桃色女と女幹部 〜元ヒーロー(事務職)と元悪の幹部(営業職)がバーで転職の愚痴をこぼす話〜
都会の喧騒を逃れた路地裏。看板に『ディメンション』とだけ記されたそのバーは、奇妙な静寂に包まれていた。
カウンターの中でグラスを磨いているのは、店主の増田葉乃、三十歳。
落ち着いた物腰の女性だが、時折、客の語る突飛な身の上話に困惑の笑みを浮かべるのが常だった。
その夜、先客は一人だけだった。
黒のタイトなスーツを着こなし、凛とした空気を纏った女性――黒雪姫。
三十五歳になる彼女は、現在は営業職として外回りに奔走しているが、その鋭い眼光はどこか「戦士」のそれを思わせる。
「はい、いつもの。……そういえば黒雪さん、去年くらいに転職されたんでしたっけ? 以前は何をされていたんです?」
葉乃が差し出したグラスを、黒雪は静かに受け取った。 「そうね……。前は管理職だったわ。悪の組織の幹部」
葉乃の手が、一瞬止まる。
「……暴力団、ですか?」
「悪の組織!」
「あ、新興宗教か何か……」
「悪の組織と言っているでしょう!」
黒雪の断固とした否定に、葉乃は引きつった笑いを浮かべる。
「黒雪さんも、中二病……とか?」
「中二病ではない!」
その時、店のカウベルが涼やかな音を立てた。
入ってきたのは、桜桃。
黒雪と同世代の三十五歳で、くたびれたブラウスに身を包んだ事務職の女性だ。彼女はカウンターに座るなり、深い、深い溜息をついた。
「はぁ……」
「なに? 思い出したように溜息なんぞついて」
葉乃が苦笑しながら声をかける。
「いや、今日の職場での失敗を思い出したら、ついね。慣れない事務仕事はこれだから……」
「転職してそろそろ一年でしたっけ。前は外回りだったから、時間が経つのも早かったでしょう?」
「そうね。企業秘密が多くてあまり話さなかったけど……」
桜はウイスキーを一口含み、意を決したように告白した。
「……実は私、戦隊ヒーローやってたの」
「ああ?…」
黒雪は、一瞬睨みつけるような目で桜を見た。葉乃は「またか」という表情を必死に隠す。
「ああ、スーツアクターですか。夏場は大変だって聞きますよね」
「中の人ではない!」
「え、じゃあ変身前の女優さん……」
「中の人ではない! 本物の戦隊よ」
「ええっと、あなたも……中二……」
「中二病ではない!」
そのやり取りを横目で見ていた黒雪が、皮肉げに口を開いた。
「ご挨拶ね、桜さん。事務職も大変でしょうけど……まあ、他人事でもないわね」
「あんたか……。悪い、ちょっと仕事のことで落ち込んでて」
葉乃が黒雪にグラスを渡しつつ、会話を繋ぐ。
「そういえば、黒雪さんもさっき前職のお話をされてたんですよ」
「何の仕事よ?」
桜が興味を引かれたように尋ねる。
「悪の組織の幹部。」
「ああん?」
「秘密結社Jよ」
桜の眉が、ぴくりと跳ねた。
「ああ、あそこ。去年壊滅したわね。逆鱗戦隊イカルンジャーにやられて……。まあ、世間には知られてないでしょうけど」
今度は黒雪が目を見開いた。
「なぜそれを……。桜さん、あんた何者? まさか逆鱗戦隊の……」
「違う違う、私は『任侠戦隊ゴクドウジャー』にいたのよ」
葉乃が思わず噴き出した。
「任侠戦隊ゴクドウジャーwww すみません、あまりに名前が……」
「何がおかしいのよ、マスター!」
黒雪が鼻で笑い、桜を値踏みするように見た。
「ふーん……。あんたのいた戦隊って五人組?」
「女性二人、男性三人の五人組よ」
「決まりね。あんた、本当はイエローでしょう」
「ピンクよ、ピンク! どう見てもそうでしょう!」
桜が食ってかかるが、黒雪は動じない。
「えー……? ピンクってもっと可憐で女の子らしい子が担当するものでしょう。あんたみたいなガサツっぽいのは、どう考えてもカレー大好きイエローよ」
「うっさいわね! ピンクだったんだからしょうがないじゃない!」
「カレーが好きそうな顔してますしね」
と葉乃。
「「カレーが好きなのはゴレンジャーとサンバルカンのイエローだけ!!」」
二人の怒声がハモり、葉乃は「す、すいません……」と小さくなった。
「で、あんたはどうなの。人間型? モンスター型?」
桜が反撃する。
