挿入歌 月輪をなぞるように(1)
物語は時を少し遡り、コウが入学し2ヶ月目のこと―
学校は基本的に7日間を一周期とし、1日目から5日目は座学を中心とした授業、6日目は実践を想定した演習があり、7日目は自習という名目の休日が与えられる。
世界標準の暦では7日目を安息日としているのだが、騎士養成学校では名目上、自習日とすることで生徒たちが自由に過ごせるようになっている。
ハルディンの街に繰り出すのは外出許可がいるものの、帰宅予定時間さえ把握できれば、あっさり許可が降りる。ただし、街までは徒歩でいく他なく、その道程は1刻ほどかかるので、外出許可をもらう生徒はそう多くはないのが実情であった。
もっとも1年次は街まで外出する余裕があるもののほうが珍しい。山のような課題や鬼のような訓練のおかげで文字通り自習するか、部屋でぐったりしているものが多いのだ。
しかしそれでも例外は存在する。たとえば、そう、コウの友人であるノアは余りある体力を常に持て余し気味であるし、要領のいいミリアなどは手際よく課題を片付けてしまっているし、2回目の一年生を満喫しているレヴィンはむしろ暇な時間を、趣味の木工に当てているほどだ。
「こーうくん!遊びにきたよ!」
ノックもなしにバンッと大きな音を立ててコウの部屋が開け放たれる。自習日の朝イチ。元気一色のノアはコウの予定をお構い無しに部屋に突撃してきたのだ。
「の、ノアちゃん、ここ男子寮だよ、入っちゃダメだよ!せめてノックしようよ!」
後ろから慌てて引き留めようとノアを掴んでいるのはミリアだが、男子の部屋に興味があるのか、辺りをちらちらと見回している。
「ちょっとなら大丈夫だよ!って、コウくんいなくない?」
拍子抜けしたようにノアががっくりと肩を落とす。
よろい戸が閉じられている窓から少しだけ日が差し込んでいる部屋はもぬけの殻で、静かなものだった。
「…朝早くから出かけたんでしょうか」
ノアを引き戻すことを諦めたミリアがノアに続いて部屋に入り、辺りを見回す。寝起きを思わせる少し乱れたベッドと、学習机の上に広げられたままの教本や、なにか書き留めてある羊皮紙が生活感を漂わせているが、目当ての人物はいそうになかった。
「ちぇー。今日は街まで買い物に付き合ってもらおうと思ったのになー」
残念そうに言うノアだが、「ま、いないものは仕方ないか!」といって気を取り直したのか、ミリアの手をがしっと握った。
「今日はミリアとデートということで!」
「え、えぇ!?デート!?」
目を丸くして戸惑うミリアにお構い無しでノアは引っ張り走り出す。
「ちょ、ちょっとノアちゃんまって!ドア、ドアしめないと!」
慌ただしくドアが閉められ、再び静寂に包まれた部屋。学習机に広げられた羊皮紙にぼんやりと魔法陣が浮かび上がっていた。
◇ ◇ ◇
ノアがコウの部屋を強襲していたころ、とうのコウは呼びだれて城に転移していた。
「今日は安息日です」
安息日に呼び出されるのは珍しい。早朝といっていい時間、コウが転移陣からやってきた先でみたのは、ぽんと眼の前で両手を合わせ、安息日を笑顔で喜ぶィリーリアの姿だった。
いつもの静謐な雰囲気とは異なり、少し幼い感じのする彼女の雰囲気に、ちょっとかわいいなと思ってしまうコウもつられて笑顔になる。
「そう、ですね。きょ…本日は安息日です。陛下ににかれましては、いつもは公務でい―お忙しいですも、んね」
咄嗟の敬語には、まだ時折つっかえてしまう。少し話して慣れればすんなり出てくるのだが、このあたりは詰め込まれた知識の量に対して実践が伴ってない弊害なのだろうと、コウは思った。
「あはは…敬語、うまくいかないものですね」
いまだに慣れないたどたどしい敬語は恥ずかしい。照れ隠しに笑う。しかし、ィリーリアはコウの拙い敬語を叱責することもなく、微笑ましそうに笑う。
「ふふ、無理もありません。先程もいいましたが今日は安息日。わたしのことも、ただの『ィリーリア』として扱ってください」
