第11話 心配性な仲間
まぶたの裏に、淡い光が差し込んでいた。
ゆっくりと目を開けると、窓から射す夕陽が白いカーテンを橙色に染めているのが見えた。
しんと静まり返り、聞こえるのは遠くの時計の針の音と、どこかでカリカリと羽ペンを動かす音だけだった。
――ここは
ぼんやりとした意識で視線を向ける。
鼻に刺す消毒液の匂いでそこが医務室だとわかる。
体を少し動かしただけで、胸の奥に鈍い痛みが走る。全身が鉛のように重い。
――模擬戦。ユリウスの剣。そして……僕は、負けたんだ。
あの場にいた誰もが、僕を「特般人」と嘲笑ったに違いない。
ここにいるのは自分ひとり。夕暮れの静けさは、その孤独を強調している。
そのとき。
ガラリと勢いよく扉が開いた。
「コウくんっ!」
真っ先に飛び込んできたノアが、ベッド脇に駆け寄る。
息を切らしながら身を乗り出し、大きな瞳を潤ませている。
「模擬戦でユリウスに気絶するまで殴られたって!大丈夫!?」
騒がしい空気が、寂しさと静謐さで満たされた医務室を明るく吹き飛ばす。
「あはは…大丈夫とは言い難いかな」
苦笑して目を伏せるコウに、ノアは心配して体をぺたぺたと触ってくる。
「どこ!?怪我たくさんしたの?どこが痛いの!?」
「だ、大丈夫!いうほどじゃないから!」
わさわさと無遠慮に体を触られ、コウは体をよじって逃げる。
「傷の具合を見せて!大丈夫少しなら回復魔法もつかえ―」
バンッ!鈍い音はノアの頭から響いた。
「あいたっ!?」
痛みに頭を抑えてノアはうずくまる。コウの体をまさぐる彼女の頭を、いつの間にか背後にいた何者かが板で殴ったのだ。
背の高い狼の獣人族の女性。丈の長い白いコートのようなものをはおり、気だるそうなタレ目はノアを見下ろしている。
「馬鹿者。医務室では静かにするもんだ」
「ベラちゃんひどい!」
「だれがベラちゃんだ。ベラルダ先生と呼べ。てかたった一日で馴れ馴れしすぎるだろ」
叩かれた頭を抑えながら恨みがましい視線をむけるノアに、ベラルダ先生がめんどくさそうに吐き捨てた。
「ほら、生徒ノア。どけ。私が見れないだろう」
めんどくさそうに足で、ゴミを隅っこによせるようにノアをどかす。「ひどいよ~!」というノアの講義を黙殺して、ベラルダがコウの顔を覗き込む。
緑色のキレイな瞳だな。とコウは思った。黒に茶色がところどころ混じった髪の毛にぴょこんと生える三角の耳は犬系の獣人特有のものに見える。
真剣な顔で覗き込むベラルダの視線に気恥ずかしさを覚え、コウはそっと目線をそらした。
「ふぅむ。顔色は悪くないな。どこか痛みが残っているところはあるか?触るぞ」
コウの返事を待たず長い指で丁寧に触診する。胸のあたりに鈍痛が走り、コウは身を捩る。そこは最後にユリウスの突きを受けた場所だ。
「ここが痛むのか。まあ、だいたい治したから大丈夫だろう。明日まだ痛むようならこい」
そこまでいって興味を失ったのか、カツカツと足音を響かせて、奥の自分の席に戻ると、カリカリと羽目ペンを動かし始めた。
――なにも言えなかった。
聞いているようで、聞いていないベラルダの勢いに呑まれていた。
「よかった!明日には元気になれるんだね! ほんと、ほんとうによかった…よかったよぉ…」
にかっとノアが立ち上がりながら明るく笑っていたが、声のトーンが徐々におちていき、消え入りそうな声になっていた。コウに大事がなくて本当に安心したようだ。
ノアの乱入から勢いに呑まれてしまったが、心配してきてくれたのだ。まだ出会って間もないのにここまで心配してくれるノアの優しさに、コウは申し訳ない気持ちになった。
「ごめん、心配かけちゃったみたいだね」
「全然!ゼクト教官からコウくんが運ばれたって聞いて驚いたけど、元気そうでよかった!」
ぱっと明るく笑ってみせるノアの明るさに救われる。負けた悔しさが和らいでいくのを感じた。
「…ノ、ノアちゃん、ちょっと…は、早いよ」
そこに息を切らせて入ってきたのはミリアと―
「…ユリウスとの戦いの話。聞いたぞ。よくやったな」
レヴィンが片手をあげ、労いの言葉を言いながら部屋に入ってきた。
「もう、遅いよ!」
「ノアちゃんが早いんだよ。まだ挨拶終わってなかったからね?」
頬をふくらませるノアにミリアが心外だとばかりに反論する。ノアは呑気に「そうだっけ?」というと、ミリアは呆れたようにため息を付いた。
「そんなにおっきい怪我じゃなさそうでよかった」
「肋骨が折れていたから重傷なのは間違いないぞ」
席から視線を向けずにベラルダがしれっという。目を丸くしてノアとミリアは驚く。
「ええええ!?」
「肋骨って!?大丈夫なの!?」
ミリアは思わずコウに手を伸ばし、ハッとして止め、カーテンの端っこを掴む。どこか寂しそうに手が少しだけ震えているのをコウはみた。
「肋骨が折れるって重傷じゃん!あれ?でもさっき明日には治るって」
「私が治したからな。その程度の重傷なら擦り傷とかわらん」
ノアの疑問にベラルダが羽ペンを動かしながらあっけらかんと答える。「回復魔法の使い手、名医というやつだな」と口ひげをなでながら、レヴィンは感心してみせる。と思い出したかのようにコウをみた。
「ユリウスとの戦い、格上相手に最後まで諦めずに戦ったそうじゃないか。男をみせたなコウ」
顔をのぞかせながらウィンクして見せる。
意外とおちゃめなところがあるんだなとコウは笑い返した。
その後ろではノアとベラルダ先生がなにやら騒がしいことになっていた。
「はー。ベラちゃんってすごいんだね」「だからベラルダ先生だ。入学したてだろ馴れ馴れしいなお前は」「でもベラちゃんのほうが可愛いですよ?」「私はそういう馴れ馴れしいのは面倒なんだ!」
そんな中、ほっとしたようにため息がミリアの口からでた。
「今は大丈夫そうでよかった」
思わず伸ばしかけた手を、ぎこちなく引っ込める。
距離を置きながらも心配しているのが伝わって、コウは微笑んだ。
「うん、大丈夫。ありがと」
ユリウスには完敗だった。けれど――。
ここには、僕を心配してくれる仲間がいる。
それだけで、不思議と体の重さが少し軽くなった気がした。
「もういい!そこのねぼすけを連れて早くでていけ!成績発表がまだ残っているだろうが!」
ベラルダ先生は静謐を好む性格なのだ。
騒がしくしすぎて投げ出されるように追い出されたのは、言うまでもない。




