【相続事務手続き】相続人にチクワが指定されている場合
「ねえ、Yさん。相続の事でちょっと聞きたいんだけど。
相続人にチクワがいる時の相続手続きって何が必要か分かる?」
ある日の十五時過ぎ、支店に戻って来た渉外担当Mが私にそう尋ねてきた。
この男は何を言っているのだろう。
「分からないですね」
「そこをなんとか」
「仕方ないですね。詳しく聞かせてください」
「相続人にチクワがいるんだよ。
なんか養練縁組されてるみたいでさ」
「……チクワってあのチクワですか?」
「そうだよ。練り物のチクワ。
遺産分割協議書も作ってあってさ、みんなそれぞれ相続するみたい。
うちの口座はチクワが相続することに決まったみたいだよ」
意味が分からない。
多様性の暴力とはまさにこのことである。
「なんか焼きチクワみたいな斑模様のじゃなくて、
真ん中が茶色の普通のチクワだったよ」
「チクワの種類はどうでもいいんで、亡くなった人の名前を教えてください」
「お、調べといてくれる? 一応お客さんには時間かかるって言っといたから!」
Mはそう言うと私に亡くなった人の戸籍謄本の写し、遺産分割協議書の写し、顧客情報の打ち出しを渡してきた。
そして、このMという男は私に書類を渡すだけ渡すとまた外へ出て行ってしまった。
渡された戸籍謄本を見てみる。
確かにチクワ(成人済)が養練と記載してある。
ということは普通養練縁組なのだろう。
どうでもいいことである。
まあ、マニュアルを調べてみるか。
私は支店後方にずらりと鎮座しているクソデカ事務ファイルから一冊抜き取り、手続き方法について調べることにした。
『相続人にチクワが指定されている場合』
この項であろう。助かる。
それにしてもチクワとは直球である。
ハンペンやカマボコの場合はないのだろうか。
まあ、今回の相続人はチクワなのだから今は関係ない。
読み進めてみたが、相続手続きの流れは通常の遺産分割協議書がある場合と変わらないようだ。
ただ厄介なことがある。
それはチクワには印鑑証明書と身分証明書がないだろうということだ。
さらに、相続手続依頼書に自書することもできないだろう。
相続人となるチクワには成年後見制度を勧め、その後見人が代理となって相続手続きをする、というのが一番簡単な方法らしい。
「すみません。このチクワって成年後見制度利用されているか分かりますか?
もし利用されているのなら、後見人の方が代理で手続きすればいいみたいです」
私はその厄介な相続手続きを持ち込んだMにそう尋ねた。
彼は外でタバコを吸っていた。呑気なものである。
「なんかさ、お金かかるから後見人は立てないって言ってたよ」
「は?」
「あと、亡くなってるKさんね、もうSさんに死亡日のシステム登録はしてもらってるから、口座は凍結済みだからね」
「え? Sさんは何も言ってなかったんですか?」
Sとは私が担当している窓口の隣の窓口担当であり、私より五つ年上の先輩行員でもある。
「Sさんに分からないって言われてさ。
Yさん、おでんにも詳しいから聞いてみたらって言われたんだよ。」
ふざけないでいただきたい。
私はSから何も聞いていない。
でもまあいいか。おでんは好きだ。
だが、おでんには焼きチクワを入れたい。
さて、成年後見制度が使えなくなってしまったので他の手を考えなくてはいけない。
遺産分割協議書を読む限り、亡くなった人の財産のうち、うちにある二十万円の定期預金をこのチクワが相続するらしい。
たかだが二十万円の相続のために私はこうして苦労しているというわけである。
いや、たかだかというのは失礼だ。
それにしても腹が立つ。
二十万円とは私の手取りより高額なのだ。世も末である。
まあマニュアルを読む限りは相続人にチクワがいても人間とそれほど手続きは変わらないようだ。
印鑑証明書がないのなら市役所で作ってもらえばいい。
役所へ行けばなんとかなるだろう。
ついでに身分証明書もどうにかしてもらおう。
というよりもチクワの本人確認は何でやるんだ?
