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クォヴァディス ―滅びの剣と竜姫の誓い―  作者: フォンダンショコラ
第1部 序章 竜の姫と滅びの剣

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第10話 月光は罪悪と祝印の調べ

 這々の体で戻った部屋には、意外な人物が待っていた。

 コウの部屋は城で使われていなかった一室があてがわれている。ベッドと洋服箪笥と、机に窓があるだけのシンプルな部屋には、似つかわしくない銀色の輝きが待っていた。


「姫様!?」


 そこにはコウが目を覚ましてから一度も会うことがなかったィリーリアが、部屋の中にいた。

 窓辺に立つその姿は、まるで月光で編まれた幻のようだった。

 淡いドレスが夜の風にそよぎ、長い銀の髪が、光に揺れて浮かぶように見える。

 瞳は深く透き通り、部屋に差し込む月明かりと溶け合っていた。

 足音も気配もない、ただそこに"存在している"だけで、あまりにも神秘的で、コウは一瞬、夢かと思った。


「…ごめんなさい」


 静かに落ちたその一言に、現実の重さがにじんだ。

 ィリーリアは、目を伏せたまま、少しだけ唇を噛むような仕草をした。

 その肩はほんの僅かに揺れていて、彼女が内心でどれほどの葛藤を抱えていたのかを、コウは言葉にできず感じ取っていた。


「その…ずっと、会いに行こうか迷ってて。でも、どう顔を合わせていいかわからなくて…」


 言葉を選びながら話すィリーリアの声は、風鈴のようにかすかで、耳の奥に残った。

 コウは何か返さねばと思いながらも、うまく言葉が出てこなかった。

 こんなに綺麗な人だったろうか。

 夢で何度も思い描いた姿よりも、ずっと幻想的で、近寄るのも恐れ多い気がして、自然と目線を落としてしまう。


「無理はしていませんか…?」


 ィリーリアが、ほんの少しだけ歩み寄った。

 月明かりが二人の間に細い影をつくり、その距離感に、コウの心臓がどくん、と跳ねた。

 距離を詰められると、どうしていいのかわからない。姫様に対してどんな顔をすればいいのか、それすらも。


「頑張ってくれてるの、知ってる。誰よりも。…ありがとう」


 まっすぐに向けられたその言葉は、コウの胸にまっすぐ刺さった。

 こんな言葉をかけてもらう資格が、自分にあるのか。

 自分は何も知らず、振り回され、ただ必死に食らいついていただけなのに――


「あの…僕はっ!」


 言いかけた言葉は喉に詰まり、目が泳ぐ。

 こんな時、どんな顔をして何を言えばいい?

 姫様相手にどう振る舞えばいいのか。少年の頭は混乱し、答えを出せずにいた。

 一方のィリーリアも、どこか困ったように微笑んだ。


 その笑みには、安堵、申し訳なさ、嬉しさ、そして少しの戸惑いが混ざっていた。

 目の前の少年と、どう距離を縮めていいのかわからない―それはきっと彼女にとっても、初めての感情を覚えた。


 二人の間に流れる静寂は、決して気まずいものではなかった。

 風がカーテンを揺らし、月の光が部屋を満たす。

 ただその夜は、言葉ではなく、確かに存在するということを確かめるだけで十分だった。

 月は静かに夜空を渡っていた。


 言葉少なに並んで立つ二人の間には、言葉以上の何かがあった。

 気持ちが伝わったわけでも、許されたわけでも、約束を交わしたわけでもない。

 それでも、ただ会えたことだけで、胸の奥にぽつんと灯がともったような気がした。

 そういえば一つだけ気になることがコウにはあった。


「あ、あのッ!」

「は、はい!」


 勢い込んで発した言葉は少し驚いた顔をしたィリーリアに受け止められた。彼女と視線がまじり、キレイな紫色の瞳と目があった。月明かりをうけたそれはキラキラと輝き本当にキレイで息を飲む。

