「第三話」自慢のおばあちゃん
動けないおばあちゃんを背負いながら、私とトウテツさんはとにかく走った。
”鉄鬼”がうじゃうじゃいる燃え盛る街の中でも、街を出た後の草原の上でも……心臓の音は五月蝿く、脈は爆発しそうなぐらい蠢いていた。
「はぁ、はぁ。……っは、ぁ」
走り続け、ここまでくれば大丈夫だろう。
そう思ったタイミングで全身の力が抜けていき、私は崩れ落ちるようにその場に膝をついた。
疲れた、怖かった、辛かった。
でも、なによりも……。
「リア、大丈夫かい!?」
「……街が」
遠く、目に見えるだけでもはっきりと分かる。
先ほどまで自分たちがいたはずの燃え盛る街から立ち昇るいくつもの黒煙が。
「私たち」
小さい頃、まだみんなが一緒に居てくれた頃。
私はまだあの街で幸せだった。家族が全員揃っていて、穏やかでゆとりのある毎日を過ごしていた……そう、思い込んでいたのだろう。
「もう、どこにも帰れないんだね」
「リア……」
そんな声で名前を呼ばないでほしいと思いつつ、おばあちゃんも同じような気持ちであの街を見ているのだろうと思うと、私の中では余計に……余計に、身投げに近い決意が強固なものになっていく。
「泣かないんだな、リアは」
ぽん、と。
隣にしゃがみ込んだトウテツさんが、私の肩を少し強めに叩いた。
「てっきり泣き喚くかと思ってたんだが、肝が据わってていい目をしてる」
表情は晴れやかとは言い難かったが、それでも沈んでいるという感じではなかった。胸糞の悪いものを見てしまって気分が悪い、あくまで他人事っぽいようなそんな様子だった。
「……あの、ありがとうございました。助けていただいて」
「ん? あー、いいよ別に。寧ろ早めに受けた恩を返せてよかったし」
薄く笑うトウテツさんは、視線を黒煙の立ち昇る街の方へと向けた。
胡座をかきながら、ゆらゆらと揺れながらため息をついた後に。
「ほんと、助けてくれてありがとな」
噛み締めるような、声だった。
これは私の勝手な想像だが、この人は責任を感じているように思えた。”鉄鬼”を一瞬で倒せる力を持ちながら……といった、あまりにも傲慢で優しすぎる歯噛みだった。
「さて、と。俺はそろそろ行くけど……えっと、お婆さん?」
「ん? あぁ」
おばあちゃんはゆっくりと上半身を起こした。もう身体の方は平気なのか、痩せ我慢している様子は見受けられない……本当に御年七十二歳の老婆なのかと、未だに疑ってしまう。
「ラディアだよ。そういうアンタはトウテツだったかい?」
「合ってる合ってる。んで本題なんだが……これから行くアテがないんだったらさ、アンタたちも一緒に来ねぇか? ここから川沿いを少し歩いた先にデカい街があるらしいんだ」
私はチャンスだと思った。その街に向かう間に交渉を持ちかけることができるし、なにより道中をこの人と共にできるのは大変頼もしい。
「悪いがね、アタシゃもう戦えやしないよ」
「え?」
当たり前のように言い放った老婆は、自分が手に装備している”風塵掌”を取り外した。
「ひっ……」
酷かった。それは、殆どが青く腫れ上がっている腕だった。
「老いぼれの身体で無理したのが良くなかった。情けないが、もう”こいつ”の反動に耐えられるような身体じゃ無かったんだよ、アタシは」
「そんな、じゃあ……ずっとおばあちゃんは」
「憐れむんじゃないよ。これはアタシがやりたくてやったことさ、しみったれた同情よりも感謝の拍手を寄越しな」
それにね、と。おばあちゃんは、そんなボロボロの腕で私の髪を撫でてきた。
「アンタを守れたんだ。無理した甲斐があったってものさ」
「……ありがとう」
ただ、それしか言えなかった。
「そんなわけだトウテツ。見返りとして戦力を期待してるなら申し訳ないが応えることはできないよ」
「なるほどねぇ、まぁそれならしょうがねぇな……」
トウテツさんは暫く顎に手を当てながら考えていた。視線をいろいろなところに向けながら、うーんうーんと悩んで、唸って、その末にふぅと一息ついて、そして。
「……よし、見返りはいらねぇ! だから一緒に行こうぜ!」
「えっ? いいんですか? いやその、すごくありがたいんですけど……」
「ぶっちゃけまだリアからの恩を返しきれた気がしないし、ここで別れたらお前ら間違いなく死ぬだろ? いろいろ寝覚めが悪ぃし、街に行くまでの間は守らせてくれよ」
「恩? リア、アンタこの男になんかしてやったのかい?」
「あはは、まぁ色々と……」
訝しげな顔をするおばあちゃんに諸々の事情を話し終えたところで、トウテツさんがぱぁんと両手を叩いた。
「うっし、じゃあさっさと行こうぜ。ここはまだ街から近いし、下手したら野良の”鉄鬼”が襲いかかってくるかもしれねぇしな!」
祖母はフフッと笑い、よっこいせと立ち上がる。
「ん、そうだね。……リア、アンタにはこいつを渡しておくよ」
「えっ?」
押し付けられたのは重い鉄拳……それはよく見るとおばあちゃんが愛用していた”風塵掌”だった。
「アタシゃもう戦えないからね。これはアンタが持っていておくれ」
「……でも」
「こんな重いモンをか弱いババァに持たせるのは心が痛むだろぉ? さぁ、持った持った」
言われるがままに押し付けられた”風塵掌”を受け取り、改めてその重さを実感する。とてもじゃないがこれを両手に嵌め、振るいながら戦うことなんて……想像、できない。
それを、この人は何十年もこなし続けてきた。
私を、あの街の人達を守るために……必死に。
「ありがとう、おばあちゃん」
「……ああ、頑張りな」
そう言って、おばあちゃんは振り切るように私とトウテツさんの前を歩く。
「いい人だな、お婆さん」
「……うん」
その背中は大きく、いい年のくせに丸まることを知らずにガンガン前に進む。
「私の、自慢のおばあちゃんですもの」
託された武器を、継いだ意思と役目を握りしめて自分に言い聞かせる。
今度は、私の番だ。