第7話 過去の影牢
「―…ゥ!」
誰かに呼ばれたような気がし、ぼんやりと意識が浮かび上がるのを感じた。
(…これはいったい)
まどろむように意識がはっきりしない。まるで思考の焦点が合わないため、何もできない。ただ自分の体がゆっさゆっさと乱暴に揺らされているのを感じる。
(何が…)
この感覚はなんだか覚えがある。靄がかかったように思い出せないが、イメージがある。そう。あれは闇と痛みだ。
狭い部屋に反響するように声が聞こえる。
『被験体…番号32……2番は適性値……90以上を……示して…。。また、魔法…正、運動性能……ドラゴ…スレイヤー作…に求め……る能力…を大きく上…る…値を出しており、…代随一の滅剣の継…適正が認め……。これ…滅…の性能を十……には…揮できるもの…考………す。大りょ…壊兵…として運…する……、ハル………を消失……の力が見込ま……す』
『素晴……い!』
ぼんやりと聞いている言葉。暗く赤い部屋で動けないまま、意識がはっきりしないまま、ただ注がれる黒くて赤い何かに侵されている。
身を蝕む黒と赤のドロドロとしたそれは体の中を通るたび、刺し貫くような痛みが走っているのだ。
『ーっ!』
痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!
熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!
声にならない叫び。いや、叫びすぎて壊れた声帯は声を出すことすらできない。
『起動…には……いいのだ?』
『罪業の封印を施してありますので、その状……あれば特定…周波…で魔力を送……。自壊…す』
身なりの良い壮年の男と白衣の初老の男が何か話している。意識が途切れそうなほどの苦痛と熱さに叫びながら声だけが頭に響くように聞こえてくる。
『ほぅ…では万が……印そのものが…けてしまったら…するのだ?』
『そ……は、遠隔……はできなくな……が、直接……接触…、…スを……だ上で……術式を発…させれ…です』
『…ろしい!最高傑作…!始ま…にして終…りになるもの…器…呪いあれ!』
そして―
「―…ゥくん!」
また誰かに呼ばれる。
―ザザザ。
意識が乱れ、場面が変わる。
今度は鮮明だ。暗い部屋の壁に繋がれている。眼の前には横柄な態度で立つ軍服姿の壮年の男。
『貴様の罪は?』
強く問いただされ、思い出す。己の罪を口にする。
「めつげんを…ごほっ…うけづいでじばっだ……。ばえのひどが…げほっ…いどんなびどをふごうにじだがら……ぼぐが、づぐなばなげればならない……」
「そうだ。貴様は極悪非道の罪人だ。貴様の家族のためにも、雪がねばならない。では貴様の罪は何を持って許される」
「…でいごくのだめ…げほっげほっ…ぢがらをぶるうごど……」
「そうだ。貴様の罪はそれでこそ許される。それこそが皇帝からの恩赦としるがよい」
「…ばい」
ゆっくりと光景が遠のく。そして―
「コ…く…!」
名前を呼ぶ声。
(…誰?)
声の呼ぶ方へ意識を向ける。
―ザザザ。
ああ、また意識が乱れる。
どこかで水がゆっくりと滴り落ちる音がする。
石壁に囲まれた狭い部屋だった。
空気は冷たく淀み、光は照らさない。すえた臭いと規則的な呼吸音だけの狭い世界。時間の感覚が失われていき、ゆっくりと朽ちていくのは魂か。
繋がれた鎖がゆっくりと命と体温を奪っていく。
そうだ。レムやアーティの魔法で癒やしてもらったが、それはハルディンに連れてこられる前のコウの姿だ。
何刻も何日も、何ヶ月も、何年もそこにいた。世界に取り残されたようにひっそりと。
時折聞こえてくる下品な大人の男たちの声と、移りゆく季節がもたらす寒さと暑さだけが時間の進みを感じる。泣くこともなく声を出すこともない。息を潜めるようにただそこにいるだけの存在。
雨音や雷の音が好きだった。ザーザーと音を奏でる雨粒や風が岩肌を撫でる音、時折落ちる雷鳴は数少ない娯楽だ。
ああ。そこはなんて寂しいのだろうか。
用意された罪に追い詰められ、ただ死ぬその時までそこにいることを義務付けられた存在はなんて寂しいのだろう。
春…少し空気が温かいからきっとそう。繋がれた鎖はゆるやかに熱を奪っていく。
夏…暑くはない。雨の音が激しく響くからたぶん夏。足元に小さな虫がかけていくのが見えた。
秋…過ごしやすいからそう思う。孤児院の収穫祭のことを思い出して胸が少し痛んだ。
冬…足元が痛いくらい冷たいから間違いない。白く吐き出された息がちょっとした娯楽。
春…少し空気が……
「コウくん!!」
温かい。温かいものに包まれた。声が近かった。眩しい。そして思い出す。
どうして忘れていたのだろうか。あの方の名前を。
(あ…リリィ…?)
