第16話 女帝の裁定
「起きよ、ダグ=マイアー」
頭上から降ってきたのは、氷点下の声。
意識の浮上とともに、わき腹に激痛が走った。
「ぐっ、ぅ……!?」
蹴り飛ばされた痛みで、ダグ=マイアーは弾かれたように目を覚ます。
視界が揺れる。思考が霧がかかったように鈍い。ダグの最後の記憶は、フゥの圧倒的な殺気と、斬られ、自身が絶命した瞬間――。
ハッとして斬られたと思われる箇所を手でまさぐる。傷一つついていなかった。
(私は……生きているのか?)
思考をつなぎ合わせようとした瞬間、冷たい影が彼を見下ろしていることに気づいた。
夜闇に溶ける黒い装束。好々爺の仮面を脱ぎ捨て、底冷えするような瞳でダグ=マイアーを見下ろすフゥだった。
「状況の理解が遅いな。貴様が寝ている間に、すべてが終わったぞ」
フゥが顎でしゃくる。
つられるように視線を向けた先、ダグ=マイアーは息を呑んだ。
そこにいたのは、美しい銀色の髪を乱し、傷ついた少年を抱きかかえる主君の姿。
そして、その白磁の肌には、痛々しい赤黒い火傷の痕が刻まれていた。
「ひ、姫……様……?」
絶句するダグ=マイアーに対し、ィリーリアはこちらを一瞥もしない。
ただ腕の中の少年――コウの髪を優しく撫でながら、背中越しに静謐な声で告げる。
「目が覚めましたか、ダグ=マイアー」
それは怒声よりも恐ろしい、感情の一切が抜け落ちた声だった。
「ご、御身に傷が……! すぐに治療を――」
「近づくでない」
這い寄ろうとしたダグ=マイアーの眼前に、フゥの剣が突きつけられ、動きを牽制される。
「ダグ=マイアー」
再び感情のこもらない声でィリーリアが告げる。
「あなたの処遇は玉座にて告げます。これ以上、私を失望させないでください」
ィリーリアがようやく振り返る。そのアメジストの瞳は、ダグ=マイアーを映しているようで、その実、何も見てはいなかった。それは路傍の石を見るような無関心と、絶対的な拒絶。
「あぁぁ、姫様」
ダグ=マイアーは察した。本当に全てが終わったのだ。力が抜けたようにその場に項垂れた。
◇ ◇ ◇
ハルディン中央にそびえ立つ皇城。銀龍宮を中心に4つの王をいただく黒龍宮、赤龍宮、青龍宮、緑龍宮が守るようにそびえ立つ。銀龍宮の前に構えられた本城にある玉座の間は、かつてないほどの重圧に包まれていた。
普段は謁見や式典に使われる煌びやかな広間だが、今は窓という窓が閉ざされ、魔導照明の蒼白い光だけが石畳を照らしている。
その中央に、後ろ手に縛られたダグ=マイアーが跪かされていた。
彼の周囲を囲むのは、ハルディンの最高戦力たち。
右手に赤竜王ラナ、左手に青竜王アーティ。後方には緑竜王レムと黒竜王フゥ。
そして、正面の玉座には、治療を終え、純白の礼服に身を包んだィリーリアが座している。ただし、その腕と首筋には、包帯が痛々しく巻かれていた。
「――近衛騎士団所属、ダグ=マイアー」
沈黙を破ったのは、玉座の脇に控えていたゼクトだった。手にした羊皮紙を淡々と読み上げる。
「貴様には以下の容疑がかけられている。帝国の間諜の手引き、皇族に対する反逆、そして――守護対象である『騎士候補生』の誘拐幇助」
ゼクトが読み上げるたびに、ダグ=マイアーの肩が小さく震える。
「これに対し、申し開きはあるか」
ダグ=マイアーはゆっくりと顔を上げた。その表情には、もはや恐怖はなく、ある種の諦観が張り付いていた。
「……ありません。すべて、私の独断です」
「独断、か」
鼻を鳴らしたのはラナだった。
「てめぇの部下も、あっちこっちで暴れた獣人どもも、全部てめぇ一人の差し金だって言うのか? 随分と偉くなったもんだな、おい」
「……部下たちは私の命令に従っただけです。彼らに罪はありません」
「まだそのようなことを申すか」
フゥが呆れたようにため息をつく。
「貴様の部下たちは、すでに全員始末した。大した忠誠心じゃな」
「っ……!」
ダグ=マイアーが歯を食いしばる。部下の死を知らされ、初めてその表情が苦痛に歪んだ。
