「第五話」モモタロウ
「美味ぁ〜い! はふはふ、んっ……ん〜!」
騒がしかった店内が静まり返っている。机に並んだ肉やら魚やらを大量に頬張り飲み込み、幸せそうな顔をする少女の食べっぷりは狂気じみており、その細く小さな体のどこに収まっているのだろうかと考えずにはいられない。
まぁどちらにせよ、斜めだった彼女の機嫌はすっかり良くなったようでひと安心だ。
酒瓶を一気飲みする祖母をチラ見してから、私は恐る恐る目の前の少女に声を掛ける。
「あの、お料理美味しいですか?」
「ん」
少女はどでかい骨付き肉を一旦皿の上に置き、ソースまみれの口元を袖で拭ってからニッコリと笑いかけてきた。
「勿論! いやぁこんなにきちんと飯を食ったのは久しぶりだね、こんなに沢山奢ってくれてホント感謝だよ!」
「そ、そうですか。それは、よかったです」
ほっと胸を撫で下ろすような気持ちだった。よかった、本当に。機嫌を直してくれて。
「あっ、あの。あの時は本当に……ごめんなさい、壊してしまって」
「いいよいいよ、こうして飯も奢ってくれたわけだし。なにより良いデータが取れた」
「で、でーた?」
「まぁまだまだアレには改良の余地があるってことさ。気にしなくていいよ」
とりあえず、発明品を壊したことについては許してもらえるらしい。
(……それにしても)
今も信じられない。目の前にいるこの少女が、あの大きな”鉄鬼”……いいや、”鬼武者”とやらを作り上げた張本人だなんて。
こうして同じテーブルを囲みながら会話をしていても、やはりただの少女にしか見えない。だがあの”鬼武者”といい、凄い勢いで走る鉄の塊といい……あれじゃあまるで、伝説の英雄様の残した遺物じゃないか。
何者なんだろう、この子は。
「えっと、リア……だっけ?」
「……あっ、はい! 私がリアです。それからこっちがトウテツさんで、隣にいるのが祖母のラディアです」
「ふーん。ボクはファソネさ、よろしく」
差し出された手を取ると、やっぱりそれは小さな少女の手だった。声が幼いのに口調はやけに大人びていて、その雰囲気も落ち着いている……見た目と挙動で違和感しかない、ファソネという少女に対して私はそんな印象を抱いていた。
「ねぇ、ボクちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「え? いや、まぁ私が答えられる範囲なら……」
「あー違う違う、ボクが聞きたいのはこっち」
そう言って、ファソネさんは握りこぶしから飛び出した親指で隣を差した。そこには、退屈そうに工具の手入れをしているトウテツさんがいた……彼は私たち二人の視線に気づいたのか、顔を上げて数回瞬きをした。
「……あの、トウテツさんになにを……?」
「なにをって、そりゃあいくらでもあるけどまずはやっぱり」
ファソネさんはトウテツさんの腰辺りを指さす。
私が覗き込むように見ると、そこには赤い工具ベルトがあった。
「街の外で出会った時、トウテツ君はボクの”鉄甲車”をバラバラに分解しただろう? アレは、”鉄鬼”の攻撃を受けてもびくともしないボクの自慢の発明品だった」
「わ、悪かったよあの時は……でもよ、ああでもしなきゃぶつかってたじゃねぇかよ」
「別にそんなことを責めてるわけじゃないさ。ボクが聞きたいのはたった一つ……」
椅子から立ち上がり、ファソネさんはトウテツさんの目の前にぐいっと顔を近づける。
トウテツさんは瞬きすらせず、ただ静かにファソネさんを睨む一歩手前で見つめていた。
「なぁ、トウテツ君」
再度、ファソネさんは指先を向ける。トウテツさんの腰に巻かれた赤い工具ベルトを。
「君はボクと同じ……あの英雄”桃太郎”の子孫なんじゃないか?」
店内のざわつきが、今度こそ完全に消える。
蝋燭の火を、吹いて消したかのように。
「どうなんだい?」
ファソネさんの目には確信があった。間違いない、きっとそうなのだという自分の考えへの絶対的自信が容易に見て取れる。
それに対してトウテツさんの目は神妙であった。今こうしている間にも返すべき言葉を吟味し、思考を巡らせているようなそんな面持ちだった。
「一つ、聞いてもいいか?」
ごくり、と。
飲み込んだ唾液が奥に滑り込んでいき、トウテツさんは、言った。
「モモタロウって、なんだ?」
「……」
……。
……。
…………え?
