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敢闘門へ

 近藤さんの体が痙攣しながら崩れていく。頚動脈を齧り取られては、もう意識はないだろう。今、この場では助けるすべもない。

 近藤さんは死んだ。

 だが、彼が言ったことは正しい。ゾンビの数がどれほどか分からないにしろ、出入り口を押さえられたら、俺たちは助けを待って篭城するのも難しい。それはあまりに絶望的だ。打って出るしかなかった。

 俺は安達を襲った検車員にもう一撃、自転車を振るい下ろしてから言った。

「安達、タイミングを見て俺に続け! ここを出る」

 自転車を槍のように腰だめで構える。目標は出入り口に座り込み、近藤さんの顔を齧っている年配の店員だ。

 開いている扉からは、検車場の広がりが見えた。無人だ。

「全員こっちだ! うおおおおおっ!」

 俺は雄たけびを上げて突っ込んだ。

 自転車の前輪が女店員の上体をとらえ、弾き飛ばす。俺は、その横を通過したあとに振り返り、さらに自転車を横振りして追撃する。

 女店員は転がり、柵状の自転車立てにぶつかった。

 出入り口からは、安達と今井が飛び出してきた。立川さんも続く。

 立川さんは出入り口の上に腕を伸ばしながら、ローラー室の中へ怒鳴った。

「村田、もういい! 防火シャッターをおろす!」

 俺の目の前では、首を振るって店員が立ち上がり、襲いかかってくるところだった。危険を承知の上でこいつを立たせた。立川さんと村田なら上手くやってくれると信じて。

「コイツも中へ!」

 俺はそう言いながら自転車で横殴りし、店員を出入り口のほうへ突き飛ばした。

 ちょうど出てきた村田とゾンビ店員が、出入り口で鉢合わせする。

 村田は一瞬ぎょっとしたものの、すぐに反応した。発達した太ももから前蹴りを繰り出し、店員もローラー室の中へ追いやる。

 立川さんが防火シャッターを下ろす。安達と今井が、近藤さんの遺体をこちら側へ引き出そうとしたが、それより早く中へ引き込まれてしまった。シャッターは冷厳に閉じられ、留め金をかけられた。

 俺たちは息もつかずに、周囲に視線を巡らせる。

 検車場は、直径一メートル以上の円柱数本によって支えられている、白い壁の広い空間だ。広場のあちこちには水色に塗られた自転車立てがあり、壁際に設置された棚には空気入れなどの工具が備えられている。

 さらに天井から吊るされている自転車も、まだ十台以上あった。

 今のところ、人影はない。

 俺たちは、やっと一息つくことができた。

 閉じたばかりのシャッターの向こうも静かだった。

 今井が眉根を寄せ、床の血溜まりを見つめながら呟く。

「近藤さん……今頃、奴らは……」

 確かに、そういうことだろう。奴らは近藤さんを晩餐にすることで夢中に違いない。

 しかし、俺たちがローラー室に篭っていたのは三十分がいいところだ。そのあいだに何が起こったのか?

 村田があごひげを擦りながら、俺と同じ疑問を口にした。

「まるで夢を見ているようだ。何が起きたんだ、この短時間に……」

「何が起きたかはともかく、まだ油断するのは早い。問題は、向こうだ」

 立川さんが言いながら親指で指し示す。

 血溜まりがあった。

検車場はその一角から通路上になって伸びている。扉などには区切られていない。短い上りのスロープと平坦な通路、二つの道がある。

スロープを上がると出走前控え室で、その先には白い敢闘門がある。出走前控え室の横で最終的な検車が行われるため、便宜上そこまでを検車場と呼んでいる。

平坦な通路の方は、ドームの他の区画へと続き、途中に管理室への出入り口がある。管理室とは控え室の別称で、俺たちは床に毛布などを敷き、レース当日においては一番多くの時間をそこで過ごす。

 立川さんは苦々しげに続けた。

「あそこで黒丸はやられていた。敢闘門か管理室か、あいつがどっちに向かおうとしたのか分からない。分かれ道の手前で倒れ、食われていたんだ。三人の競輪選手にな! そこへスロープの上からあの検車員たちが現れ、もっと新鮮な獲物を見つけて追ってきたというわけだ」

 安達がおずおずと尋ねる。

「黒丸の……その、遺体はどこに……?」

 立川さんはかぶりを振った。

「分からんな。だがこれだけは確実だ。向こうには……いる!」

敢闘門近くにはレースを控えた十四人の選手に加え、運営員、関係者、テレビクルー。管理室にはレース三つ分の選手、二十一人はいたはずだ。なのに、俺たちへ異常を知らせに来る者は一人としていなかった。