「ダグ=マイアー」
玉座から、鈴を転がすような、しかし凛とした声が響いた。
ィリーリアだ。彼女は玉座の肘掛けに手を置き、身を乗り出すようにしてダグ=マイアーを見下ろしている。
「私は、あなたを信頼していました。あなたが妹さんたちを大切にしていることも、貧民街からの叩き上げで、誰よりも努力して近衛に入ったことも知っていました。だからこそ、コウくんの護衛を任せたのです」
「……もったいないお言葉です」
「答えてください。なぜ、裏切ったのですか? 帝国は、あなたに何を提示したのですか?」
ダグ=マイアーは視線を伏せた。
「……全ては彼です」
「彼?」
「彼は―っ滅剣を持っているのです!」
ダグ=マイアーは顔を上げると慟哭するように言葉を紡いだ。
「あなた様のお父上と、母上を奪ったその力を宿しているのです!なぜっ!なぜですか!なぜ彼があなたの竜騎士となったのですか!!あの力は偉大なる皇帝とその皇妃を葬った忌々しい力です!国民の誰が納得しましょう!?」
ダグ=マイアーの言葉はこの場にいる全員が、まさに懸念としていることだった。
「納得はしないでしょう。竜騎士とはそういう存在です」
ィリーリアが答えると、ダグが勢いづく。
「姫様は、滅剣を抑えるために、仕方なく契約したのですよね?我々のために姫様は、御身を犠牲にされてしたくもない契約をしてしまったのでしょう!?そしてここに置いておきたくないから、学校に押し込めたのでしょう!であれば、彼を殺すべきなのです!」
「それがあなたの正義ですか?」
「違います!姫様への忠義でございます!」
ダグ=マイアーは確信犯だ。罪と知りながら、自分の行動が間違っていないと確信している。
四ヶ月前の滅剣が暴走したとき、彼はその一連の事件を目撃している。そうであるならば、と密かにコウを護衛するように言い含めていたのだが、近衛たちの忠誠心の高さが裏目にでるとは予想できなかった。
「なるほど。あなたの言い分はわかりました」
「私はどうなっても構いません!帝国に与した時点で極刑は免れないことは分かっております。ですが、この国のため、どうか、どうか彼も処刑してくだ―」
「黙りなさい!!」
ィリーリアの激情が爆発した。
ビリビリと空気が震え、玉座の間のガラスにヒビが入る。龍の咆哮にも似た怒気に、ダグ=マイアーだけでなく、四王たちですら息を呑んだ。
ィリーリアは立ち上がり、階段を一段、また一段と降りてくる。
「あなたの忠誠心は見事でした。ですが私はそのようなこと一度たりとも望んでおりません」
ゆっくりと階段を降りるィリーリアの一挙手一投足をその場にいる全員が見守っていた。
全員が押し黙る中、ィリーリアは静かに続ける。
「私は彼と出会った瞬間から一度たりとも彼を殺す、封じるなどといったことは望んでいないのです。ああ、そういえばあなたは知りませんでしたね。私と彼の関係性を―」
「姫様それは!」
ィリーリアが何を言わんとしているのか察したアーティが咄嗟に諌めようとするが、ィリーリアが威圧するようにアーティを睨みつけると、口を開いたアーティはまるで口を塞がれたように言葉を発せなくなる。
ィリーリアの瞳孔が人のそれではなく、龍のそれになっていた。
皇族の絶対命令権が発動したのだ。
悠然とダグ=マイアーの眼前に立ち、ィリーリアは彼を見下ろした。
たったそれだけだというのに圧倒的な重圧がダグ=マイアーを締め上げるように圧迫している。
「顔をあげなさい。ダグ=マイアー」
一段と低い声だった。その言葉にダグ=マイアーは逆らえない。静かな怒りに打ち震えるアメジスト色の瞳に見据えられる。
「教えてあげましょう。彼との関係性を」
静かに告げる。ゴクリと唾を飲む音がやけに大きく感じた。
「彼、コウ=ドラゴニアは、私とエンゲージした相手です」
その言葉はまさに青天の霹靂だった。
「エ、ンゲージ?」
信じられない。いまエンゲージといったのか?