「待って、ちょっと待ってもう一回言ってもらってもいいかねトウテツ君」
「いや、だから、モモタロウって誰だよって聞いてるんだよ」
「……いやいやいや! あり得ないあり得ない! ええっ!? 知らない!? あの”桃太郎”を、”鉄鬼神”を倒した英雄がなんなのかを知らないのか君は!?」
「テッキシン?」
”鉄鬼神”とは即ち、人類の敵を示す一番大きな単語である。
それは人を喰らい動力とする”鉄鬼”と呼ばれる機械の化け物の始祖であり、かつて在った孤島である鬼ヶ島を根城にしていた最悪の存在。
奴が造り解き放った”鉄鬼”共と人類の戦いは、諸悪の権現であるそれが英雄”桃太郎”に倒されたことにより終結した。……無論、今まさに”鉄鬼”が再び動き出しているということは、その存在がなんらかの経緯を経て蘇ったと考えるのが妥当だろう。
「まさか、”鉄鬼神”のことも知らないのかい……?」
「おう、知らん」
「──えぇ」
絶句したファソネさんは脱力した様子で椅子に座り込む。
「もういいや。お会計するから、お金出してくれる?」
「あっ、はい」
懐から数枚の貨幣を手渡し、それを受け取ったファソネさんは店主のいるカウンターの方へと歩いていこうとして「ああ、そうそう」と踵を返してきた。
「なぁ、この後ボクのラボに来ておくれよ。これもなにかの縁だ、そのボロボロの……手袋? みたいなのをメンテしてしんぜよう」
「えっ、いいんですか?」
「勿論さ! んじゃ、店の前で待っててくれ!」
そう言って、ファソネさんは小走りで店主の方へと向かっていった。
「なぁ、モモタロウってやつはそんなに有名なのか?」
トウテツさんは意味がわからないと言った様子で、助けを求めるかのように私の方を見てきた。
「有名っていうか、知ってないとおかしいというか……」
自分たちにとってあまりにも身近で当たり前すぎることを一切知らないという彼に、私は驚きを隠せないでいた。だって、あの”桃太郎”だぞ?
いや、このまま黙っていてもトウテツさんが可哀想だ。
知らないなら本当に知らないのだろう、きちんと説明しよう。
「”桃太郎”っていう人は簡単に言うと、大昔にこの世界を救ってくれた人のことなの」
ぺらぺらと、自身の語彙力をフル動員して私は、私が知る限りの”桃太郎”の伝説を伝えた。
昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
おじいさんは山へ狩りに、おばあさんは川へ洗濯に行っていました。
ある日、川の向こう側からどんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れてきたので、おばあさんはそれを拾って家に帰りました。
なんとその桃を割ると、中から男の子が出てきたのです。
男の子の名前は桃から生まれたので”桃太郎”と名付けられました。
大きくなった桃太郎は、人々を虐げる鬼ヶ島の鬼たちを退治すると言い出し、おばあさんの手作りのきびだんごと、おじいさんの愛用していた道具を譲り受けて旅に出かけました。
その道中で犬、猿、雉をお供にし、桃太郎はついに鬼ヶ島にたどり着き……獅子奮迅、万夫不当の英雄に相応しい活躍を見せ、見事鬼退治に成功しましたとさ。
「……とまぁ、こんなお話なんだけど」
「鬼ヶ島とか鬼とか、まるっきり”鉄鬼”のことじゃねぇか」
「そう、その通り。実際におばあちゃんが子供の頃にはもう戦いは終わっていて、”鉄鬼”が人を襲うってことも無くなってたの」
「でもよ、桃から人間が生まれるとかありえねぇだろ。普通に考えて」
「それはまぁ、誇張とかおとぎ話として色々付け加えたんだと思う。でも”桃太郎”っていう人は確かにいたと思うし、いなかったら私たちは今頃……」
「ふーん、そっか」
遮るようにわざとらしく声を出したトウテツさんは、暫く空を見上げながら考え事をしているような仕草を見せてきた。うーんうーんと唸りながら、やがて。
「……うん、やっぱ俺、その”モモタロウ”ってやつとは関係ねぇと思うわ」
それを聞いたファソネさんは大変がっかりと肩を落とした。周りに寄ってきていた野次馬も興が冷めたのか、さっさと四方八方へと散り散りに消えていった。
いや、まだ私の中には燻っている”違和感”がある。
「……本当に、本当に知らないんですね」
「おう、今始めて聞いたよ」
「ちょっとだけでも聞いたこと、あったりしないんですか? ごめんなさい、いくらなんでもあの”桃太郎”を知らないだなんてやっぱり信じられなくて……」
「まぁ別に”桃太郎”に限った話じゃねぇんだけどな。俺、今までの記憶ねぇし」
「え?」
「いや、だから」
トウテツさんは再度、自らのこめかみに人差し指をつんっとしながら言う。
「俺、なんにも覚えてねぇんだよ」
「……え?」
「まぁリアに助けられるより前からかな、なんであんなズタボロに死にかけてたんだろうなーとか、どうしていきなり川に浮いてたんだろうなーとか……びっくりするぐらいなんも覚えてないんだ、真っ白だ」
なんでヘラヘラ笑いながらこんなこと言えるんだ、この人。
ってか、記憶がない? 私に助けられるよりも前の、今までのすべての記憶が無い?
じゃあ、”桃太郎”を知らないのもそのせいなのか?
「シケた面してると美人が台無しだよ、笑いな」
「おばあちゃん……」
おばあちゃんが肩に手を回してきた。酒臭さとおばあちゃんの匂いが混じって、総合的に落ち着く……ような気がする。見るからに酔っ払っている。
「トウテツさんよォ〜、ひっく。……全く思い出せないのかい?」
「ああ。親のことも、どこで生まれたのかとか……覚えてるのは自分の名前と、自分が何をしたかったのかっていう感覚だけだ」
「んぁ? 感覚ぅ? なんだぁい、そりゃぁ……うぃっ」
そのままおばあちゃんは私の膝の上で寝転んでしまった。滅多に酔わないくせに、どんだけ酒を呑んだんだこの人は。
でも、私も気になる。トウテツさんの”感覚”とやらが。
「なんなんですか? トウテツさんのその、感覚って」
「んー、まぁ色々あるけどやっぱり一番は、そうだなぁ……」
頬杖をつき、どこか遠くを見て考える素振り。
「……”鬼ヶ島に行く”こと、かな」