第十層 少年
0
先へ続く大事な一歩
彼はそれを大きく昇ることによって先を急いだ
それは必ず終わると信じて
終わることのない一歩が
始まったのだった
1
面会が終わって少年が案内した場所は風呂場だった。
少年を支えたジルは体勢を崩さざるを得ず、少年が持ってきていた飲み物が俺に降り注いだからだ。
―こんなことなら、支えようと駆け出さずにいればよかった。
「あの、すみません。そそっかしいもので」
少年はしきりに恐縮している。タオルと変えの着替えを持ち、城で働くやつらが使うのだという風呂の脱衣所に籠を置き、その中に持っていたものを置く。
「いや、俺は別に、いいんだけどさ」
こんなことには、慣れているといえば慣れている。一番酷かったのが、知が−
…いや。なんでもない。何でも、ないんだ。
「…? どうかなさいましたか?」
いきなり黙り込んだ俺に、不思議そうに問いかける少年。
そういえば、名前を聞いていなかった。
「名前、なんていうんだ?」
「え。あ〜…はい、ユウと申します」
「ユウ…か。俺は…コウ。コウ・フェリス。よろしくな」
「え、え? あ、はい」
俺が差し出した手を困ったように眺める。
「えっと」
「どうしたんだよ? 挨拶だぞ?」
…もしかして、この階層街ではマナー違反なのだろうか?
住む場所と環境が違えば様式も違う…そうジルが言っていたことを思い出す。
まぁ、握手しないならしないで。
俺は腰の帯を外し、両手を交差させる格好で服の裾を持って着ていた服を上げる。と、ユウは慌てて背中を向けなにやら迷った挙句、「あ〜…」とか「う〜…」とか唸ってからぽそりと小さい声でつぶやいた。
「あの、私、実は、女、です…」
「…え?」
今、何て?
「私、実は女なんです…証明しろと言われれば、えっと、服、脱ぎますけど…」
…え、え? いやいやいや、ちょっと待て。落ち着け俺。
俺は顔の半分を服で隠した状態でじっと見つめる。
………………………………
……………………
…………
そういわれれば、そういう気がする。
女だと言われれば、そんな気がする。
服装は、俺と同じだけど。
だから少年と判断したんだけど。
というか、こいつ…滅茶苦茶わけの分からない発言しなかったか?
「えっと、証明…します?」
「ま、まて、早まるな? 話せば分かる!」
俺は慌てた。
そりゃもう慌てた。
こんなことが知にばれたら−
…ってだから、あいつは関係ないんだって。
「いい、大丈夫。信じる。おっけー?」
「はい」
こくんと頷く。よし、これで変なやつにされずに済んだ。
「とにかく。俺身体流すから」
「では、私がお背中を流させていただきますね?」
「…はい?」
何でそうなる。
というか…こいつ、俺に構っている暇があるのだろうか?
「お前、ここで働いてるんだろ?」
「はい」
「こんなところにいて良いのか? あのジジイに怒鳴られんぜ?」
俺は服を脱ぎ―右腕全てを覆う包帯は外さないことにして―持ってきてあったうちの一枚のタオルを腰に巻くと風呂場へと歩く。
「私の主人はただいま学校へ行っておりますから。それに、その間にしておくことは済ませてありますので」
パタパタと付いてくる足音。俺は扉の前で止まる。
「いや、って言うか…」
と、その先を言おうとしたところで―
「あぅっ!?」
その声で振り返ると、なぜか籠に引っかかって転んだユウがこちらに倒れてきて、あろうことか空を切るはずの手は俺の腰のタオルを掴んで―
「ちょ、っと、おい!」
いやいや、何だそのベタな展開。転ぶなよ、そんなところで。
「いたい…」
ユウが顔を上げる。ユウの手には、いつの間にかタオルが握られていて…
―あ、なんか嫌な予感。
「…………っ!!?」
驚いたユウは手にあったタオルを俺に投げつけ、顔を両手で覆った。耳が真っ赤になっている。
叫ばなかったことは、褒めてやろう。…いや、叫ばれても叫ばれなくても、ショックだ…なんか。
「ご、ごめんっ」
俺は急いでタオルを掴んで風呂場に駆け込む。
…災難続きだな、俺。
2
俺は無事に―結局背中を流してもらったが―風呂に入り、ユウのものだと言う騎士見習いの服を借りた。サイズがほとんど変わらなかったのには、なんというか…ちょっと落ち込んだ。
「ご、ごめんなさい」
ユウはまだ謝っている。これで39回目だ。
「大丈夫だよ。それより、ジルはどこにいるんだ?」
「…はい、フェリス様は…コウをよろしくと言って一度騎士ギルドへとお戻りになられました」
「俺を置いて?」
「そうなる、かと」
あいつ…俺を口実にしやがった。というかそうしないと二度と来たくないんだろうな…と思う。多分、当たっているはずだ。それと、ここへ入るきっかけを作った俺に対する嫌がらせか。根に持ってたのかよ…
「どうしよう…どうすればいいんだろ」
思えば、最下層街から抜け出した後はずっとジルと一緒にいたんだったっけ? 途中で変なのに連れまわされたけど。
でも、色々なことを教えてくれたのは確かだ。…認めたくはないが、知るものが誰もいない土地では頼らざるを得ない。けど、今度は一人だ。俺のことを知る人はいない。俺は、どうすれば…?
「私の主に聞いてみます。もうそろそろお帰りのはずですから…」
ユウは困ったように呟いた。
「あ〜…ごめん。迷惑かけて」
「い、いえ、とんでもないです! それならば、私のほうが…」
こんな調子で堂々巡りになりそうだ。
話を変えるか。
「そういえば、ユウの主って誰なんだ? あのジジイじゃないのか?」
ユウはきょろきょろと辺りを見回す。
「この城内で、そのような言葉は慎みください。どこで聞かれているか分かりませんから…」
「え? あ…」
あの城主。多分、相当曲がった性格してんだろうな…と思う。
あの返り血、風呂。攻撃的な言葉に態度。人を自分と対等に扱おうとしないことが分かる。
「私の主は、あの方の…大だんな様の嫡男のリチャード様です」
「リチャード…」
「私と同じ年齢なのですが、お優しく慈悲深いお方です」
あの親からは想像できないけどな……そういえば、年齢訊いてなかったな…
「ユウはいくつなんだ?」
「え、私は、12ですけど」
「…はい?」
俺より3つも下だ。それなのに…
「何か?」
「い、いや…」
こいつ、俺が知る誰より…大人びた顔をしている。
「…あ…では、こちらへ。主…リチャード様をお出迎えしなければならないので、行きましょう?」
―――
ユウに連れられて来た場所は、今まで居た場所よりも綺麗で明るかった。
廊下、1つの扉の前で立っていると、向こうから歩いてくる人影があった。さすがに、俺より小さい。
―ちょっと安心した。
「ただいま、ユウ…って、どちら様?」
少年―今度こそ―は、素朴な服を着て片掛けの鞄をユウに渡しながら俺を見る。あのジジイからは到底想像もできないような、綺麗な顔立ちの少年だった。
「あの、この方のことでご相談が…」
「…? うん、分かった。じゃあ、入って下さい」
その少年は、あのジジイからは到底想像もできないような、よく出来た息子だった。