事態は静かに始まり、速やかに人々を圧倒したのだ。俺たちは運が良かったのかもしれない。まだ生き残っているのだから。

 俺は壁ぎわの工具棚に向かいながら言った。

「もう俺たちはゾンビと壁一枚さえ隔てていない。何人いるか知らないが、奴らを突破しなくちゃならないんだ。得物を探そう」

 そして、四十センチほどのレンチを片手に取った。ここにある工具の中では一番長さがあるものだった。

 安達が、誰のものか分からない自転車を自転車立てから外して言う。

「俺はやっぱりピストにするぜ」

 それも手だ。取り回しは悪いが、最も重要な長さがある。

 村田は前輪と後輪の外された、自転車のフレームだけになったものを見つけて言う。

「俺はこれにするわ」

 今井はため息混じりに自転車立てから自転車を外した。

 立川さんが俺と同じレンチを手に取った。

「俺と知己島はトドメを刺す係だ。そんな余裕があれば、だが」

 村田がフレームの持ち方をあれこれ試しながら言う。

「どこへ向かうんだ? 観客がゼロとはいえ、ドームの中にはまだ数百人いるはずだ。生き残りにこのことを知らせてやろう」

 俺は静かに言った。

「よそう、村田。これがどこから始まったのか俺たちには分かってない。俺たちがそうされたように、俺たちも自分の生き残りを最優先するんだ。ドームを脱出する」

 今井が訊いてくる。

「どこから出るんですか?」

 ここからだと近い道は二つ。管理室から地下通路を通り宿舎へ出るか、敢闘門からバンクに出るか。バンクに出ればアリーナの搬入口を抜けてもいいし、観客席からメインエントランスへ出ることもできる。他の関係者出入り口へは、遠いうえに入り組んだ通路を行かなければならない。

 俺は提案してみた。

「バンクに出よう。脱出口の選択肢が増える。観客はいないし、広い。足で逃げ切れる」

 だが、賛否を聞く時間はなかった。

 安達がうわずった声で小さく叫ぶ。

「く、黒丸……?!」

 みなが安達の視線を追った。

 ちょうど通路状の部分が始まるところ、床の色が緑から青に変わる場所に、黄色いシャツの黒丸がいた。

 黒丸は両腕と両足を失い、短くなった四肢で這っていた。

 片目を失った顔をのけぞらせて、唸り声を上げる。

「ヴぉおおおおおッ!」

 その途端、ローラー室を隔てている防火シャッターも、内側からガシャガシャと打ち鳴らされる。

 黒丸はすでに向こう側の存在だった。

やつらがどれほど連携をしてくるのか分からない。けれども、俺たちに猶予がなくなったのは確かだった。

「バンクに出るぞ! 全員、敢闘門へ!」

 立川さんの号令と共に、俺たちはそれぞれの得物を持って走り出した。

「黒丸ッ!」

 這い寄る黒丸を安達が自転車で張り飛ばし、俺たちはスロープの上り口に達した。

 スロープを上がった先の広場には赤い円柱が並び、自転車立てとベンチが設置されている。その左側の奥がバンクへの扉、敢闘門だ。 右側は、柵と段差で隔てられている平坦な通路が続き、管理室がある。

敢闘門近くまでと、管理室の出入り口までが見渡せた。

 敢闘門までのあいだに十体、段差の下の通路には十体以上いる。

 ヘッドセットを付けた運営員に、スーツを着た関係者、それに色とりどりのシャツを着た競輪選手。誰もが致命傷を負い、血だらけで腐りかけていた。

 競輪選手は、出走予定者の数に比べるとずっと少ない。だが、顔見知りばかりだった。

 山田、森、平瀬、秋田、山口、高田、糸久……みんな腐っちまいやがって!

「うおおおおおおッ!」

 俺たちは雄たけびを上げ、全員一丸となって突進した。

 スロープを登りきった場所に一体立っていた。

そのゾンビを、村田が自転車のフレームでなぎ払う。ゾンビはもんどり打って、下の通路に転げ落ちた。

「ヴォオオオオオッ!」

「ヴォオオオオオッ!」

 敢闘門周辺にいたゾンビたちが俺たちに気付き、よたよたと走り寄ってくる。

 俺は叫んだ。

「怯むな! バンクに出ればこっちの勝ちだ、ゾンビを下の通路に叩き落とせ!」

 安達と村田が自転車とフレームを振り回す。ゾンビの腐った肌をこそぎ落としながら、下の通路に落とそうと苦闘する。

 俺と立川さんはレンチを振るい、下の通路から柵を越えて上ってくるゾンビを叩き落とそうとしていた。

 腐敗臭のなか、じりじりと進んでいるものの、腐肉の包囲は厚かった。

 村田が大声で言った。

「寄せ付けないのがやっとだ! このままじゃ……」

 安達も喘ぎながら叫ぶ。

「コイツら足腰がしっかりしてて上手くいかない!」

 くそ、人手が足りない。

 ……そういえば、今井はどこだ?

 俺が今井の身を案じはじめた時、背後からリズミカルにペダルを回す音が聞こえた。

 自転車が猛烈なスピードで、俺たちから離れた場所を通り過ぎていく。

 今井だった。

 今井め、最初から後ろにいたのか! 俺たちを囮にするつもりで!

 ゾンビに囲まれた俺たちなど意に介さず、今井の自転車はまっすぐ敢闘門へ向かっていった。


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