うわ言のように言葉を繰り返し、反芻する。徐々に言葉を飲み込み、理解するのにつれ、ダグ=マイアーの顔色が青白く染まっていく。それは言葉の刃が深く、ダグ=マイアーに突き刺さった証拠だった。
「わ、私はっ!!なんという不敬を!!も、申し訳ございません!!」
事の次第の大きさに頭を打ち付けるように頭を垂れる。何度も何度も、自身のしでかした事がどんなことだったのか、思い知るたび、彼は頭を打ち付ける。びしゃりと額が裂け、血が床に飛び散る。
エンゲージだと!?ではあれは姫様の運命の相手ということだ。ああ、それは言えない。滅剣の相手がエンゲージしたなどとは。しかも竜騎士になど、どこに言えようか。なるほど学校に放り込むわけだ。それは彼を守る優しき檻でもあったのだ。それを自分はどうした?こじ開けたのだ。忠臣が聞いて呆れる―
「顔をあげなさい」
再び強制的に顔をあげさせられる。派手に出血した彼が目にしたのは、冷たい瞳だった。
「見てみなさい、この傷を」
ィリーリアが自身の首元の包帯に触れる。
「これはコウくんが暴走した時についたものです。でも、彼が傷つけたのではありません。あなたたちが、彼を追い詰め、心を壊し、無理やり力を引き出した結果です」
「……」
「彼は泣いていました。痛いと、やめてくれと、泣き叫んでいました。……わかりますか?彼の気持ちが。妹を想うあなたなら、彼の痛みがわかったはずでしょう!」
ダグ=マイアーは何も言い返せなかった。
彼を守るべき騎士が、彼を地獄へ突き落とした。その事実は、どんな大義名分でも覆せない。
「……私は、近衛失格です」
ダグ=マイアーは額を床に擦り付けた。
「殺してください。姫様の手で、この愚か者を」
重苦しい沈黙が場を支配する。
誰もが、処刑の命令を待っていた。反逆者には死を。それが掟だ。
だが、ィリーリアはゆっくりと首を横に振った。
「いいえ。殺しはしません」
「……え?」
顔を上げたダグ=マイアーに、ィリーリアは冷たく告げる。
「死んで楽になることは許しません。近衛騎士ダグ=マイアー、本日をもって貴職を剥奪。及び、龍族としての『翼』と『魔力』を封印し、ハルディンより追放とします」
「なっ……!?」
それは死刑よりも残酷な宣告だった。
空に生きる龍族にとって、翼と魔力を奪われ、地上(外界)へ落とされることは、手足を奪われるに等しい。
「二度と、ハルディンの土を踏めると思わないでください。そして地上で生き、ご自分の罪を一生かけて悔いなさい。これをもって全ての罪を清算したものとします」
ィリーリアが背を向ける。
「ラナ、ダグ=マイアーを連れて行きなさい」
「はっ!」
ラナがダグ=マイアーの両脇を抱え、引きずっていく。
ダグ=マイアーのは抵抗らしい抵抗をみせずただ項垂れたまま、引きずられていった。
扉が閉ざされ、再び静寂が戻った玉座の間で、ィリーリアはもうひとつ、一連の騒動で沙汰を伝える必要があるため、振り返って正面を向く。
「それと、ゼクト。前に」
「はっ!」
呼ばれたゼクトが恭しく前に出てィリーリアの側に傅いた。
「今回の作戦、あなたの発案だそうですね」
「はっ。僭越ながら私めが立案させていただきました」
「あなたが立案したという作戦ですが、概要を私は伝え聞いておりません」
「申し訳ございません」
恭しく謝罪をするゼクトに、首をゆるくふる。謝罪を聞くつもりはないのだ。
「謝罪は不要です。あなたに任せていたのは我々ですので。ですが、詳細を聞きたいと私は思っております。話してくれますね?」
「はっ、仰せのままに」
ゼクトは作戦の詳細を話した。
「まず、学校に生徒として潜入する間者がいることをは予想されました―」
ゼクトの作戦の概要はこうだ。
身元がはっきりしている講師陣以外に間者がいると仮定した時、コウを孤立させ、しかるべきタイミングで接触し、ごく自然と交流を深めてくるだろうと。
そこで、まずはわざと孤立するようにコウを目立つようにした。いくら彼が四王の指導をうけていたとはいえ、彼の成績が良いわけがない。それを折り込み済みで特別入学生であることをわざと喧伝し、注目を集めたうえで、翌日の入学時の査定テストで目立つように魔力査定や実戦査定で最後に回し、悪目立ちさせた。