―ザザザザザザ。
光景が遠ざかり、意識が浮上する。
今度は何も見えない。
◇ ◇ ◇
「―コウくん!」
そう叫んで玉座から立ち上がったィリーリアに周囲は驚きの視線を向けていた。
「リリィ!?どうしたのですか!」
慌てて駆け寄ってきたアーティがィリーリアの頬を流れる涙を指先で拭う。しかしィリーリアの瞳からは次から次へと涙が流れ出てくる。
「―あっ、コ、コゥっ…!うっ!!」
涙で滲む視界に心配そうなアーティの顔が見える。涙を止めなくてはと思いながらも、今しがたみていた光景にィリーリアの胸はきゅっと締め付けられ涙をこぼさせる。
「大丈夫です。ゆっくりでいいです」
そんなィリーリアをアーティは優しく抱きしめた。
「…アーティ……」
涙声で今しがたみていた光景をィリーリアはつっかえながら話す。アーティは口を挟まずじっくりと話を聞いていた。
やがて話し終えると、いつの間にかそばにいたレムが「それは彼の記憶ですね」といった。
少し落ち着きを取り戻したィリーリアはアーティをそっと押しやり、残った涙を拭うとレムに視線を向けた。
「…コウくんの記憶?」
「はい。姫様と彼は契約をし、パスで繋がっています。しかも彼は姫様とエンゲージしており、その繋がりはより強固なものとなっています。おそらくですが彼はいま昏睡状態にあり、彼が夢でみた記憶の情報が姫様に流れ込んで白昼夢のように見えたのかと」
「これがコウくんの記憶であるなら、あんなことが実際にあったと!」
ィリーリアは思わず叫び、レムの両肩を掴んでいた。
レムの言うことが本当だとすれば、あれが、本当にあったということなのだとすれば…なんてひどいことを幼い彼に行ったのであろうか。
幼い子供に、これほどの苦痛と絶望を強いた者たちへ。それは、女帝としてではなく、ただ一人の愛する者を傷つけられた『女』としての、どす黒く、焼き尽くすような激情だった。
「姫様。どうか落ち着いてくださいまし。今は、過去におこった出来事を論ずるより、状況を収束させなければなりません」
やんわりとレムに諭されたィリーリアは一気に頭が冷える思いだった。
いつの間にかレムの肩を食い込むほど強く掴んでしまっていた手を離し、ばっと頭を下げる。
「ごめんなさい…!我を忘れてしまいました⋯⋯痛かったでしょう?」
レムの剥き出しの肩にはくっきりと掴んでいた痕が赤く残ってしまっている。
しかしレムは何でもないと優しく首を振った。
「姫様、私は大丈夫ですから、どうか頭をおあげになられて」
ふわりと白魚のような手がィリーリアの頬を優しく包み、顔を持ち上げる。眼の前のレムがたおやかに笑って見せる。
「私は怒ってなどおりませんし、姫様のその様子からよほどひどい仕打ちがあったのだと思いますわ。大切な人の事ならばその怒りは当然のことですわ」
「それでもごめんなさい。今はそんな時ではないのに」
そうだ。過去の記憶のことを話す場面ではないのだ。ィリーリアは大きく一度深呼吸をしてから、今の状況を今一度反芻する。心に燃え上がる炎をいっときしまう。
「リリィ、本当に大丈夫ですか?」
アーティが心配そうな声に、ィリーリアはこくりと頷いて答える。記憶のことは後回しにして今の状況を片付けなければいけない。
女帝としての顔をのぞかせたィリーリアは意思を宿した瞳でアーティを見る。
「大丈夫です」
きっぱりと答えたその瞳にはやるべきことをやると決めた光が宿っていた。アーティはそれをみて、ほっと胸を撫で下ろし、「わかりました」と下がった。
「アーティ。私はどれくらい呆けていました?」
「数回、瞬きする程度の時間です」
「では、今はフゥが誘拐犯に追いついた頃ですね。ラナはすでに配置に?」
その質問にはレムが答えた。
「はい。彼の座標を視てみましたが、時間通りに配置についたようですわ」
レムが素早く詠唱すると、彼女の手のひらの上の空間に魔法で投影された地図には赤と黒の点と複数の白い点とそれに囲われた銀色の点が浮かび上がっている。
赤がラナで黒がフゥ、白い点が誘拐犯で銀色の点がコウなのだろうとィリーリアはあたりをつける。
忙しなく動く白い点にフゥが接触している。ラナは動いていないところをみると待ち構えているのだろう。
