人間関係の可視化
大学生になってから、インスタグラムを始めた。
正確には、自分から始めたかったわけではない。
「インスタある?」
そう聞かれることが増えたからだ。
高校生の頃までの私は、連絡先といえばLINEだった。
連絡を取るためのツール。
待ち合わせを決めたり、予定を確認したりするためのもの。
だから大学に入って、とりあえずインスタを交換するという文化には少し驚いた。
もちろん、その気持ちは理解できる。
LINEは少し近い。
インスタは少し遠い。
そういう共通認識があるのだろう。
実際、まだ友達とは言えない相手とも気軽に繋がれるのはインスタの利点だと思う。
逆を言えば、最初からLINEで繋がれない関係は少し寂しい。相手はそう思っていないのかもしれないが、自分はその人にとって、その程度だと感じてしまうからだ。
適切な距離を取ろうとした結果の行動が、むしろ相手にとっては差別的だと思われるかもしれない。
ただ、私も軽い関係を否定したいわけではない。
むしろ好きな方だ。
同じ講義で会う人。
サークルでたまに会う人。
趣味の話だけする人。
そういう曖昧な関係は、人生を少し豊かにしてくれる。
だからこそ、私は時々不思議に思う。
「フォロー整理」という文化だ。
インスタを始めてから何度か耳にした。
話さなくなった人を外す。
絡みのない人を整理する。
それ自体を否定したいわけではない。
ただ、私には少し理解が難しい。
なぜなら、その人たちは最初から軽い関係としてインスタで繋がっていたはずだからだ。
毎日連絡を取るつもりではなかった。
これから会うかも分からなかった。
それでも、「とりあえず繋がろう」と言ってフォローした。
それなのに、後になって「最近絡んでいないから外す」と言う。
その感覚が私にはよく分からない。
軽い関係とは、そもそもそういうものではないのだろうか。
半年話さないこともある。
一年会わないこともある。
それでも、どこかで再会した時に「久しぶり」と言える。
私はそういう関係が好きだ。
連絡先を知らないけれど仲の良い人もいる。
会えば自然に話せる人もいる。
高校時代、一緒に委員会をやった友人。
大学の食堂でたまに会う知人。
趣味のイベントでだけ顔を合わせる人。
彼らとの関係は、とても曖昧だ。
しかし、その曖昧さこそが人間関係の面白さだと思う。
だから私は、「友達の可視化」という考え方に違和感を覚える。
SNSにはフォロー一覧がある。
フォロワー数がある。
共通の知り合いが表示される。
確かに便利だ。
だが、それを見ていると時々、人間関係が図鑑のように思えてしまう。
友達は一覧にできるものなのだろうか。
数字で表せるものなのだろうか。
私はそうは思わない。
連絡先を知らなくても大切な人はいる。
毎日やり取りしていても、どこか他人のままの人もいる。
人間関係はもっと曖昧で、もっと不安定で、もっと美しいものだと思う。
だから私は今でも、SNSより実際の会話の方が好きだ。
大学のキャンパスですれ違った時の「おはよう」。
偶然再会した時の「久しぶり」。
たった数秒のやり取り。
でも、それはどんなストーリーや投稿よりも、その人の存在を強く感じる瞬間だったりする。
人間関係は可視化できるのだろうか。
今でも私は、よく分からない。
ただ一つ分かるのは、フォロー欄の中にいる人よりも、現実で交わした何気ない会話の方が、私の記憶には長く残り続けるということだ。
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