第2話 竜姫と特別生
大講堂。
入学の受付を済ませたコウたち新入生が通されたのは、広い空間の中央に竜の翼を広げた紋章が掲げられている大講堂だ。
入学者は全部で200名ほどだろうか。どこか落ち着きのない新入生たちのざわめきを大講堂は柔らかく受け止めているように見えた。
入った順に並ばされたのでコウは一番うしろに回されている。どちらかといえば小柄な部類にはいるコウが一番うしろの列に回されれば、当然、壇上は何も見えない。2,3列前に竜族やエルフといった大柄な種族の生徒がいるからだ壁になってしまっているのだ。
ざわめく新入生たちが、やがてシーンと静まり返る。コウからは見えないが、誰かが壇上に上がったようだった。
――まずは、祝辞からだったっけ。
先ほど渡された工程表の内容を思い出しながら、コウはどうにか壇上を見ようと左右に体を振ってみるが、残念ながら見ることは叶わなかった。
そして壇上に上がった人物は、低く響く声でこういった。
「諸君、クラルス騎士養成学校へようこそ」
ただ話してるだけなのに不機嫌そうに聞こえる特徴的な声、それはつい昨日、顔を合わせたばかりの人物、ゼクト=ヴァルシュタインの声だった。
「私は、君たち1学年を受け持つ学年主任のゼクト=ヴァルシュタインという」
キビキビとした口調でつまらなそうに自己紹介をするゼクトを新入生たちは固唾を飲んでみている。
「貴様ら卵どもの腑抜けた顔をみればわかる。ここはただの学び舎だと思っているだろう。だが勘違いするな。ここは学び舎であると同時に戦場でもある。貴様ら自身の成績と実力が階級を決め、階級が発言力を決める。ああ、貴様らにわかりやすく、簡単にいってやろう。強く賢いものが正義。そしてそれが我らの序列だ」
ゼクトの言葉にざわめく新入生たち。構わずゼクトは言葉を続ける。
「貴様らはこれから3年間、この学び舎で我々教官が導き、手ほどきし、多くのことを学び得るであろう。それをモノにするのもフイにするのも全て貴様ら自身の振る舞いと心得て励むように。―私からは以上だ」
声を張り上げ、ゼクトは壇上から一同を睨みつけるように見渡す。彼の言葉に大講堂はざわめきが埋め尽くしていた。
たっぷり30秒、ゼクトはその様子を壇上から眺めやがて息を大きく吸い込むと―
「静粛にせよ――!」
大きな圧力がかけられた。ざわめく生徒たちはその圧力に飲まれ、言葉を噤む。
シンと静まり返ったのを学年主任が満足気に睥睨する。
「まだ式の最中だバカどもめ。―ゴホン。これより、皇女殿下みずから直々に、貴様らに祝辞を賜る。女帝にして銀月の君たるお方の御言葉を賜る大変栄誉なことだ。敬意を胸に、姿勢を正し、貴様らの未来の主の言葉を、心して拝聴せよ!」
ゼクトの言葉が大講堂の天井に反響し、その余韻がすっと吸い込まれるように消えた。
誰一人として身じろぎすらせず、息を呑む音すら憚られる沈黙が降り立つ。
その静寂を破ったのは、壇上脇の扉の軋みと、コツコツと響く柔らかな靴音。
白銀の髪を月光のように輝かせ、ィリーリアが悠然と歩み出る。
その場にいた全員が息を呑み、コウはィリーリアの姿に感動を覚えた。
――綺麗だ。
緋色と白金を基調とした儀礼衣の裾が、滑るように床を払い、やがて壇上に至ると、その小さな体躯には似つかわしくない威容と気高さが、場を圧する。
アメジストの瞳が一度、新入生たちを見渡すと、静謐な空気を震わせるように彼女の小さな口から言葉が紡がれた。
「新しき卵たちよ。そなたらはただ剣を振るうためにここに集ったのではない。この学び舎は、竜の国を支え、人を護り、未来を築くための礎である。 我はその歩みを見届け、正しき者には栄光を、迷う者には試練を与えよう」
場が彼女の言葉に染まる。静かな熱気が彼女の言葉により熱狂へと変わっていくのがわかった。
これが竜の皇女のその威容。
熱気をさらに煽るように、熱を帯びたィリーリアの言葉は続く。
「ゆめ忘れるな。卵たちよ。そなたらは騎士になるべくここに来た。そして誓いを立てよ。騎士の誓い己が力を誇ることではなく、弱きを守り、大義に殉じる覚悟を持つこと。 そなたら一人ひとりが、やがて我が翼を支える鱗となる日を、心より望む。――銀月の名ィリーリア=E=ローウェルの名にかけて、健闘を期す」
祝辞の最後の言葉が大講堂に響き渡ると、ィリーリアは一瞬だけ新入生たちを見渡した。
アメジストの瞳に宿る光は冷たく、揺らぎなく、そこに憐憫も慈愛もない。その空気に飲まれ誰しもが息をすることすら忘れ彼女の姿に釘付けになっていた。
やがて彼女は衣の裾を翻し、壇上の端を振り返ることなく歩み去る。
その小さな背にまとわる気配はなおも重く、空気を圧するようであった。
銀の髪は静かな風に靡き、淡い光を帯びて流れる。
