第九層 パヴェロの城
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―階層街史『崩壊の巻』より抜粋
彼はそうして流されたのだ。
今ではただの人としてしか持ち合わせていないけれども。
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城に近づくたびに、何故だか嫌悪感を感じるようになった。ジルの嫌悪感がうつった…というわけでもないだろう。
第二階層街でも一際目立つ風貌。真っ白な城壁に、真っ白な門に真っ白な…全部が白い。窓まで白いってどういうことだ。
「あれ…」
「パヴェロ家の現当主が無類の穢れ嫌いでね。城で統一することで汚れを目立たせたいらしい」
「趣味悪いな…」
使用人がかわいそうだ。
「中も全部真っ白なのか?」
「もちろん。内部のほうが真っ白だ」
「最悪だ」
だんだん近づく城は思った以上に巨大だった。支配しているのならば必要なのだろうけれど。
このくるまには馬車のように紋章が張られているわけじゃない。門の前で止められて、警備兵が中をのぞいてくる。はじめに俺を見て、いぶかしげな表情を浮かべた警備兵はジルを見て一層顔をしかめた。
「約束は聞いていませんが」
「研究所からの命令でこの子を引き取った帰りだ」
「約束は」
「…ない」
ジルがイラついているのが分かる。こいつ、こんな冷たい雰囲気も持てるんだな…
「では、お引き取りください」
警備兵は取り付く間もなく背を向けた。…仕方ない。
「コウ、動くなよ」
低く小さな声で釘を刺された。けれど、こういうときこそ俺の役目だ…いつもそうだった。
「大丈夫だ」
俺は警備兵に近づく。もちろん、相手は警戒して俺を睨みつけている。子どもの顔、子どもの顔。
「すみません、俺、兄さんを探しているんですけど、何か知りませんか?」
「そんなこと、そこにいる父親に訊けば良いだろう」
「まぁ、そうなんですけど…」
振り返ってジルを見る。しかめっ面で腕組みをして、こちらを見ている。
「ちょっと」
門の左に立つ警備兵の右腕を、右腕で掴んで引く。警備兵は怪訝な顔をしながらも腰をかがめる。
「父さんと兄さん、かなり仲悪くて。だから、父さんの前では兄さんの話は出来ないんです」
「だとしても、俺たちのようなものが知っているわけないだろう」
俺は「そうですよね」と残念そうな顔でお辞儀をする。警備員の表情が、少し緩んだところは見逃さない。
「ああ、そうだ。おい」
警備兵は右側に立つ相棒に声をかける。ジルと話した警備兵はその表情を険しくしながらこちらに来る。その間も、くるまを睨みつけていた。
「お前最近まで第二階層街をふらふら歩いてたんだろ? 何か知らないか?」
「何がだ」
「この子、兄を探しているらしい」
「…ジル・フェリスの子どもは引き取ったお前だけだろう?」
こいつ、なかなか頭が回るな…。
俺は右腕でその警備兵の腕を掴もうとして―
「触るな」
弾かれた。
「早く戻って引き返せ」
「…分かった」
俺はくるまに近づく。それを待ちわびていたかのように、くるまの動力が動き出す。
「…解除」
その瞬間、警備兵二人はびくりと体を震わせる。
「お待ちください」
「…え?」
「どうぞ、中へ」
「…だそうだぜ」
ジルを見ると剣呑な目つきで睨まれた。
くるまに乗り込み、城の中に入る。ジルは無言で窓の外を見ているだけだった。
2
部屋に通されると、俺たちはどちらからとも無くため息を吐いた。ジルは目を覆って、部屋を見たくも無いようだ。俺だってここに来るまでに目がくらくらした。
門も白、廊下も白なら壁も天井も白。ただし、どうしても汚れてしまう絨毯は赤だった。汚れが目立たない黒にしなかったのは、黒という色自体が嫌いだからだとか。
「ここまで来ると、もうどうでもよくなる」
俺は比較的眩しいのには慣れているから良いけれど、普通の人からしたら眩しくてたまらないだろう。
「とにかく早く帰りたい」
ジルがこれまた珍しく弱音を吐いた。
「ま、まぁ…もう少しだろう、きっと」
「いや。やつは来るまでにかなり時間がかかる」
「…そんなに忙しいのか?」
「いや」
「即答断言…」
ジルがここまで断言するからには、そうなのだろう。
実際に、城主―だと思うけど―が来たのはそれから3時間後だった。
でっぷりと太り、嫌味なくらいの笑顔で歩いてきたその男は、典型的な『けんいしゅぎしゃ』である。…と、待ち時間にジルが話していた。
「お待たせしてすまない。仕事が立て込んでいたものでな」
「ならば湯上りのような肌は何だ」
「おお? いやいや、これは礼儀というものだ」
「礼儀というなら人を待たせておいて風呂に入るな。あと、お楽しみだったようだがさっさと出て来い。礼服を着ろ」
…機嫌、悪いな。
「…ふん。貴様にそんな事言われたくはない」
よく見ると、こいつ…どこと無く、ジルに似ているな…特に目の辺りとか。
「用件は何だ。さっさとここから出て行け」
「ここの主は客に対して失礼しか出来ないのか?」
「生憎、貴様のようなものを客として迎えた覚えは無いのでな」
このままやり取りが続くのかと思っていたら、ジルがため息を吐いた。いつの間に用意していたのか、一枚の紙を出す。
「これを見れば分かるだろう。研究所からの任務の最中だ。事故で直通快速フロウ・ゲートが動かなくなったため、早急に通行許可を頂きたい。断れば…分かっているな?」
―本当に、珍しい。ジルが脅しをかけている。普段なら、穏便に笑って済ますところだろうに。
ふん、と鼻で笑って、にやりと表情を変化させる。
―典型的過ぎて、嫌な予感。
「断るな。こちらはそのような通達は受けていない。本来なら、先方から事情を説明し、依頼するべきだろう?」
「そのような暇がないのだ。研究所はお前に関わるほど暇ではない」
「…なんだと!?」
「行けと、一言言えばいい」
「丁寧に、貴様の家の『正式な頼み方』で頼めば、認めてやらんでもない」
「そんなことをする必要すらない」
「……聞いていれば、立場をわきまえない無礼な発言…」
「それは同じだ」
「…とにかく、許さん」
ジルは相変わらずそいつの方向を見ようともしない。
そいつ―名前は未だに覚えていない―はもこもことした衣服を羽織っている。というか、服に羽織られているという表現が合っているかもしれない。袖元に…あれは、…血?だろうか。
よく見れば…本当に目を凝らしてみれば、大小さまざまな血痕のようなものがついていることに気がつく。俺が居たギルドの中でも、このことに気がつくのは俺の師匠であるジィちゃんと、その弟子の俺くらいだろう。心さんが、ぎりぎり…という感じだろうか。知は絶対に気がつかない。
…あいつは、純粋すぎるから。
と、俺の視線に気がついたのだろうか?そいつは、俺をちら、と見る。
「その小汚いのが『大いなる犠牲』か。こんなちっぽけな存在のために、どれほど多くの金が―」
「口を慎め、ガキが」
今までじっと座っていたジルが立ち上がり、そいつに歩み寄る。その手で襟を掴もうとして―
「わ、ぅわ!!」
突然の声にそちらを向き、倒れ始めている少年を左手で、その手に持たれているお盆を右腕で支えた。