第8話 銀龍姫の心配事
「コウくんが御学友と決闘されることになったようですわ」
夕餉の席でしれっと、レムがいったそのセリフは、ィリーリアの動きを完璧に止めたうえ、口に運ぼうとしていた野菜をポロッと落とすという粗祖すを引き起こす程度には衝撃を与えていた。
「ど、ど、どういうことですか?」
動揺のあまりィリーリアの口調はおかしい。その反応が期待通りのものだったのか、レムはどこか楽しげな表情を浮かべている。
「私もつい先程アーティから聞いたばかりなので詳細は存じ上げませんが、なんでも今日の夕方ごろ、武人の家系であるエストラン家の御子息と何やら一悶着あったようで・・・」
「…夕方に一悶着」
何かあったのだろうか。そういえば夕方くらいにコウが強い感情を発露させていたのを繋がりから感じていた。彼が問題を起こすとは微塵もおもっていないィリーリアは呑気に何か本でも読んでいるのかな?くらいにしか思っていなかったが、まさかあのときだったとは。
「エストランところの倅といえば、跳ねっ返りで生粋の選民主義者で有名な話じゃな」
静かに食事をとっていたフゥが口を挟む。食べる所作を淀ませることなく、黙々と食事を摂っている姿は気を抜いたら見失ってしまいそうなほど希薄で、ィリーリアは少し驚いた。
「エストランの倅が何か問題を起こすと思っておりましたが、まさか小童と問題を起こすとは思わなんだ。ふむ。アーティとラナこのことについてゼクトと協議中といったところか」
「はい。フゥ様の仰るとおりですが、一点だけ。アーティはゼクトと今後のことについてお話をしていますが、ラナは心底嬉しそうにコウくんの育成プランを練っているようですわね」
ラナのウキウキした様子とコウの今後のしごかれっぷりを想像したのか、レムがフフッとたおやかに笑う。
「アーティとラナが今日いないのはそういうことだったんだ」
ィリーリアのぽつりと漏らした声はレムがニコっと笑って受け止めていた。
「今日は珍しく皆で集まれる日だったのですが、申し訳ございませんわ」
レムの優しい言葉にィリーリアは問題ないとばかりに軽く頭を降って応じた。
夕食の席は、だいたいィリーリアと4王は一緒に食事をとっている。以前はそうではなかったのだが、ィリーリアの両親が戦死したあと、4王はィリーリアが寂しくないようにと、自然とそういう流れになっていた。
もっとも、皆忙しいので5人全員が揃うことはあまりないが、誰かしら一緒にとっているため、ィリーリアはこの時間が割と好きだった。
「まぁ、ゼクトは今頃アーティにこってり絞られているとこじゃな」
ィリーリアはあの仏頂面の壮年の男性教官がアーティに詰められうなだれている様子を想像してしまい、フフっと笑いを漏らしてしまうが、今はそれよりもコウのことが心配だ。
クラルス騎士養成学校では決闘そのものはそうめずらしいものじゃない。年に7,8回は行われる。生徒たちのガス抜きも兼ねているためか、度が過ぎなければ多少の賭け事も容認されているくらいだ。
特段外部に宣伝などはしないが、関係者であれば、申請すれば見学だってできる。ィリーリアも父親に連れられて何度か見に行ったことがある。結構な人数が見学に訪れており、盛り上がっていたのを覚えている。
コウの初めての決闘、心配だからせめて見守りたい。
「その決闘は私も—」
「見に行くのは駄目ですぞ」
フゥの有無も言わさないダメ出しにィリーリアはたじろいでしまう。
「だ、だめ?」
「こればかりは、駄目じゃな。ご自分と今回の二人の立場を考えてみなされば、自ずとわかるじゃろう」
「…立場」
「姫様、そう難しく考えず、コウくんの現状とエストラン家と皇室の関係を思えばよいのですわ」
二人からヒントを貰い考えてみる。自分側から見えるものではなく、周囲の第三者目線で考える。
自身は皇族であり、エストラン家は武人の家系として皇室にも少なからず寄与している。対してコウは表向き、フゥの推薦により特別に入学が許された帝国人。ということは—
「あっ」
「気づかれましたな」
満足そうなフゥにィリーリアは神妙な顔で頷いて見せる。
「では答え合わせとまいりましょうか。姫様、なぜ今回は見に行ってはいけないのでしょう?」
レムの優しい問いかけにィリーリアは居住まいを正して答える。
「それは、彼が帝国人であり、エストラン家が少なからず国に寄与している家柄だからです」
「そのとおりじゃ」
フゥがィリーリアの解答を手放しで褒める。
そう。この構図は非常によくない。これまで戦争をしていた敗戦国である帝国から留学してきたものと、ハルディンに貢献している一族の決闘。
「もし姫様がこの決闘をご観覧されたとしたら、コウくんを応援してはいけません。そしてもしコウくんが勝ってしまったら。エストラン家は皇族の前で国に恥を欠かせたという汚名をかぶることになります」
レムの言葉に、フゥも頷いて肯定する。
そうなのだ。もしィリーリアが観戦しにいったら、それは本人たちの思惑を超えて国対国の構図になってしまう。でもそれでは今後一切彼の公的な試合については応援することはできないということではないのだろうか。
「なので今回は我慢してくだされ」
フゥの言葉に違和感を覚えた。今回は我慢しろというのであれば次回はいいのだろうか?