まるで銀月そのものが大講堂を横切り、去りゆくかのように――。
残された者たちは誰一人声を上げられず、ただ背筋を伸ばしたまま、その威容の残滓を飲み込んでいた。
そこにいたのは、コウが今まで接していたィリーリアではなく女帝としての彼女だった。
◆ ◆ ◆
新入生への挨拶のため、舞台袖で自分の出番を待つィリーリアはアーティに付き添われながら、気持ちを作っているところだった。
「大丈夫ですよ!リリィ、いつも通りで、大丈夫ですからね?」
付き添っているアーティの方がむしろあたふたしているものだから、逆に落ち着ける。
「アーティ、大丈夫よ。これが初めてじゃないのだからできるわ」
にっこり笑って見せると、心配そうな顔をしているが、アーティはなんとか納得してくれたようで、それ以上は何も言わず、ただ肩にそっと手で触れると、離れていった。
新入生への挨拶は皇族としての大切な責務であることは、ィリーリアもよくわかっていた。騎士の卵たちへ自身が将来仕えることになる主君の姿を見せること、声をかけることは大事な事だ。
前皇帝ーィリーリアの父もできる限り学校行事に顔をだしていたのをおぼえている。
ひとつ深呼吸し、イメージする。自分はいま鏡のまえにたっている。鏡には自分の姿が写っている。その姿は皇女として相応しい威厳と神秘に満ちている銀月の竜姫なのだ。
手を伸ばしお互いにふれると虚像と実像が入れ替わる。わたしは私に。
そうして私は顕れる。
今なお心配そうにみているアーティにただ一言告げる。
「行ってきます」
舞台袖から皆の前に歩みでる。そうすると様々な視線が向けられるのを感じる。畏怖、敬愛、疑心、興味。いろいろな感情が混じった視線が私に向けられる。その視線を一身に受けながら、自分自身を見せつけるように中央に立つ。壇上から見下ろすような形で騎士の卵たちが整然と並んでいるのが見える。
200人の中から彼の存在を左奥に感じた。彼との繫りがあるからこそわかる。たとえ1万人の中に埋もれようが、直に彼を見つけられる自信があった。それが繋がるということだと改めて実感した。
それとなく視線を向けると、緊張しているのだろう、肩肘張っている様子が見えた。
ーー大丈夫かな。
初々しい彼の姿に少しだけ微笑ましいが、不安な表情のほうが強い。ズキリと胸が少し痛くなる。
いけない。彼のことは気になるけど、式に集中しないと。
小さく息を吐き、気を引き締め直す。今は公務中だから私は皇女として振る舞わなければ。
彼が私のためにその道を歩んでくれるのなら、彼が仕えて良かったと思える私に、わたしはなりたい。
声をはり、自らの決意を表すようにィリーリアは祝辞を口にする。
◆ ◆ ◆
圧倒される新入生をよそに、ツカツカと壇上に歩み出てきたのは、学年主任のゼクトの姿。
「皇女殿下のお言葉をその身に刻み、みな勉学に励むように!」
そこから、学校長の挨拶や、担当教員の紹介などがあったが、ィリーリアの演説の余韻にひたっていたため、コウは何も覚えていなかった。
「さて、これから君たちにこの剣を授け、腰に帯びることを許そう」
式も終盤。壇上には再びゼクトがたっていた。ここからは一人ひとりに対して剣が授与される。
「名前を呼ばれたものから一人ずつ壇上に上がり取りに来い」
有無をいわさず、ゼクトは一人ずつ名簿に書かれた名前を読み上げる。
「衛生クラス、生徒アリア=フェネル、前へ」
「は、はい!」
呼ばれたものは返事をすると壇上に上がり、ゼクトから両手で恭しく剣を授かり一礼すると、ベルトの剣帯に装着し壇上を降りていく。
エルフ、ドワーフ、竜族、獣人、人間、様々な種族が壇上に上がっては恭しく剣を授かっていった。
自分の番は今か今かと待ち構えていたコウの出番は一番最後に待ち受けていた。
「戦術クラス…特別生徒コウ=ドラウグル」
その言葉に、会場の空気が僅かに凍った。
「…はい!」
凍った空気に一瞬飲まれそうになりながらも、コウは精一杯返事をし、前に出る。
途端に、冷たい視線が肌を刺す。コウの背後で小声があちこちから飛び交うのがきこえた。ただのざわめきとは異なる明らかに嘲笑や揶揄が入り混じっているものだった。
――あれが特別推薦枠か。
――平民だって聞いたぞ。
――どうせ汚い手でも使ったんじゃないか
――普通だな、すぐボロがでるだろ。
それはある意味、コウにとっては慣れ親しんだ言葉と感情だ。
――化け物が。
――罪人が。
嘲笑と罵倒の言葉は毎日聞かされていたから慣れている。
背後から突き刺さる様々な感情の視線を背中で受け止めながら、ゼクトから差し出された剣を一礼して受け取り、淀みのない動作で剣帯につける。
不機嫌そうな学年主任はただじっと彼を見据え、短く頷き、コウにだけ聞こえる声でいった。