 きかないと!その一心で引きつる喉を無理やり開き、必死に言葉を紡ぐ。


「どうして、契約してくれたんですか?」


 そう。聞きたいことはそれだった。言葉を発し、俯く。

 彼女の表情を見るのがなぜか怖かった。


「僕、罪人で…何もない。身分も、姫様との繋がりも、ただ、いらないやつなのに」


 心が重くなっていく。

 罪人という言葉が常に付き纏う。そんなやつが皇女の騎士になるなんてありえない。

 訓練の日々の中、ふとした瞬間に頭をよぎる。あの時、罪人の自分なんかを助けなければ、こんな事にならなくて済んだのに。


「…繋がったの」


 ポツリと呟かれた言葉は静かに部屋の隅に消え入った。


「え?」


 繋がった。とはどういうことだろう。


「…コウくんを一目みた時、繋がったの。わたしとコウくんが」


 その言葉にコウはあの瞬間が想起された。

 ィリーリアが牢に入ってきて、自分と目があった瞬間、キンッと硬質な音が世界に響き、何かが噛み合った気がした。


 そうか、あの感覚が、繋がったということなのか。

 それでも。とコウの心に影を落とすのは自分が罪人であるということ。

 大罪人であるという事実は、彼女の隣に立つ資格を根本から否定するものだ。


「コウくん、あなたは罪人なんかじゃない」


 きっぱりとした声だった。まるで世界の真理を告げるかのように、揺るぎない。


「どうして、そう言い切れるんですか…?僕は、罪人で…」

「つながった私だからわかる」


 ィリーリアは自分の胸にそっと手を当て、コウの瞳を覗き込んだ。


「わたしの魂が、わたしの血が、あなたを選んだ。もしあなたが、あなたが言うような『罪人』であるならば、わたしの竜としての本能が、決してあなたを求めたりはしない」


 それは、感情論ではない。竜の皇女としての、絶対的な事実。


「だから、これはわたしの『わがまま』じゃないの。わたしの全てが、あなたを罪人ではないと証明している」

「…姫様の、全てが…」

「そう。だからあなたは、本当の意味では罪人じゃない。…あなたがそう思ってしまうのは、誰かがあなたを『そういう道具』にしようと、そう仕組んだから」


 その真っ直ぐな言葉に、コウは息を呑んだ。  仕組まれた、道具。その言葉が、錆びついた錠前に差し込まれた鍵のように、固く閉ざされていた記憶の扉をこじ開けていく。そうだ。僕はいったい、なんの罪を犯したというんだ? 何も思い出せない。その事実こそが、巨大な悪意の証明だった。


 ――記憶の濁流が、堰を切って溢れ出す。

 事実が空洞のように抜け落ちている。それに気づいた瞬間、記憶の扉が開く―


「実験は最終段階だ。奴の中の『滅剣』を強制解放させろ」

「構わん。竜の女帝ィリーリアを討つことが至上の命題だ」


 ズキッ!

「あっ…ぐぅっ!」


 脳を直接杭で打ち抜かれたような激痛。瞬間、視界が真っ赤に染まり、頭蓋の内側で心臓が脈打つかのような痛みに、コウは立っていられず体をくの字に折った。


「コウくん!?」

 悲鳴に近い声で、ィリーリアがその体を支える。今まで保っていた女王の威厳は消え失せ、ただ一人の少年を心配する少女の顔があった。彼女の華奢な腕が、震えるコウの背中に回される。不思議なことに、触れた場所から陽だまりのような温もりが流れ込み、荒れ狂う痛みの奔流を鎮めていった。