私は再びクソデカ事務ファイルを開き、調べることにした。
『本人確認事務手続き:本人確認書類として有効な書類一覧』
この項であろう。助かる。
どうもチクワの場合は焼き目が一本一本異なるため、写真付焼き目証明書が本人確認書類として使えるらしい。
なるほど、そういったものがあるのか。
勉強になる。あとで自分のノートにもメモしておこう。
そして練り物の相続人にはチクワしか認められていない理由も分かった。
ハンペンやカマボコにはチクワと違い、本人確認書類として認められているものがないらしい。
なるほど、よく考えられているものだ。
あとは相続手続き依頼書にどうチクワに自書してもらうかだ。
後見人を立てないのであれば、どうやっても本人に名前と住所を書いてもらわなければならない。
これは多少読めなくても良い。本人がそう書いたならそれでいい。
たとえ、とんでもない独特な字であっても本人が書いたのならそれでいいのだ。
どうしたものか、私は策を練ることにした。練り物だけに。
◇
「……あとはですねMさん、チクワさんにこの相続手続依頼書に名前と住所を書いて欲しいんですよ。印鑑証明書と同じ押印も忘れずにお願いします」
数日後、私は渉外担当Mに相続手続きに必要な書類を伝えた。
「は? チクワさん、練り物って言ったじゃん。
生チクワだよ。どうやって本人が書くの?」
「書いてきてもらってください」
「え? どうやって?」
「この書類を持って行って、チクワさんに書いてきてもらってください」
「はあ?」
このMという男、察しが悪くてイライラする。
「チクワさんに書いてもらったらこの書類を私にください」
「……あ、そういうこと。おっけー。チクワさんに書いてもらってくるわ! ありがとね」
なんとか伝わったようだ。察しが良くて助かる。
「ちゃんとチクワさんの印鑑証明書と最新の写真付焼き目証明書を貰ってきてくださいよ?」
私はそうMに念押しした。
不安ではあるが、私は出来る限りの事はやった。もう後は知らぬ存ぜぬで行こう。
そもそも私の仕事ではない。そんな気がする。
◇
「これ、チクワさんが書いたの?」
「そうらしいです」
後日、私は支店長からそう質問を受けた。
支店長の机の上には例の相続手続依頼書が広げられている。
そしてチクワが書いたという項目はとても美しい文字が書かれていた。
達筆である。なんなら私より美しく整った文字だ。悔しい。
本当にチクワが書いたのだろうか。
『なんか、ふんすふんす言って書いてくれたよ』
私はMの言葉を思い出す。
どういうことだ……? 知りたくもない。いや、少し興味ある。
あとでMに聞いてみよう。
「じゃ、いっか。はい、手続き進めて良いよ」
支店長のお墨付きも貰えたので一件落着である。
しかし、すぐにとんでもないミスが発覚した。
「そういえばさ、相続って相続人名義の口座にしか入金できないんじゃなかったっけ?」
支店長がそう声をかけてきた。
「え?」
確かにそうである。
この遺産分割協議書にはうちの定期預金を相続するのはチクワと指定してある。
しかし、相続手続依頼書にはチクワ名義の普通預金口座がないので別の相続人の口座が入金先として指定されていたのだ。
「これ、遺産分割協議書に定期預金はチクワって書いてあるのにKさん(被相続人)の娘さんの口座に入金したらまずいんじゃない?」
支店長は平然とそう私に言う。
この人は十数分前、何を確認して相続手続依頼書に検印したのだろう。理解に苦しむ。
それにしてもKさんの定期預金はすでに解約してしまった。
あとは振り込むだけだというのにチクワの口座がない。
振込は十五時までには完了していなければならない。困った。
このまま振込が完了しないと二十万円はシステム上浮かんだままだ。
まあ、振り込む前で良かったと思うべきか。
しかし、チクワは口座開設もできるのだろうか。
相続人として認められているのならおそらくできるのだろう。
私は急いでクソデカ事務ファイルを開いた。
『普通預金口座開設事務手続き:チクワ名義で口座開設する場合』
この項であろう。助かる。
なるほど、どうも相続や贈与などの特殊状況下では口座開設が認められているらしい。
最悪チクワを人間にしなくてはいけないかと思ったが、一安心である。
……まあ、人間になりつつあるようだが。今は関係ない。
さて、このチクワ名義口座はその後早急に解約しなくてはならないようだ。
早急とはどのくらいの期間なのだろう。
『相続事務手続きマニュアルの相続人にチクワが指定されている場合の項を参照すること』
まあ、マニュアルがタライ回しになることはよくあることだ。
そもそも被相続人の娘さんの口座が初め指定されていたのだから、まずチクワの口座に入金し、そこから娘さんの口座に移動し、チクワの口座を解約すれば問題ないだろう。
なんだかマネーローンダリングのようで気が進まない。
まあ、事務手続きがそう言っているのだからそう従おう。
問題は時間がないことだ。
仕方ない。私は渉外担当Mに電話し、状況を説明した。
そもそもこの男が悪い。
まあ、ここには詳しく書けない方法でどうにか無事チクワの口座に入金することができた。
これで相続人にチクワが指定されている場合の相続手続きは完了である。
しかし――
「ねえ、相続人ってカマボコもいける?」
後日、渉外担当Mがそう質問してきた。
懲りない男である。
「カマボコは本人確認できないのでダメです」
私はそう答えた。
◇おしまい◇
本日の窓口営業は終了いたしました。ご愛読ありがとうございました。
こちらは当方の短編集作品「相続事務手続き」より2つ目の事案をほぼなぞったセルフパロディ作品です。
堅苦しいタイトルですが、このように全力でふざけているので気になった方は覗いてくださると嬉しいです。
現実の相続手続に1ミリくらいは参考にできることがあるかもしれません。
他の作品も楽しんでいただければ幸いです。
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