「戻れ。貴様には貴様のやることがある」
◆ ◆ ◆
最後の一幕以外、入学式はつつがなく終わった。式の開始から2刻ほどたっていた。
式が終わると、案内役の教師が1年生が使う寮まで案内してくれた。確か彼の担当は薬学と紹介されていたはずだ。
寮の前に来ると、木造三階建ての大きな建物がコの字型に広がっていた。正面玄関の上には、竜の翼を模した意匠が掲げられていて、歴史を感じさせる。
「ここが一年生の使う寮だ。部屋割りは掲示板を確認してくれ。ルールや生活の細かいことは寮母と寮長から説明がある。では解散」
案内役の教師はそう告げると、足早に去ってしまった。
玄関ホールに入ると、すぐ右に「男子寮・東棟」、左に「女子寮・西棟」と書かれた矢印の札が見えた。中央は広々とした空間で、ソファやテーブルが置かれている。どうやら談話室を兼ねているらしい。
入口脇の掲示板には、案の定、生徒たちが群がっていた。
「……どこだろう」
壁みたいに詰めかける人垣に阻まれ、コウは何度も背伸びしてみるが見えない。仕方なく軽く跳ねてみる。ひょい、と頭一つ分ほど飛び上がれば、視線の先に張り出された紙が見えた。
何度か飛んだ末、ようやく自分の名前を見つける。
「……あった。東棟一階、101号室……単独部屋?」
思わず口にした瞬間、背後でざわつきが広がった。
「単独部屋?」「やっぱ特別生だからじゃないか?」
好奇と嫉妬の入り混じった視線が一斉に突き刺さる。
いたたまれなくなり、その場から離れようとした時―
「やめなよ、みっともない」
ピシャリとした声が響いた。
人混みの中からさっそうと現れたのは尻尾を揺らした白い猫獣人の女の子だった。雪のように白い耳は先だけが淡いグレーで彩られている。感情の苛立ちを表すように左右に激しくゆれる尻尾は撫でたら心地よさそうなほどのフサフサのグレーの毛並みを備えている。耳と尻尾以外はほとんど人間とそっくりなのが獣人特徴だ。気の強そうな切れ長の瞳は毛先と同じ淡いグレーの色合いをしている。その瞳は今は、周囲を威嚇するように苛立っていた。
年齢はコウと変わらないように見える。だれだろう。
彼女は集団から抜け出し歩み出るとコウを守るようにコウと大勢の間に割って入ると、キッと集団を睨みつけた。
「あのさ、特別枠だか贔屓枠だか知らないけど、だから何?よってたかって一人を叩くのがあんたらの騎士道ってやつなの?」
そう言って、ねめ回すように集団を睨みつける。彼女と目が合いそうになった生徒たちはバツが悪そうに目線をそらす。
「ほら、あんたたちもう部屋割りはみたでしょう?だったら部屋に戻ったら?時間に遅れたら寮長さんに怒られるよ?」
その言葉を皮切りに三々五々、各々の割り当てられた部屋に向かっていく。
中には不平そうな視線を向けてくる生徒も何人かいたが、5分も立たないうちに掲示板の前には、コウと猫獣人の少女だけになっていた。
「あ、ありがと―」
お礼を言おうとして、急に振り返った猫獣人の少女がコウの鼻先に指を突きつけてくる。その勢いに驚き、コウの言葉は引っ込んでしまった。
「あのね、キミも特別生なんだからもっとしっかりしたら!?」
ずずい怒り顔を寄せてくる少女に思わず2,3歩後ずさりする。もっとも距離を詰めるように少女も進んでいるので、距離は離せない。
――す、すごい圧だ。
きりっとした瞳と真っ向から向き合わされる。コウをまっすぐみるその瞳には怒りの感情がこもっている。けど、その感情はコウでも、先程の生徒たちでもない何か別のものに向けられているような気がした。
「え、えっと、ごめん」
そして気がついたらコウは何故か謝っていた。何に対してごめんなのかまるでわからないが。そうしなければいけない気がした。
コウの謝罪をきいた少女は満足そうに姿勢を戻す。
「よろしい。てか怒ってないから、ちゃんとしてって思っただけ!」
フンと鼻息荒く、腕組みをする。くるくると目まぐるしく動く少女だなとコウは思った。
「あ、そうだ。自己紹介していなかったよね。あたしはコウくんと同じ戦術クラスで、名前はノア。ノア=フィルシア。見ての通り猫の獣人だよ。クラスメイトとしてよろしくね。特別生のコウくん」
打って変わってにこやかに挨拶し、握手を求めて手を差し出してくるノアの移り変わりにコウはただただ圧倒されてしまう。
「え、えっと、よろしく。ノアさん」
ぎこちなくそれだけを絞り出し、差し出された手を握った。
「じゃ、あたしは女子寮だから、また明日ね」
さっと手を振りほどくと、ノアは風のように去っていった。
そういえば、手も人間のそれと一緒なんだな。と場違いな感想をコウは抱いた。
ノアは書きやすくて好きなキャラです。