「悪の女幹部って元AV女優が演じてるってよくありますよね……」
「「中の人などいない!!」」
本日二度目のシンクロに、葉乃は「すいません…」と再び謝るしかなかった。
「あたしのコスチュームは露出こそ少なかったけど、ボディーラインがくっきり出てたわ……。それが今や、営業回りでパンプスを履き潰す毎日よ」
黒雪が自嘲気味に呟く。
「あの、お二人は戦ったことはないんですか?」
葉乃の問いに、二人は同時に首を振った。
「無いわ」
「そうね、相性ってのがあるのよ。秘密結社Jは私の在籍していた戦隊とは管轄が違ったの」
二人は示し合わせたようにグラスを傾けた。
葉乃には、彼女たちが同じ「中二病」のコミュニティに属しているようにしか見えない。だが、彼女たちが語る設定の緻密さと、時折見せる「戦場帰り」のような虚脱感だけは、奇妙に本物めいていた。ただ、興味は尽きない。
「素朴な疑問なんですけど、戦う前にわざわざ名乗りを上げるのって、あれは何なんですか? 戦闘っていきなり始めちゃダメなんですか?」
その問いに、桜が即座に応じた。
「あれは自分自身の戦意を高揚させるためと、敵に対しての牽制の意味があるのよ」
「でも、名乗ってる間にどついちゃダメなんですか?」
葉乃の現実的なツッコミに、答えたのは黒雪だった。
「そんなことしたら、部下の戦闘員から『あいつ、名乗り中に攻撃しやがったぜ、マジでチキンじゃん』って陰口叩かれるわよ」
「そうなの?」
桜が驚いたように黒雪を見る。
「ええ。それに最近は戦いながら名乗る行儀の悪い奴らもいて、こっちは対応に苦労したわ」
話題は次第に、当時の「現場」の生々しい裏話へと移っていった。葉乃は感心したように頷き、氷をピックで割りながら次の疑問を投げかけた。
「あの、戦隊のリーダーって、なんでいつも『赤』なんですか? 他の色じゃダメなんですか?」
その問いに、桜がグラスを回しながら誇らしげに応じた。
「日本の国旗よ、マスター。日の丸の赤。アメリカのヒーロー……スーパーマンやスパイダーマン、キャプテン・アメリカが星条旗カラーなのと同じ。日本の平和を守る戦士は、必然的に日の丸の赤を背負うことになるの」
「へぇー、国家レベルの話だったんですね」
「まあ、白を多く入れると汚れが目立つから、赤一色になったっていう現場の切実な事情もあるんだけどね。ホワイトの戦士が極端に少ないのは、単純にクリーニングが大変だからよ。爆発の煤や泥にまみれたら、一発でアウトだもの」
黒雪が、隣でくすりと笑った。
「ヒーローも意外と所帯染みているのね。でも、人数のこだわりも凄いでしょ? 3人とか5人とか… 4人組ってほとんど無いよね。」
「それは組織運営の鉄則ね」
桜が頷く。
「戦隊内部で派閥争いや意見の対立が起きた時、奇数なら必ずどちらかが過半数になる。パワーバランスが崩れることで、逆に組織としての意思決定を停滞させない……少数編成の極意よ」
「組織論まで……」
葉乃は呆れを通り越して、二人が語る「世界のシステム」の緻密さに引き込まれていた。
「ところで、戦隊って給料は出るんですか? 職業として成立するものなんですか?」
「私たちのところは出てたわね」
桜が言うと、黒雪が身を乗り出した。
「多いの?」
「……内緒。でも、チェンジマンやオーレンジャーみたいにバックに大きな軍事組織がついているところは、公務員扱いで安定してるわよ。逆にライブマンみたいに、パトロンの科学者に支援してもらっている連中もいるわね」
「それ、実質『ヒモ』じゃないの」
黒雪がボソリと毒を吐く。
「言い方は悪いけど、そうなるわね。中にはレストランを経営したり、屋台を引いて日銭を稼ぎながら怪人と戦っている苦労人もいるんだから。ヒーローだって食べていかなきゃならないのよ」
「悪の組織の方はどうなんですか?」
葉乃が尋ねると、黒雪がキッパリと言い切った。
「略奪と強奪よ」
「うえぇ……(引くわ……)」
「当たり前じゃない、私たちは悪なんだから。でもね、その代わり福利厚生……というか、怪人が死んだ後のアフターケアは徹底していたわ。だいたい、私たちの作戦って意外と一般人は死なないのよ」
黒雪によれば、一般人を異次元に閉じ込めても大抵は無傷で帰すし、毒を盛っても解毒薬は用意してあるのだという。
