第5話 滅びの剣、その力
真紅の翼を広げラナが滑空を始めると、籠の中にいるコウは浮遊感を感じる。もう少しで目的地につくのだろうとなんとなく察した。
竜車とともにラナが着陸場へゆっくりと降下する中、帰りを待ちわびていた竜人族の兵士たちが整列して出迎えの準備をしている。
その巨体に見合わない柔らかな着地とともに、浮遊感から解放されたコウの心はどこか浮き足立つような心持ちが生まれていた。
これからなにか変わる予感がする。
そんな事を考えていると、雑に扉が開け放たれるとどこか不機嫌そうなフウが入ってきた。
「小僧、ついたぞぃ」
有無を言わさずぐいっと手を捕まれ引っ張られる。
――あれ?ちょっと優しい?
一瞬だけ強引にひっぱられたものの、コウに対する気遣いが有る気がした
「ほれ、はよ歩かんかい!」
どんと背中を押されるように引っ張られると、籠の外に放り出されるようにして歩み出た。
びゅぅと冷たい風に煽られ前髪が激しく揺れた。鼻腔を擽る花の香りと土埃。フゥに引きずられるようにして連れ出された瞬間、眩しさとともにコウはどこか懐かしいものを感じた。
眩しさに目を細める。少しずつ慣れてくるとゆっくりと状況を認識できる。
コウが立っているのは籠にかけられたステップの上だ。周りより1,2メートルほど高いためか周囲がよくみえる。
そこは石畳が突き出るようにあり、自分はその突き抜けた場所にいる。周囲にはきらびやかな白銀の甲冑を着た兵士たちが大勢いる。姫さまの出向かえなのだろう。すでにアーティと姫さまは降りて出迎えにきた騎士たちに労いの言葉をかけているようだ。
初めての光景に興味が先行し、きょろきょろとあたりを見回す。
落ち着きのなく周囲を見回しているコウを、フゥは咎めることをせず仕方がないとでも言いたそうな表情をしていた。
数年ぶりの外なのだから、コウの反応は致し方ないものだろう。
石畳の先は雲だろうか、白いモヤが流れているようにみえ、時折、強く吹き抜ける風が作る切れ間から、青い空が見える。
ここはもしかしたらすごく高いところなのかもしれないと、コウは思った。
内陸部出身のコウは知るよしもなかったが、そこは港のような場所になっている。ただ違うのは縁より向こう側にあるのは海ではなく雲海だ。竜の住まう空中庭園ハルディンであった。
もう少し雲海を覗き見ようと首を伸ばしたその時—
—ゾワリ。
肌を舐られるような気持ちの悪い視線を感じた。
全身の毛が逆立ち、這うような視線にゾワゾワと背筋が震える。まるで背中に冷たい水を流し込まれたような怖気だった
「……っ!?」
視線に耐えきれず、視線の元を探そうと見回す。
——この感じはとても良くない気がする。
うまく言えないが、視線に悪意が詰まっているのだ。このままでは良くないことが起こる気がする。
籠は周囲よりより視線が高いからよく見える。
周囲に出迎えの騎士たちの人数は4,50人はいるだろう。
みな槍と白銀の鎧を着こなし、整然と並ぶ姿はそれだけですごい。コウに対して視線を向けている人は幾人かいるが、気持ちの悪いものじゃない。
籠に掛けられたステップの先には、すでに地面に降りた姫さまとレム、アーティが出迎えた騎士の人たちをねぎらっている。そこにはいない。
「何をキョロキョロしておる?」
先程の興味が先行した態度と異なりどこか必死になっているコウを訝しみフゥが聞く。
フゥの言葉に答えない。早く見つけなければいけない。そんな焦燥感に駆られる。
そうしないと取り返しのつかないことがおきる。
――あそこに誰かいる!