やがて白い点は二手に別れ一つはコウを連れ立って森の中を走り、もう一つはフゥの点と交わっている。
「いつも思うのですが、あなたの魔法は術式からわかりません」
アーティが感心しているのか呆れているのか判別のつきづらい声を出すと、レムはなんてことのないように首をふって見せる。
「こんなものは7節の三重詠唱でどうとでもなりますわ。世の中には10節詠唱を会話するように紡ぐ方もおられますから、まだまだですわ」
「……空間把握と千里眼と因果予測の同時展開ですか。相変わらず規格外ですね」
なんてことのないようにレムは言うが、7節を使いこなせる魔法使いが希少なうえ、それを三重で重ねられる個人なんてそうそういてはたまらない。
しかしレム本人は謙遜ではなく本気でそう思っているので、どうしようもない。
満足そうなレムの顔を見て、アーティはそれ以上突っ込むのをやめた。
ィリーリアはレムの手のひらに投影された地図をみて一安心する。
「今のところ計画は順調そうですね」
コウが捕まっている状況は予断を許さないが、帝国側は彼を殺すにせよ連れ去るにせよ一度どこかでよく調べるはずだ。罪業の封印術が無くなっている以上、すぐさま自爆させるようなことはないだろう。フゥの予想が正しければ、おそらく竜族と契約した彼の力そのものを研究するために誘拐したのだろうから、できる限り生かすはずだ。
しかし彼らは見誤っていた。ただなりゆきで契約をした騎士見習いの少年だと。エンゲージまでしているとは知らなかったのだ。
エンゲージとは約束の相手。エンゲージするということは、その相手が自身の大きく運命を好転させる可能性を秘めているということ。そしてそれは自ずと将来的に番になる可能性が高いという証左でもある。
コウは滅剣の継承者でもある。誘拐犯はもちろんそれを知っている。
だから彼らを追い詰めすぎてはいけない。焦らせすぎてはいけない。判断を鈍らせすぎた結果、滅剣を強制的に暴走させられてしまう可能性があるからだ。しかし、かといって冷静に思考をさせてはいけない。適度に追い詰めてタイミングをみなければいけない。
だからこそじっくりと時間をかけつつ、迅速に動かなければいけないのだ。
何もできない自分が不甲斐なくて、ギリリ、と強く拳を握りしめる。
そのときそっとィリーリアの手が握られた。いつの間にかぎゅっと力を入れていた拳が優しくほどかれる。はっとして顔を上げるとアーティが安心させるように微笑んだ。
「リリィ。大丈夫ですよ。フゥ殿とラナならきっとなんとかしてくれます」
「そう…ですね。はい。わかっています」
これは誘拐犯とこちら側の繊細な駆け引きの戦いだ。適任者はフゥ以外に考えられない。だから信じてまつのみだ。
「リリィ、私たちは私たちのやるべき事をなしましょう」
「はい。この機に城内の残党を一掃しないと、ですね」
「えぇ、そのとおりです」
アーティはぃリーリアの答えに満足そうに頷くと、すくっと立ち上がるや、自身の獲物であるトライデントを召喚する。
「レム、今時点で城内で不審な動きをする者はすべて捕捉してますね?」
「えぇ、もちろんですわ。この通り」
レムが小さく詠唱すると手のひらのマップが切り替わり城内が立体的な見取り図のように映し出される。白い点がいくつか動いているのが見える。おそらくそれが不審な動きをするものなのだろう。
「では、ィリーリア様。皇族の権能をおかりしたく。ご同行いただけますか?」
恭しくアーティが頭を垂れる。これは公務だ。故に上意下達。ィリーリアも意識を切り替え。アメジスト色の瞳が細められ、竜の縦孔に変化すると、まるで銀色のヴェールを羽織るようにオーラが彼女を包み込む。
「よい。不忠を正すため、ぞんぶんに我が権能を使うがよい」
竜社会は絶対的な上意下達。ゆえに皇族には同族に対する絶対命令権を持っている。
普段は使うことがないが、城内を浄化するため、ィリーリアは皇女としてこれを使う。
レムとアーティを伴って、ィリーリアはィリーリアのなすべきことをなすため、歩みだした。
ィリーリアは女帝として、生物の強度が高いのです。4王といえども実はちょっと痛かったり。
レムの優しさと学者肌なところはもう少しだしていきたいかなーと