「そうよね。怪我をさせたりするのは、あくまで敵対する戦隊だけなのよ」
桜の言葉に、葉乃は首を傾げた。
「どうして警察は介入しないんですか?」
「管轄の問題ね。人間以外の怪物を、日本の法律で裁けると思う?」
黒雪がさも当然のように言い切り、桜が補足する。
「パトレンジャーやデカレンジャーみたいに、警察が運営する特殊な戦隊もあるけど、基本的には別次元の話なのよ」
葉乃は、二人の語る非日常すぎる日常に、ただただ頷くしかなかった。
「……組織の幹部って、やっぱり強いんですよね?」
葉乃がさらなる疑問をぶつけると、黒雪がため息をついた。
「怪人よりはるかに強いわよ。でもね、いきなり戦わないのは、あたしが『中間管理職』だったから。ボスと怪人の間に立って、作戦遂行を管理するのが仕事なの。現場をすっ飛ばして上司が出るなんて、組織として二流でしょ?」
桜がそれに同意する。
「そうね。たまに幹部クラスとガチで戦って、こっちは全滅しそうになるんだけど、敵さん、いいとこ追い込んでいるのになぜか『あとは任せた』って帰っちゃうのよね。あれ、戦隊側からすると本当に助かるわ」
「フラグよねぇ……」
黒雪が遠い目をした。
「『この戦いが終わったら結婚するんだ』ってやつですね」
「それそれ! 完璧な死亡フラグね。アキバレンジャーなんて、その手の言葉で全員死んだんだから」
夜も更け、二人のアルコールも回ってきた頃。 桜がふと、グラスを見つめて感傷的な表情を見せた。
「……まあ、そんなわけで今は大人しく事務やってるんだけど。ぶっちゃけ、体より精神的にくるわね。今日も職場でやらかしちゃったし」
「事務職は慣れましたかって、さっき仰ってましたね」
葉乃が聞き返すと、桜は顔を覆った。
「それがさ、コピー機が紙詰まりしたのよ。急いでたからイラッとして、つい無意識に『任侠・散華烈拳!』って叫びながら、筐体に正拳突き叩き込んじゃって……」
「……壊したの?」
黒雪が身を引く。
「再起不能。上司に『君、前職は空手家か何か?』って真顔で聞かれたわ。反射的に体が動くのよ、戦隊時代の癖で」
黒雪もまた、力なく頷いた。
「わかるわ。あたしもこないだの会議中、反対意見を出した部下に対して、無意識に指をパチンと鳴らして『おやりなさい!』って叫んじゃったもの」
「部下の方は?」
「誰も入ってこない扉を指差して固まってるあたしを見て、凄く哀れみの目を向けてきたわ。組織にいた頃は、あそこで戦闘員が窓を割ってエントリーしてきたはずなのに……」
桜が声を上げて笑った。
「あはは! あんたも相当染み付いてるわね。でも、戦う場所が変わっても、染み付いた『型』ってのは抜けないもんよねぇ」
「そうね。結局、あたしたちにとっての『日常』は、まだあの戦場にあるのかもしれないわ。……で、マスター。あんたは何でそんなに落ち着いてあたしたちの話を聞いてられるのよ? ひょっとしてあたしたちを中二病みたいに思ってる?」
黒雪の問いに、葉乃はシェイカーを置くと、穏やかな微笑みを浮かべた。
「いやぁ、お二人の気持ち、痛いほどよく分かるんですよ。私もこの仕事中、つい『癖』が出そうになりますから」
「癖? カクテル作るのに必殺技でも叫ぶわけ?」
「いえ。お客様から注文を頂いた瞬間、反射的に片膝をついて『御意!』と返事をして、バク転でバックバーまで下がりたくなるんです」
二人の動きが止まった。
「……は?」
「夏場にシェイカーを振ってると、首筋に流れる汗の感覚で、つい『ああ、今、面の中が蒸れてるな……』って、遠い目になっちゃうんですよね」
葉乃はカウンター越しに、かつて自分が浴びていた強烈なスポットライトを思い出した。
「私、この店を開く前は、キャラクターショーのスーツアクターをしていたものですから」
一瞬の静寂の後、店の空気を揺らすほどの叫びが響き渡った。
「「中の人かいっ!!」」
二人のツッコミを受け流しながら、葉乃は慣れた手つきで新しいグラスを並べた。
ここは二つの世界が重なる特異点。
元ヒーローと、元悪の幹部、そして彼女たちの世界には存在しないスーツアクター。
三人の奇妙な共犯関係を祝うように、夜は静かに更けていく。
(終わり)




