第4話 まっとうな敵
「よう、底辺どもじゃないか」
秘密基地でのひととき過ごし、楽しげに寮についた一行に水をしたのは不機嫌そうな顔をしたカイルだった。彼は自らの不機嫌さを隠そうともせず尻尾を左右に苛立たしげに揺らしている。
「なによ、またからもうっての!?」
ノアがすかさず前にでてカイルを威嚇するように毛を逆立てている。ノアの態度にカチンときたのか、カイルは威圧するようにノアの前に立ちはだかり睨みつける。その視線に負けじとノアは胸をはって睨み返す。
二人の剣幕に周囲が騒然となり、周囲から人が離れていく。
張り詰めた空気はいつ爆発してもおかしくない。寮内での私闘は禁止されているが、有名無実化している。異種族が過ごしているのだ。諍いが絶えることはない。
コウたちはいつでもノアを守れるようにジリジリと間合いを詰めた。
「最近森に入り浸ってるようじゃないか。なんだ?野生に戻って裸で四つん這いにでもなってきたのか?」
「はん。あたしの行動を逐一確認でもしてるの?あたしのこと好きすぎない?」
「だれが、おまえのような獣臭いメスを好きになるか。あーくさいくさい。おーいコウ」
カイルがノアの頭越しにコウに視線を送る。まさか自分の名前が呼ばれるとは思わず、コウは「は、はい?」と気の抜けた返事を返してしまう。
「これ、おまえのペットだろう?飼い主なら責任もって洗えよ?あ、それとも風呂で交尾でもすんのか?このくさい女がお前の情婦か!はは!劣等生同士具合が―」
カイルの言葉をパンッと乾いた音が遮った。
「サイテー!コウくんは関係ないでしょ!」
カイルの頬を叩き振り抜いた手をそのままにノアの叫び声が響く。叩かれたカイルは動きを止めている。その表情はうかがい知ることはできない。
「先に手、出したのはおまえからだからな?」
カイルの口から発せられたのは、地のそこから響くような低い声だった。その声に殺意のようなものを感じ、コウは総毛立つ。
―いけない!
とっさに飛び出せたのはラナやフゥの不意打ち訓練の賜物だった。
ノアの背中越しにカイルが回転するのが見える。コウの頭の中で警鐘が鳴り響く。
一歩。ノアの背中の前についた。
一挙。彼女の肩を掴み、ぐいっと引き寄せ、体を入れ替え、後ろに突き飛ばす。
一動。ラナに教わった防御の姿勢を取る。カイルの背中が視界に入る。彼の背中は回転している―
―瞬間、ズドンっ。全身に入る重い衝撃と骨の軋む音とともに、コウの体は激しい音を立てて寮の壁に叩きつけられた
「かはっ!」
あまりの衝撃に肺から根こそぎ空気が出ていく。鼻の奥にツーンと鉄の匂いがする。壁によりかかるようにずるずるとその場に崩れ落ちる。
「コウくん!?」
ノアの叫ぶような声が聞こえるが、コウは反応できない。視界がチカチカとちらつく。肺が空気を求めぜぇぜぇと荒い息がでる。
「コウさん!」
「コウ!!大丈夫か!」
ミリアとレヴィンが駆け寄り、コウの体を支える。
カイルは平然と再び正面を向いていた。尻尾を背後で誇るように上げているのが視界の端に見えた。
そう、コウが食らったのは彼の尻尾の一撃。
竜の尻尾は非常に危険な武器だ。強靭でしなやかな筋肉でできたそれを振り抜けば、岩をも砕く凶器になる。成人した竜のそれは人間の鎧などやすやすと潰れるような攻撃だ。
先に平手打ちしたとはいえ、そんな一撃をこの男はノアにやろうとしていたのだ。
「まぐれとはいえランク1のゴミが俺の尾を防ぐとは恐れ入った」
ぱちぱちぱちと、やる気のないカイルの拍手がその場に響く。カイルのその言葉に1番の怒りを示したのは、意外なことにミリアだった。
「ふ、ふざけないで!彼が大怪我をしたらどうするつもりだったの!」
普段の彼女からは考えられない剣幕と、震えながらも張り上げられた声がロビーに響き渡る。その怒りの全てを向けられたカイルはしかし、ぴくりとも動かない。
彼はまるでミリアが存在しないかのように、ゆっくりと、実にゆっくりと小指を立てると、その指先で面倒そうに耳の穴を掻いた。カリ、という乾いた音が、ミリアの荒い息遣いを遮るようにやけに大きく響く。
