第一章 Ⅳ
「此方がアイザック殿下の本日からのお部屋となります。ごゆっくりお過ごしくださいませ」
侍女の言葉を聞いてアイザックは部屋の戸を開けた。
質素だが家具の一つ一つはそれなりに値を張りそうな部屋だった。
壁に使われている石材は故郷の明るい大理石とは違う、深みのある黒曜石のような色をしていた。室内には、暖炉の火が消えた後のような冷たい静寂が満ちていた。
長い間、誰も使っていなかった部屋なのかもしれない。そう思わせる冷たい部屋。
部屋の隅には、サンスーンから運び込まれたままの革張りのトランクが二つ、まるで帰りを待っているかのように積み重ねられている。彼はその存在を、わざと視界に入れないようにしていた。
目線の先にある冷たい石造りの窓枠とそこから見える異国の空。日の暮れかかったその空は得体の知れない不気味さを感じた。
座り心地の悪そうな、装飾の少ない硬質な椅子に目を止める。
椅子のそばに寄ると、椅子には座らず窓枠の冷たさを指先で確認した。
窓枠の冷たさで、心のどこかが冷えたような気がした。
理由となり得るものが多すぎて判断がつかない。
アイザックは部屋の冷たさに嫌気がさして部屋から出た。
「アイザック殿下、どうかなさいましたか?」
侍女の言葉に対する返答に言葉が詰まった。
必死な思いで彼は口を開く。
「あ〜ちょっと探検、みたいな感じだな」
「そうにございますか。」
最初は立ち去るように見えた侍女は振り返って再び口を開いた。
「今しばらくこの場でお待ちいただくことは可能にございますか?」
「可能だが」
「でしたら姫様を呼んで参ります。しばしお待ちを」
アイザックは侍女の言葉の意図をおおよそ察した。
要するに『仲良くなって欲しいからお二人で散歩でもしてきてくださいませ』ということなのだろう。
1人になりたかったと思っていたアイザックはこのまま立ち去ってしまおうかとも考えたが、流石にそんなことをしてはまずいだろうか。そう思い直し近くの壁にもたれかかってノクターンを待つことにした。
城内で働く侍女たちの噂話が耳に入る。
暇つぶしにちょうどいいかとアイザックは耳をすませた。
「姫様がお元気そうで良かったわね」
「そうね!9年前ロザリアに行ってからあんな笑顔見なかったもの」
「ロザリアは悲惨だったそうだものね。ソフィー様がおっしゃっていたわ」
「姫様も戦場に出たのでしょう?陛下も酷いことをなさること」
「そうよねぇ。まだあの頃は8歳だったのでしょう?」
「そうなのよ!陛下はなんでそんなことをなさったのかしら?」
9年前のロザリアといえばルナイト帝国とエクリプス王朝の戦の最前線だったはず。
その場に、あの女がいたのか?そんな疑問がアイザックの頭に浮かんだ。
アイザックは7歳の頃の記憶を必死に掘り返す。
確か、兄は援軍を率いてロザリアまで行ったはず。そこまでは簡単に思い出せる。だが、その後の記憶は霧の中だった。
兄が帰国した時の様子は?その後の数ヶ月、父王や王家はどんな反応を示した?
自分の幼少期の記憶は、都合の良い部分だけが欠落しているように感じられた。ノクターンが戦場にいたという事実は、兄への劣等感とは別の、形容しがたい不安を彼の中に生み出した。
日記を見返そうと、約束をすっぽかす覚悟で立ち上がったアイザックの視界に碧色の髪が入った。
目の前にはノクターンがいる。どうやら行動が一足遅かったようだ。
仕方なく、アイザックはノクターンに声をかけた。
「ノクターン皇女。わざわざきてくださりありがとうございます」
「いやだ、そんな畏まらずにノクターンとお呼びくださいな。アイザックさん」
「では、ノクターンと呼ばせてもらいますね」
依然掴めない距離感のまま2人は歩き出した。
「最初はどこに行くのですか?」
「最初にアイザックさんがいらっしゃった庭園ですわ!」