「…今回だけでいいの?」
「そうなりますな。ゼクトの小僧がわざわざ、悪目立ちさせたうえ、あのような決闘を執り行うには理由があるはずじゃ。まあ、わしの予想が正しければ今回の決闘で小童が勝てば、風が変わるはずじゃな」
そういって食事を再開するフゥはこれ以上は何も言うつもりがなさそうだった。レムに視線を向けると、レムもわかっているのかいないのか、にこっと笑いかけてくるだけで特に補足はしてくれなさそうだ。
これも考えろということだろう。
フゥやアーティがよく言っている。臣下の行動を信じることは大事だが、盲信してはいけないと。臣下の行動の意図を把握することも大事なことだと。これはそういうことなのだろう。
ィリーリアは冷めかけのスープをすくい口に運んだ。
たとえば冷めても美味しいこのスープは、歓談し時間がかかることを予想してのシェフの心遣いだろう。つまり忠誠心が高いとフゥが太鼓判をおすゼクトのことだ。皇室に不利益を起こすことはないのだろう。
「そうでしたわ」
はっと何かを思い出したのか、やおらレムが声を発した。
「コウくんなら大丈夫ですわ」
「大丈夫って…」
なんのこと?と聞き返そうとしたィリーリアは自分が一番心配していたことを思い出す。そうだ。フゥによって思考を誘導されていたのだが、ィリーリアが心配していたのは決闘の構図ではなく、彼が決闘することそのものなのだ
「大丈夫じゃない!コウくんが大怪我しちゃう!」
彼はまだ訓練や教育が始まってたったの4ヶ月しかたってないのだ。とてもではないがまともに戦えるとも思えない。
彼を信じていないわけではないが、常識的に考えて戦えるわけがないとィリーリアは心配しているのだが、しかし彼女の心配を他所に、レムは穏やかな笑みを浮かべながら静かに口を開いた。
「姫様、彼はたった1ヶ月で最低限になったのです」
「それは知っています!」
テーブルに乗り出しそうな勢いでレムにいう。
城に住んでいた1ヶ月のことはよく知っている。彼に選択肢はなくやるしかない状況ですごく頑張ってくれていた。一度だって腐ることはなかった。ラナもアーティもレムも、フゥでさえそのことを褒めていた。
「姫様、もう一度いいますね?ただの一般人でしかも幽閉されていた無学の子が、たった1ヶ月だけで我が国が誇る騎士の学校の最低限になったのですわ」
コウは頑張っていた。1ヶ月寝食を惜しんでがんばって…いや、まて。それまで数年間も幽閉されていた人間がたった1ヶ月で名門の最低限になれる?それは異常ではないのだろうか。
ィリーリアの顔にレムが言いたいことへの理解の色が広がっていく。
「彼の才能なのか、あるいは姫様と契約したことで能力が飛躍的に向上したからなのか、その両方なのかはわかりません。ですが彼の成長速度は我々をして尋常ではないものですわ。それが3ヶ月も継続して訓練したとなればなんの心配がありましょうか」
ィリーリアはこれまで繋がりから、彼の感情や気持ちに触れてきたから目がいかなかったが、そうだ。客観的に考えて彼の成長速度は早すぎる。
「コウくんの成長はよくわかるけど…」
ィリーリアの言葉はしりすぼみに消えていく。レムの言う通り彼が目覚ましい成長を遂げているであろうことはわかる。彼に特訓をつけているレムやフゥが決闘そのものについては全く心配してなさそうなのがその証拠でもあるのだろう。
でもそれとこれとは違うのだ。頭では理解しても心では、心配なものは心配なのだ。
気を落とすィリーリアを安心させるようにレムは静かに語りかける。
「ただ、姫様の心配もわかりますわ。これは彼にとっての初陣であり、姫様にとっては自身の騎士を初めて見送るようなものですものね」
「…うん」
「ですがご安心くださいな。コウくんには我ら4王がついていますわ。我らは彼を姫様にふさわしい騎士にするべく、全力を注いでいます」
「…うん」
それも知っている。みな忙しいのにそれでも時間をつくって彼に稽古をつけたり、知識を授けたりしているのだ。それもこれもィリーリアのためなのだ。
「私達を信じてくださいまし。コウくんは姫様が思っているよりずっと強くなられています。さきほど張り切ってかけていったラナなんかはコウくんが勝つこと前提で、勝ち方を教えるつもりのようですわよ?」
最後はいたずらっぽく笑って見せるレムの言葉で、子どものようにはしゃいでかけていくラナを想像してしまったィリーリアは思わずフフと笑いを漏らした。
「わかった。わたしはみなを信じる」
不安はいつの間にかなくなっていた。なにより今つながっているコウが不安を一切感じていないのだ。自分が不安に思ってしまってそれが彼に伝わってしまったらそのほうが申し訳ない。
ィリーリアの気持ちは晴れ晴れとし、今はただ彼の勝利を信じることができた。