その侮辱的な仕草に、ミリアの言葉が詰まる。怒りで赤くなった彼女の顔を、カイルはようやく一瞥した。だがその瞳には何の感情も映っておらず、まるで道端の石ころでも見るかのようだ。
「……くらだないな」
退屈そうに呟き、指先についた耳垢をふっと吹き飛ばす。
「ただのクズが一人、学校を去るだけの話だろう。何をそんなに大騒ぎしている」
「このっ!」
「ダメだよ」
その言葉に今にも飛びかからんとしたミリアを、コウは手を伸ばして制していた。
「なんで、止め―コ、コウくん!?」
制されたミリアがコウの顔をみた瞬間、怒りが吹き飛び、動揺した。傍らのレヴィンもコウの顔をみてゴクリと息を飲んだほどだ。
「ねぇ、カイルくん」
二人の支えを振りほどき、コウは床をしっかり踏みしめ前にでた。
「…特般人の雑魚がなにをいっちょまえにランク2の俺に声をかけてくるとはどういった了見だ?」
ランク、そうランクね。学園のランクは強さの大事な指標だ。ユリウスがランク3で、カイルはランク2。入学当初は最低限のランク1だった僕。ランクがそのままヒエラルキーを表すなら、キミは僕より偉いんだろう。成績が低い自分たちに上から目線なのは仕方がないと我慢ができる。
「ねえ、キミ、ユリウスに勝てなくてイライラしているんでしょう?」
「…あ?」
ギロリとカイルがコウを睨む。尻尾がブンと大きく振られた。図星だったようだ。
コウは知っている。この3ヶ月間で観察した。フゥ仕込みの観察術は性格にカイルの人となりを見抜いていた。
カイルは自分が1番じゃないと気がすまないタイプだ。そして精神的に幼い。これまでその体格と腕力に物を言わせて従わせてきたのだろう。自分の思いのままになっていたのが、この学校にきて、初めて自分では勝てない強者に出会ってしまった。それがユリウスだ。
そしてユリウスはカイルを眼中においていない。コウには相変わらず嫌味を言うが、カイルに対してはそれすらない。
カイルはそれが気に入らないのだ。だからこうして自分たちに絡み、自分の強さを確認している小物だ。
コウは自分でも意外なほど頭の中は冷静に、しかし感情は燃えたぎっているのを自覚する。
もし、あの一撃がノアが受けていたら、大怪我だけでは済まなかっただろう。ィリーリアと契約し、強靭な肉体を手に入れた自分だからこそ耐えられたのだ。
あれは人を殺せる一撃だ。
その事実に、腹の底から、今まで感じたことのない熱いものがせり上がってくる。それは恐怖でも、悲しみでもなかった。幽閉されていた頃に失くしてしまったはずの、純粋な「怒り」だった。仲間を、ノアを、ミリアを、レヴィンを、理由なく傷つけようとする理不尽に対する、魂からの拒絶。
ゆえにコウは彼の逆鱗にふれる。
「ユリウスより弱いもんね。キミは」
その一言はカイルの理性をいとも簡単に吹き飛ばした。カイルの表情から余裕が消え、代わりに現れたのは憤怒の形相。
「てめぇ!一線を超えたからな!雑魚が死ぬぜ!」
咆哮と化した怒声とともにカイルが床を蹴る。それと同時、コウは背後のレヴィンとミリアを庇うように一歩前へ出て、迎え撃つように飛び出した。 二つの拳が、激突する寸前――。
「奈落に/落ちよ/傅け」
どこからともなく響いた地を這うような低い声。それは、三節の短い重力魔法の詠唱だった。
瞬間、二人の身体は見えない巨人に踏みつけられたかのように、床へと叩きつけられる。
「ぐぅっ…!」
「がぁっ、ああ…!?」
ミシリ、と床板の軋む音。指一本動かせないほどの圧倒的な重圧が、二人を床に縫い付けていた。
コツ…コツ…。
静まり返った寮の廊下に、規則正しい足音が響く。その音は重圧に呻く二人の前で止まった。
「――私闘は禁じられていると、入学初日に教わらなかったか。このアホウどもめ」
呆れと侮蔑が入り混じった声とともに姿を現したのは、心底面倒くさそうな顔をした男の声。
「…ゼ、ゼクト教官」
ミリアがぼそりと呟く。やってきたのはゼクトその人だった。
ここで初めて魔法が出ました。
この世界の魔法の概念は複数あり国家毎に詠唱方法が違ったりしますが、ハルディンでは一番スタンダートな詠唱法を採用してます。
この話もいずれどこかで。




