第十三層 目撃・密会
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そうして彼は知るのだ。
誰よりも先に知らなければならなかったものを。
得られなかったそれに羨望を抱きながら、
彼はそれを護りたいと思うのだ。
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「…はい?」
ぴったりと窓にはまる格好になっている俺のことを、してやったりといった瞳が見上げていた。いつの間にか、ベッドに仰向けになっていた女性は、その瞳を俺に集中させている。
「あ、いや、おれは、その、怪しいもんじゃ…」
「窓から侵入しておいて、怪しい者ではないと言うのね?」
おっとりした喋り方の女性は、くすりと笑った。
「あ〜…怪しいですけど…その、危害を加えようとか、そういうつもりは全く無くて、これはその…」
落ち着いた雰囲気を持つ女性は、その透き通るような髪を右の肩の辺りで緩く束ね、残りの先を前に垂らしながらベッドを降りる。そして壁際に置かれた古い椅子に腰掛けながら手招きをした。
「ええ。分かっていますよ、悪意がないことくらい。あなたからは、そのような雰囲気は微塵も感じられませんもの。どうぞ、中へ…大きな小鳥さん」
俺は何故か子どもがいたずらを優しく咎められたような気分になり、慌ててベッドを飛び越え、部屋の中央に降り立った。
「あら、小猿さんだったのかしら?」
くすくすと笑う女性は、見かけよりも年月を経ているような雰囲気がある。
というか、なんだこの貴族のようなセリフは。ここは他の国か?
「あなたのお名前は?」
「ぼ、ぼくは…」
いやいやいや、俺。なに『ぼく』とか言ってんだ? 気色悪いぜ、おい。
「お…俺は! …コウです」
フェリスと名乗っていいものなのかを考え、先ほど盗み聞いた話から名乗らないほうがいいと告げなかった。そのことについては何も聞くこともなく、彼女はそう、と相槌を打った。
「あんた…いや、貴女は?」
「いいのよ、無理をしなくても。使い慣れていない言葉はやめたほうがいいわ。心を乱すから」
不思議な女性だった。不思議な雰囲気を持つ女性だった。何もかもを見透かしたような物腰で、だけれど全てを受け入れているような…
「私はランというのよ、コウくん。よろしくね」
ランと名乗った女性は右手を差し出してきた。
「ここでは握手は無礼になるんじゃないのか?」
「…? ああ…男性の側から女性に手を差し出すことは、少し戸惑われるわね」
俺は何故だろうと考えながら左手を差し出す。…当然、握手は出来ない。
「ごめんなさい、右手は駄目なんだ」
自然とそんな言葉がついて出た。ランさんは気を悪くするどころかにっこり笑って、左手を差し出して握手をした。
―包帯をしているとはいえ、最近サボりがちだからな…。
ランさんは俺に床に座るように促した。敷物が無いことを詫びる言葉を添えて。
「なんでこんなところにいるんだ?」
時間もないことだし、少し悪いけれど…訊くことにしよう。
「それを知らないなら、なぜここに来たの?」
質問が質問で返された。確かにそうだ。一応不法侵入だし、それなりの理由は必要になるだろう。
「えっと…保護者役において帰られたからここに泊まることになって…環境が変わるとあんまり眠れなくて、城を彷徨っていたらこんなところに出て…ここを見つけたんだけど、扉からは入れそうに無かったから、窓から入ってみた」
自分で言うのもなんだが、嘘だとすぐにバレるな。
すべてウソというわけじゃないけれど。
「そう」
…信じてます? もしかして。
「それで、本当は?」
あ、やっぱり無理だったか。
どうしたものかと考えていると、ランさんは俺を…正確には、俺の胸元を見ていた。その視線をたどると、その先は赤く輝いている。
「あ…いや、これは、その…」
「それ…誰のものなの?」
「え?」
ランさんの瞳は先ほどまでとは違い、真剣そのものだ。どうしようにも、他に答えは持ち合わせていない。
「俺のものだ。第三階層街…この下の階層街騎士ギルドに居たホーランドってやつから貰った」