それに気がついたのは本当に偶然のことだ。目の端で風が止んでいるにもかかわらず何かがゆれた気がしたのだ。
それはどこかに繋がる通路の奥、そこは暗く、眩しい此方側からは見えないが、何かがそこで動く気配。
そこに目があった。真っ黒な装束を身にまとい目だけが暗闇に浮かぶようにこちらを見ている。この場にそぐわないもの。
「あそこ、誰!?」
とっさに叫べたのは僥倖としかいいようがない。
「—!」
コウの叫びに一番早く反応したのは彼の挙動不審を訝しんでいたフゥだった。
「曲者だっ!」
フゥはコウの目線から方向をすぐに察するや、叫ぶと同時にコウを放りだして飛び出していた。それはまるで瞬間移動のような速さで、放り出されたコウが空中に放りだされ無様に落ちはじめたあたりで通路の人物に掴みかかろうとしていた。
「姫様っ」
フゥに一拍遅れて反応したのはアーティとレム。ィリーリアを背に守る体勢を取っている。続いて騎士たちが武器を構える。
「いたっ!?」
地面に激突し、痛みに声をだしたころには何者かはすでに捕まろうとしていた。
痛みに顔をしかめていたコウはみた。その黒尽くめの目が笑い口を開き何事か呟く、その瞬間—
ズン……と、胸の奥が痛む。
心臓の鼓動が、何かに共鳴するように高鳴る。
「…かはっ」
ぐらりと視界が歪む。
手を見ると、黒い紋様が脈打ち、どくんどくんと何かが脈動している。鼻の奥から鉄さびの匂いがしたとおもったら、口からどろりと赤い血が流れた。
皮膚を這うように脈動するそれはまるで皮膚の下から這い出そうとしているようにみえた。
「なに…これ…まずい」
直感した。
これはただの異変じゃないことを。黒尽くめが何かを仕掛けてきたのだ。
焼けるように熱いのに、同時に奪われるように冷たい。
大きな何かが体の中を貪りながら弾けだそうとしている。ドクンドクンと脈動し胸を引き裂いてでようとしているのだ。
苦しい、体を無理やりこじ開けられる。
痛い、自分が壊されている。
そしてそれは決してよくないものだ。世の中にだしてはいけないものだ。
「止められ、ない」
抱え込もうとしてもできない。どうにかするため、痛みにのたうち回りながら周りを見る。
だれもコウをみていない。大捕物がありみなコウに注意を払っていないのだ。
膨大なエネルギーが自分の中にあるのがわかる。そしてそれがどういうものか、コウの頭の中に自分の中に知らないはずの知識が流れ込んでくる。
それは滅剣の力。膨大な滅びを呼び覚まし、周囲を喰み喰らい貪り尽くす呪い。
ああ、それは周囲をすべて飲み込んでしまう。
これをここで目覚めさせたら、あの美しい姫さまを消し去ってしまう。大罪人の自分を保護するといってくれた彼女に迷惑をかけてしまう。
メリメリと体が引き裂かれそうな痛みに声すらだせず苦しみながら、コウの視界に縁が写った。その先は空である。
それは天啓のような思いついた。あそこから落ちればいいのだ。
どれだけの高さかわからないが、相当高いことはさっき見てわかっている。ここにいるよりは絶対的にいいに違いない。そうすればあの美しい姫さまも巻き込まずに住む!
「ッ――!」
よろめきながら立ち上がる。
「がはっ!!」
目の前の空気が、ぴしり、と音を立てて割れた。
黒い瘴気が皮膚の下から溢れ出す。血管がひび割れた硝子のように暗く光り、身体が、世界が、軋みはじめた。
鳥が逃げ出し、空気が重く沈む。地を這うような呻きが、体の芯から響く。
次の瞬間、コウの胸の奥で何かが爆ぜる。ゴゥ—と爆発音と衝撃を立てて、黒い炎のような力が背中から吹き上がる。黒炎は空高く舞い上がり耐え難い熱を撒き散らす。
視界の端で異変に気づいた騎士たちが後退し、ィリーリアが駆け寄ろうとするのが見えた。
——まずいっ、このままでは巻き込んでしまう。
コウは足場を蹴った。
白い石畳の縁を越え、大空へと飛び出した。
——壊してしまう前に、消えなくちゃ。
最後に一目見ようと体を捻り、振り向いた姫さまのきれいな紫色の瞳と目があった。
姫さまは大きく目を見開き、驚きの表情をしていた。
ああ、綺麗だな。
銀色の髪の毛と夜明けを閉じ込めたような瞳。なぜかお月さまみたいだとコウは思った。
「待って!」
ィリーリアの叫びが、風にかき消される。
次回の更新は9月8日月曜日を予定してます。