第3話 月光の労い
「大丈夫…?」
「いてて…な、なんとか…大丈夫です…」
触れられた頬に、じんわりとした温もり浸透していく。
コウの自室、狭いベッドの上。 隣に腰掛けたィリーリアの掌から放たれる柔らかな光が、コウの打撲痕を優しく撫でていた。治癒魔法の心地よさに、コウは小さく吐息を漏らす。
軋むベッドのスプリングが、二人の距離の近さを雄弁に物語っていた。
「もう、四人とも大人げなかったです…」
ィリーリアはぷう、と頬を膨らませながら、未だ痛々しい痣が残るコウの腕に視線を落とした。
あれから一刻ほどだろうか。コウは「特別歓待」という名の、四王による徹底的なシゴキを受けていた。
もちろん死なない程度の手加減はあったはずだ。だが、それでも──。
豪快かつ緻密なラナの一撃。
鉄壁の守りから鋭く突き刺さるアーティの槍。
多重詠唱で逃げ場を塞ぐレムの魔法。
そして、認識の外から刃を届かせるフゥの神速。
思い出すだけで背筋が凍る。
カイルに勝った。その高揚感など吹き飛ぶほど、竜族の頂点たちは遥か高みにいた。
ィリーリアの隣に立つということは、あの四人と肩を並べるということだ。
(……遠すぎるな)
カイルに勝ったくらいで、有頂天になってはいけないのだと身が引き締まる。いや、引き締まるどころか、あまりの絶壁に足がすくむ思いだった。
「考え事ですか?」
「え、あ、いや!」
我に返ると、夜空を切り取ったような深い瞳が、至近距離からコウを覗き込んでいた。
「何を考えてたんですか?」
すべてを見透かすような視線。
「……さっきの動きを思い出して、反省してました。もっとうまくやれたな、と」
あまりに情けない本音を言うのが恥ずかしくて、コウは咄嗟に体裁を取り繕った。
だが、その瞬間。
ズキリ、と胸の奥が痛んだ。
同時に、目の前のィリーリアも悲しげに眉を寄せた。
「……だめですよ。コウくん」
「あ……」
「私に嘘は通じません。貴方の心がきしむ音、私には聞こえてるんですから」
コウは失念していた。コウとィリーリアは『エンゲージ』で繋がっている。
上辺の言葉で誤魔化せる相手ではないのだ。
「……ごめん。本当は、ちょっと悔しくて、情けないなって思ってました」
コウは観念して、力なく肩を落とした。
「リリィのサポートがあったのに、一太刀も入れることができなかった。カイルくんには勝てたけど……結局僕は、まだまだ弱いんだなって」
素直に心の裡を吐き出した、その時だった。
ふわり、と甘い百合の香りが鼻孔をくすぐる。
気づけばコウは、温かいものに包み込まれていた。
「えっ、リ、リリィ!?」
ィリーリアが、コウの頭を胸に抱き寄せていたのだ。
同年代の異性に抱きしめられる気恥ずかしさと、皇女に触れているという恐れ多さで、コウは咄嗟に身を固くする。
だが、彼女の腕はそれを許さないように、やんわりと、けれど強くコウを抱きしめていた。
「……コウくんは、本当にがんばりやさんですね」
よしよし、と赤子をあやすように頭を撫でられる。
彼女の鼓動が、トクトクと直接耳に伝わってくる。その一定のリズムに、強張っていた体から嘘のように力が抜けていった。
「頑張るのは、当たり前のことですから」
「当たり前のことを当たり前に続けるのは、とても大変なことですよ」
「でも、やらないと……追いつけないです」
「私のためを思うなら、そんなに急がなくていいんです。コウくんは『やらなくちゃいけないこと』に縛られすぎてます」
「でも……僕はまだ、強さが足りてない」
「違います。足りていないのではなく、まだ達していないだけです」
「達して、いない?」
コウは彼女の胸の中で瞬きをした。
「量と、距離の話です」
ィリーリアの声が、頭上から優しく降り注ぐ。
「コウくんの努力の『量』は、十分足りています。ただ、騎士というゴールまでの『距離』に、まだ到着していないというだけ。走るのが遅いわけでも、体力が足りないわけでもありません。ただ、道が長いだけなんです」
「それは……同じ意味じゃないのですか?」
「全然違います。コウくんはこのまま焦らず歩き続ければ、必ず辿り着けます。私が……いいえ、わたしとあの四人も、そう確信しているのですよ」
だから、自信を持ってください、と彼女は囁いた。
その言葉は、乾いた砂に水が吸い込まれるように、コウの心に染み渡った。
「……みんなが?」
「ええ。ラナもレムも、それから普段は滅多に褒めないアーティやフゥだって、コウくんのことを『末恐ろしい』って言ってましたよ」
「本当ですか?手も足も出なかったのに?」
信じられない、という顔をするコウに、ィリーリアは悪戯っぽく微笑んだ。
「考えてもみてください。あの四人が、ただの学生相手にあんな連携を使うと思いますか?」
「あ……」
「彼らが本気で厳しくしたのは、コウくんを『守るべき子供』ではなく、『未来の同胞』として認めたからです。カイルさんとの決闘を見て、彼らは貴方を『試練を与えるに値する男』だと判断したんですよ」
ドクン、ドクン。
繋がりを通じて流れ込んでくる彼女の感情には、一点の曇りもなかった。
誇らしさ、信頼、そして深い慈愛。
ボロボロにされたのは、弱かったからじゃない。期待されたからだ。
その事実が、コウの折れかけた心に、確かな熱を灯してくれた。
「……ありがとうございます。リリィ」
そっと身を離す。今度は、ィリーリアも抵抗せずに腕を解いてくれた。
至近距離で視線が絡む。
月の光を宿した彼女の瞳は、宝石よりも美しく輝いていた。
「一人で背負わないでくださいね。わたしも一緒にいますから。二人で一緒に、強くなっていきましょう」
ィリーリアは、年相応の無邪気な、けれど誰よりも美しい笑顔で告げた。
「──私の、大切な騎士さん」