「名前は? その人の」
彼女は何故か必死になっている。それは追い詰められた動物のように、ともすれば反撃に出そうな勢いもある。
「…リ…リ〜…」
「リカリア、ね?」
「そ、そうそう。そんな名前」
「貴方の名前は?」
…さて、どうしようか。
俺はどうしようか本気で迷った挙句、口を開いた。
「…コウ・フェリス」
2
夜が明けてリチャードの部屋に戻ると、ドアをノックする。
「俺だ、コウ」
小さい声で囁くように言うと、慌てたような物音の後にドアが少し開いた。どう考えても、入ることの出来るような隙間ではない。中から覗いた瞳がユウのもので、怯えたような色が窺える。
「あ、は…はい、少しお待ちください」
がたんと音がして、ドアは開かれたものの…最小限だ。
俺がするりと中に入ると、すぐにドアは閉められ、椅子が幾つか置かれた。そんなことしても、進入できるだろうに。
少年はそふぁに座っていた。二人とも顔が青い。
「…どうした? なんかあったのか?」
問いかけても、帰ってくるのは沈黙だけだった。
「まぁ、いいか。なぁ、ユウ。少し話があるんだけど」
「何の話だ?」
暴君の息子は、険しい表情で俺を睨みつけていた。それには、さすがのユウも驚いている。
「何って、お前には関係ないことだ」
「主に関係ない話? そんなものはない。僕にも聞かせられないなら、話しかけるな」
昨日とはまるで別人のように冷たい。何があったんだ、こいつら?
「俺はいいけど、ユウが困ると思うぜ」
「私、ですか?」
ドアの近くに立っている俺とユウ、部屋の中央にあるそふぁに座っているリチャード。少年に聞こえないくらいの小さな声で、ユウに囁く。
「…っ…」
声に出さずに驚いた少女は、俺を見上げる。その様子を見ていたリチャードが立ち上がるが、先に行動したのはユウだった。
主に向けて、頭を下げる。
「すみません、リチャード様。その話を二人ですること、お許しください」
「ユウ!」
「大切なことなのです。私の存在をかけてもいいくらいに」
ユウはいつもの柔らかい雰囲気ではなく、真剣な眼差しをリチャードに向けた。どことなく、誰かに似ている。
その意味は理解できな様子だったが、しかめた顔をそのままに首を立てに振った。
「五分だ。それ以上は認めない」
「ありがとうございます」
そしてふわりと微笑む。その存在だけで癒しを作る、とはこういうことを言うのか?
「まさか、貴方が…気付きませんでした」
「俺自身も、思い出せないでいるんだけどな」
周りが勝手に盛り上がっているだけで。俺は、なにもわからない。
「リカリア様からは何か指示がおありですか?」
「七人の『仲間』を見つけろ、目印はこのコインだ、くらいか」
「…あの人は…」
呆れたように笑うと、首にかけていた紐を引っ張る。その先に、小さな辺だけの立方体が付いていた。
「これを見て、何か思い出せませんか?」
その中心にある透明な緑の揺らめき、そしてその奥にあるユウの瞳と髪が黄緑色に染まる。
―目の前にあるのは、見たことの無い見慣れた部屋。
―目の前に居るのは、横たわる紅の髪の女性。
―目の前に居るのは、女性に縋って泣くもう一人の女性。
『ねぇさま…姉さま!』
―何故だ。思い出せ。
『私が、私が…っ』
―こんなこと誰も望まなかったはずでは?
―争いはまた繰り返すだろう。
―ああ…また、歴史の犠牲が出た。
「いっ…」
突然の頭痛に、頭を抱えて座り込む。
なんだったんだ、今のは…?
「主…ただ1人のあるじ」
ユウはそんなことを言いながら、俺に視線を合わせる。
「リカリア様にお伝えください。流龍はいつでもお力になると」
次の瞬間、その瞳から黄緑の色が抜けると目の前で力が抜けたように倒れこむ。
俺は急いで抱きとめようとしたが、つま先だけで体重を支えていたために対応しきれず…
「おい、もう五分…って、何してるんだ!?」
丁度ユウが俺に覆いかぶさるように気絶しているために、何の言い訳も立たない。というか、トラブルばっかり俺に持ち込むな!!
「お前もうユウに近付くことは禁止だ!!!」