悪戯っぽく微笑むと、彼女はコウの手をぎゅっと握りしめた。柔らかく、しかし有無を言わせぬ力強さがあった。
「さあ、行きますよコウくん。今日は貴方の日頃の勤労を労うために、とっておきの場所を用意したのですから!」
「え、ちょ、陛下? どこへ!?」
◇ ◇ ◇
引っ張られるまま連れてこられたのは、ィリーリアの居住区画である銀龍宮に入っていく。普段なら専属の女中たちが忙しなく働いているはずの場所だが、今はしんと静まり返っている。
そういえば、こうして銀龍宮に入るのは初めてなのではなかろうか。
意外なことに過度な装飾品などはなく、むしろ落ち着いた―本城と比べると、いっそ質素といっても差し支えないほど、最低限の調度品しかおいていない。
なんとなく想像していた歴代の皇帝たちの肖像やきらびやかな垂れ幕や、なんだかよくわからない高価そうな壺や眩しいくらい金銀財宝に彩られた冠が飾ってあるのだとおもっていただけに、むしろ興味深く観察してしまう。
「あ、大丈夫ですよ、人払いは済ませておきました!」
キョロキョロと周囲を見回すコウを、警戒しているものと勘違いしたィリーリアはコウを安心させるように口元に人差し指を当てながらいった。
ただ単に物珍しさで周囲をみていただけとは恥ずかしくて言えないコウは、ィリーリアの言葉に「は、はい」とだけ返した。
あまりジロジロあたりを見るのは控えようと思った。
そうこうしているうちに、たどり着いたのは一階にある広々とした厨房だった。
「じゃーん! 今日はわたしが、コウのために最高のお茶会を開いて差し上げます!」
厨房の中心に立ち、ぇへん、と胸を張る銀髪の皇女様。年相応のその愛らしいドヤ顔に、コウは目を丸くした。
「お茶会って……ここで、二人きりでですか?」
「あ。もちろんテーブルは外に用意してます!」
「あ、えっと、そうでなはなくて、他の方はいらっしゃらないんですか?」
「はい。今日は私とコウくんの二人だけです」
にこっと笑ったあと、少しだけ恥ずかしそうな素振りを見せる。
「その…コウくんはいつも夜遅くまで訓練をして、傷だらけになって帰ってくるでしょう? 今日はその疲れを癒やしてあげたいと思ったのです」
その言葉と恥ずかしそうなィリーリアの表情にコウの心臓が、とくんと跳ねた。
学校では無能と蔑まれ、いまだ成果を出せていない自分の姿を、彼女はずっと見ていてくれたのだ。その事実に目頭に熱いものが込み上げてくる。
「……ありがとうございます。でも、お茶の準備くらいは僕が――」
「だーめーでーす! 今日はわたしがコウくんをもてなすのです。なので、コウくんは大人しくわたしに付き従ってください!」
そう宣言して、ィリーリアは用意していた茶器セットがのった配膳カートを押しながら、勝手口から外に出ていく。
「あ、ィリーリア様、ま、まってください!」
勇ましくずんずんと進んでいくィリーリアのあとを慌てて追いかけながらコウは思う。
お茶会はィリーリアなりに色々考えた結果なのだろうと。
しかし、外に用意された席についてから、数分も立たぬうちにコウはィリーリアに任せたことを少し後悔する。
「ああっ、熱っ!?」
「陛下!?」
「だ、大丈夫です、ポットが少し重かっただけで……きゃっ」
ガシャン、と危なっかしい音が響く。見ている方の寿命が縮まりそうだ。コウはたまらず椅子から飛び出した。
「や、やっぱり僕がやります! 火傷でもしたら大変だ」
「い、いえ……でも、これでは私の感謝が伝わらないではないですか」
しょんぼりと眉を下げるィリーリア。その姿に、コウは孤児院で一生懸命、お手伝いをしようとするチビ達を思い出した。
大人にあれやこれやお膳立てされたいわけではなく、感謝の気持ちから相手に喜んでほしいからやるのだ。その相手が全部やってしまっては元も子もない。
困ったように笑って、彼女の小さな手を取った。
「魔導ポットは見た目以上に重いですからね。よければ、一緒にやらせてくれませんか?僕にィリーリア様を支える栄誉をいただけると嬉しいです。」
不思議なほどスラスラと言葉が出てきた。