競争心理が高い騎士養成学校で無能だと悪目立ちすれば、自ずと人は離れていく。にも関わらず彼と関わりを持とうとするメンバーが第一容疑者として警戒したこと。
ただ、このまま孤立させては相手の思うつぼであるため、選民思想が強いカイルにコウが帝国人であることを伝える。ノアや、レヴィンなど亜人やミリアといった帝国人がグループになっているコウたちにぶつけるのは容易かった。
コウの潜在能力や成長速度が尋常でないことは、ゼロからわずか一ヶ月で最低限にまで上り詰めたことを鑑みれば、容易に予想できていたため、カイルに勝てることは想像に難くなかったので、決闘までこじつけた。
「―生徒コウが目立ち、周囲と和解すれば孤立することはなくなり、誘拐が難しくなります。そのタイミングで敵が焦って動き出すことが予想されました。警戒していたところ予想通り生徒コウを誘拐。あとの顛末はご存知のとおりかと」
説明を終えたゼクトが息をつく。
彼の説明を目を瞑って静かに聞いていたィリーリアが口を開いた。
「なるほど、あなたは見事作戦を成功させ、我々の脅威を排除したのですね」
それはぞっとするほど優しい声だったのだが、ゼクトは気づかない。それに気づいたのは、アーティとレム、フゥだけだった。
「よろしい。ゼクト、あなたには、褒美を与えなければなりませんね。立ちなさい」
このタイミングで褒美を?しかも立たせる?
ィリーリアの言葉にゼクトの中で疑問を生じた。だが、皇女の言葉に口を挟むわけには行かない。慈母のような微笑みを浮かべる彼女の心の内は伺いしれない。
「はっ!」
立ち上がるゼクト。立ち上がり、顔をあげ、その瞳がィリーリアを捉えた瞬間―
パンッ!
乾いた音が響いた。
手を振り抜いたィリーリアが怒りをにじませながら言う。
「うまくいったからよかったものの、あなたは私のエンゲージした相手を危険に晒した。私がもし駆け付けられなかったら、コウくんを失っていた!なにより、この仕打ちにより彼の傷をえぐる結果になったこと、その罪を許すわけにはいきません」
頬を叩かれたゼクトは一瞬呆けたものの、状況を全て理解し、すぐさま傅く。
ゼクトの頭の上から、打って変わって静かな声でィリーリアが告げる。
「あなたは人族ですから、私が本気で叩いたら死ぬでしょう。あなたが今生きているのは私の恩情と知りなさい。そして、この恩情を、あなたへの褒美といたします」
「……過分なる御温情、謹んで拝受いたします」
これで全てが終わったとばかりに再びィリーリアは背を向ける。
◇ ◇ ◇
「……ダグ=マイアーの沙汰、大変見事でした。お優しい姫様らしい沙汰でしたよ」
アーティがそっと歩み寄り、ショールを彼女の肩にかける。
ダグ=マイアーについては本来であれば、極刑は免れない。だが、極刑に処した場合、晒し首にしなければならない。そうなった場合、残された彼の妹たちはどうなる? 裏切り者の親族と誹りを受けることは想像に難くない。
ィリーリアは言った。全ての罪を清算すると。それは家族にはその類は及ばないという温情でもあった。
「私は、優しくなんてありません。女帝として非情に徹しきれなかったです」
振り返ったィリーリアの顔は、泣き出しそうに歪んでいた。
「コウくんを傷つけた彼を、許すことも、非情に徹することもできなかった!」
「いいえ」
フゥが進み出て、片膝をつく。続いてレムとアーティも。
「我らはそんな貴女様にこそ、仕えているのです。愛する者を守るための怒り。そして庇護する者たちへの博愛。それこそが竜の王たる資質」
フゥが深く頭を垂れる。
「ご立派でした、ィリーリア様」
臣下たちの言葉に、ィリーリアは涙を拭い、再び顔を上げた。
泣くのは終わりだ。臣下に情けないところばかりを見せてはいけない。
その瞳には、もう迷いはなかった。
「……行きましょう。まだやることは残っています」
こうして沙汰は終わった。
まだまだやることはあるのだ。
失った近衛の数。近隣の被害確認。信頼できるものとそうでないものの仕分けなど。
やらねばならないことは山積みなのだ。




