺の肉、俺の大事な肉……だからこそ守らなければならない。俺は欲望と魂の狭間で叫んだ。

「ヴぉおおおおおおおおッ!」

 首をのけぞらせて叫びながら、必死に半鐘を叩き続けた。

 腐りかけの観衆が見守るなか、血みどろで傷だらけのレーサーたちがバンクを回る。膿と内臓をこぼしながら。

 村田たちがどうなるのか分からない。

 だが、俺は続けなければならなかった。

 このメディアドームで最後の競輪を。おそらく北九州で最後の競輪を。

 もしかしたら、地上で最後かもしれないミッドナイト競輪を。

 この半鐘を鳴らす手が、腐り落ちるまで。

 すべてが無害に腐り果てるまで……。



「半鐘を鳴らす手」もしくは「ミッドナイト競輪of The Dead」完


事は雑談から始まり、行ったこともない北九州を舞台に書くことになりました。

だって、「福岡だったらさー、福岡ドームをゾンビで一杯にするような話がかえるんだけどさー」なんて言ったら「北九にもドームありますよ!」って紹介されてさらに「ゾンビでもいいですから書いてください」とまで言われては、書かずにおれんでしょう?

おかげで二つの初体験をできました。

行ったことのない実在の場所を、ネット取材のみで舞台にすること。

そして、とにかくゾンビ。

楽しかったでぃす!

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