「………」
「ィリーリア様?」
返事がないィリーリアの顔を覗き込む。どこかぽーっと呆けたような顔をしたィリーリアが覗き込むコウの視線に気づき、ハッとする。
「あ、は、はいっ!い、一緒にやりましょう!」
ぎこちない返事をするィリーリアを不思議に思いながら、コウは「では」と前置きし、背後から回り込むようにして、ィリーリアの手ごとポットを握る。
背中に触れる体温。ふわりと香る甘い匂い。至近距離にある白い首筋に、コウは自分の顔が熱くなるのを感じた。胸の高鳴りを隠すように声を少し張り上げた。
「お湯はゆっくり、円を描くように……そう、上手です」
「こ、こうですか……?」
緊張で震える彼女の手を、コウの手が優しく包み込んで安定させる。お茶は孤児院のときにも淹れていたし、ここにきてからは正しい作法をアーティから教わっていた。
手慣れた様子のコウとぎこちないィリーリアの共同作業で注がれる琥珀色の紅茶。湯気とともに立ち上る香りが、二人の間を優しく満たしていく。
「……ねぇ、コウくん」
作業の手を止めないまま、ィリーリアがぽつりと呟いた。
「わたしは、嬉しいのです。こうして貴方と、ただの男の子と女の子として過ごせることが」
その言葉は、皇女ではなくただのィリーリアが発した心の声なのだとコウは感じ取った。同時にコウは確信した。今日のこの一連の中で見せたどこか無邪気で幼い彼女の正体を。
(これが本来のィリーリア様なんだ)
自分と同い年の女の子。
『今日は安息日です』
それは皇女の安息日なのだ。銀月の皇女と言われる彼女の本当の輪郭。
それを見せてくれるのはとても、嬉しく光栄に思った。
「……僕も、嬉しいです」
そう答えると、ィリーリアの肩が安心したように震えた。
そして肩越しに彼女が振り返る。アメジスト色の瞳が何か決意の色をにじませコウをじっと見据えていた。
「なら、お願いがあります」
そういってから彼女は顔を少しだけ巡らせ、上目遣いにコウを見つめた。きれいな瞳が、濡れたように揺れている。
コウは彼女の言葉を待った。何か言いにくいことなのだろう。彼女の気持ちが固まるまで待つ。
何度か口を開けては、つぐみを繰り返し、おずおずと伺うように話しだした。
「その敬語、やめませんか? そしてわたしのことも、あの堅苦しい名前ではなく……家族が呼ぶように、『リリィ』と呼んでくれませんか?」
「えっ、でもそれは……」
驚いた。何か自分にしてほしいことがあるのだとは思っていたが、彼女のお願いは予想外だった。
「二人きりのときだけでいいのです!それにこれは命令ではありません。……わたしのお願いです。どうか聞いてくれませんか?」
懇願するようなそんな目だった。そんな目で見つめられては彼女の希望を叶えたくなってしまう。
(……これは二人のため)
コウは覚悟を決めたように息を吐き、ポットを持つ手に少しだけ力を込める。
「……敬語は、すみません。今、やめてしまうと、どこかでボロがでてしまいそうなので、お願いは聞けません」
「あっ…」
まるで花が萎れるように彼女の瞳が伏せられる。ずきりとコウの胸がいたんだ。
「でもっ―」
コウは振り払うように強く言う。
「僕がちゃんとした騎士になれたときには、敬語はなくします。それは約束します『リリィ』」
その瞬間、パァッとしおれた花が元気を吹き替えし、笑顔がコウの腕の中で輝いた。
あまりの眩しさと、至近距離で破壊力抜群の笑顔を向けられたことに、コウは遅まきながら自分が彼女を背後から包み込むような体勢であることを自覚し――ボンッ、と音がしそうなほど顔を真っ赤にした。
「あ、のっ! お、お茶! お茶が冷めてしまいますから!」
「ふふ、そうですね。さぁコウくん、座りましょう」
慌てて体を離したコウとは対照的に、ィリーリア―リリィは上機嫌で鼻歌交じりに琥珀色で満たされたティーカップをテーブルへ並べていった。
シリアスだけでは疲れてしまうので、
描いていなかった3ヶ月間の二人のほのぼのエピソードを描きたかったのです。




