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9話 侍女の決意

 その夜。


 アリエルが眠った後もサリーは部屋に残っていた。

 枕元に座り、主の静かな寝顔を見つめる。


 泣き疲れたのだろう。

 アリエルは、いつもより深く眠っているようだった。

 普段はどこか年齢不相応な落ち着きや大人びたところがある子だが、今は年相応……いや、年齢以上に小さく頼りなく見えた。


 泣き腫らした痕が痛々しい。


「……ミリアム様」


 サリーは、そっと天井へ語りかけた。


 ミリアムに仕え始めたのは、もう十年近く前のことになる。

 側室として迎えられたミリアムは、けれど最初からずっと笑っていた。


 孤独な立場のはずなのに。

 体が弱く、思うように動けない日ばかりだったのに。


 それでも誰に対しても、同じように優しい笑顔を向けた。

 自分は幸せなのだと、言葉ではなく生き方で示していた。


 サリーも、その笑顔に救われていた。

 ただ雇われ、居場所を与えられただけではない。

 心まで温めてもらった。


「ミリアム様は、いつもアリエル様のことを話してくださいましたね」


 アリエルが生まれた日を思い返す。


 体の弱いミリアムにとって、出産は難産だった。

 ともすれば母子ともに危なかった。


 けれど、ミリアムは耐え抜いた。

 そしてアリエルと対面した時、とても嬉しそうに笑っていた。

 苦しさも痛みも、その笑顔の中ではどこかへ消えてしまったように見えた。


 優しく抱きしめて、何度も何度も「ありがとう」と呟いていた。


 だが、その出産はミリアムの体をさらに弱らせた。


 長く立つことも難しくなった。

 散歩一つにも付き添いが必要になった。

 食事も満足に取れぬ日が増えて、部屋から出られない日が続いた。


 それでも、ミリアムはアリエルのことだけを考えていた。


 調子のいい日は、必ず顔を見に行った。

 逆に、アリエルがこちらへ来た時は、どれほど辛くても笑顔で迎えた。


 ……最期の時でさえ、そうだった。


 きっかけは、ただの風邪。

 だが、体の弱いミリアムにとっては猛毒と変わらなかった。

 あっという間に体力が削られていき、医者が危険に気づいた時には、もう手遅れだった。


 サリーは、たまたまその場にいた。

 だから最期に立ち会うことができた。


 意識が薄れていく中、ミリアムは、サリーの手を必死に握った。

 いつものように優しく笑って。

 それでいて、どうしようもなく必死な顔で。

 そして、ただ一言だけ告げた。


「アリエルのことをお願いします」


 ありがとう、も。

 苦しい、も。

 怖い、も。


 何も言わなかった。

 最後の言葉は娘のことだった。

 そこに、母としての想いが全て集約されている気がした。


「……っ……」


 思い出すだけで涙がにじむ。

 だが、サリーは強くまばたきをして、それを押しとどめた。


「……わかっています」


 静かに呟く。


「大丈夫です。大丈夫ですから……ミリアム様」


 そっと、アリエルの髪を撫でる。


 この子は色々と規格外だ。

 身体能力も、魔力も、頭の回り方も。

 ただの天才、という言葉では片づけられぬほどに。


 妙に大人びたところもあり、時折、侍女である自分の方が息を呑むほどの表情をする。


 でも今は……


「……かーさま……」


 寝言でそう漏らす、ただの幼い子供だ。


 最愛の母を失って、悲しみに沈んでいる。

 どれだけ強く見えても、まだ子供なのだ。


「私が……私が一緒にいますからね」


 サリーは小さく囁く。


「いつまでも、ずっと」


 この子はきっと、大変な道を歩もうとしている。

 剣を握り、国を守ると言った。

 誰にも強いられていないのに、自分でそう決めた。


 なら、そばにいよう。

 ミリアムがそうしてくれたように。


「アリエル様が笑っていられるよう」


 サリーは、もう一度、アリエルの髪を撫でる。


「私がいますからね」


 何度か撫でていると、アリエルの寝顔は少しずつ穏やかになっていった。


 ……けれど、サリーはまだ知らない。


 この小さな姫君が、やがて剣を握り、王宮どころか国中を巻き込んでいくことを。

 そして、その第一歩が、思っているよりもずっと早く訪れることを。



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