 そして痛みが潮のように引いていくと、今まで靄がかかっていた記憶が、残酷なまでに鮮明な輪郭を結んでいく。


 ああ、そうか。

 そういうことだったのか。

 僕は、彼女を殺すためだけに――

 コウは、憑き物が落ちたように顔を上げた。その瞳から光が消え、底なしの沼のような絶望が広がっている。


「…思い、だしました」


 掠れた、自分のものではないような声だった。支えてくれていたィリーリアの腕を、まるで汚れたものに触れるかのように、そっと押し返す。


「僕は、あなたを殺すために用意された、罠だったんです」


 告白は、静かな部屋に重く響いた。


「帝国は、僕を暴走させて…あなたもろとも、帝都の一部を消し去ろうと…。僕は、そのためだけの、道具で…」


 言葉が途切れ途切れになる。罪人だと思っていた。だが、真実はそれ以上に醜悪で、救いがない。彼女の温もりも、笑顔も、今のコウにはあまりにも眩しすぎた。


「だから、あなたは僕を助けちゃ、いけなかったんだ…」


 俯くコウの肩が、小さく震える。その時だった。


「…知っていました」


 凛とした、しかしどこか泣き出しそうな声が、彼の耳に届いた。


「え…?」


 顔を上げたコウが見たのは、全てを受け入れるように、悲しげに微笑むィリーリアの姿だった。


「あなたが、帝国にどう扱われていたのか。…わたしを害するための『滅剣の器』として、利用されていたことも」


 時が、止まった。

 知っていた? なぜ。どうして。ではなぜ、この手を握ったのか。なぜ、騎士にしたのか。なぜ、あんなにも優しく名前を呼んだのか。

 理解を超えた真実に、コウの心は張り詰めていた糸が切れるように、崩れ落ちていく。


「ぁ…ああ…」


 膝から力が抜け、床に崩れ落ちそうになる。その体を、ィリーリアが今度は力強く、抱きしめた。

 細い腕が、コウの広い背中に回される。月光を浴びた銀の髪が、彼の頬をくすぐった。


「やめて…ください…汚れる…」

「汚れません」


 拒絶するコウの言葉を、彼女はさらに強い力で封じ込める。


「あなたは道具なんかじゃない。罠でもない。…あなたは、わたしの騎士になるのです」


 耳元で囁かれる声は、震えていた。けれど、その響きには一片の迷いもない。


「利用されていた過去も、その力も、全部、わたしが受け止めます。だから、お願い。一人で泣かないで」


 その言葉が、最後の堰を壊した。

 コウの瞳から、こらえきれなかった涙が止めどなく溢れ、彼女のドレスの肩を濡らしていく。声にならない嗚咽が、彼の背中を揺らした。

 それは、彼が生まれて初めて、誰かの腕の中で流した涙だった。


「…そろそろ、戻らないと」


 コウが落ち着いた頃、そう言ってィリーリアは、そっと視線を落とした。

 その声音には名残惜しさと、立場をわきまえるような距離感が混じっていた。

 いつのまにか、月は窓の枠に差し掛かっている。結構な時間がたっていた。

 姫として、誰かの上に立つ存在として―それでも今は、ただ一人の少年と同じ部屋にいたことが、彼女の心を少しだけやわらかくしていた。


「…ありがとうございました。姫様」


 コウの声は、かすかに震えていた。

 だけどその一言には、確かな思いが込められていた。

 ィリーリアはわずかに目を見開き、それから―ふっと微笑んだ。


「…おやすみなさい、コウくん」


 短く、それだけを告げて彼女は踵を返す。

 扉へと向かう歩みは静かで、けれど揺るぎなく、美しかった。

 その背中を、コウはただ見送ることしかできなかった。


 扉に手をかける直前、ィリーリアはふと振り返った。

 月光がその輪郭を柔らかく包み込み、銀の髪がふわりと宙に揺れる。

 視線が交わった瞬間、何かを言いかけたように唇が動いたが、それは声にならなかった。

 結局、彼女は何も言わず、ただもう一度だけ微笑んだ。

 その笑顔はどこか儚く、まるで「夢が終わるよ」と告げるように咲いていた。


 カチャリと静かに扉が閉じる音だけが残り、部屋には再び、夜の静寂が戻った。

 けれど、もうさっきまでの部屋とは少しだけ違っていた。

 月明かりはまだ優しく床を照らし、カーテンは同じように揺れていたけれど―


 コウの心には確かに、ひとひらの光が残っていた。

 罪悪感はもうない。

 明日も頑張ろう。

 キンッと硬質な音がどこからともなく響いていた。


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