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「第二話」鉄鬼スクラッパートウテツ

 積み上げてきたもの、営んでいたもの、そこに根ざして生きていた人々。

 それら全てを炎が蝕み、肺の奥に重くのしかかる黒煙を造り出している。


 控えめに言ってこれは地獄というやつだ。

 逃げ惑う人々の叫びと慟哭が入り混じり、流れる血の一滴さえ乾いて焼き焦がされるような、地獄。


 「たっ、助けてくれぇええええっっ!」


 声は同じ目線からではなく、少し見上げるほど高い位置から聞こえてきた。見ると向こう側には二階建ての家と同じかそれ以上の上背を持つ巨体が、大袈裟な駆動音とともに現れた。


 「”鉄鬼”……!」


 やっぱり、と。的中した最悪の予感を信じたくなかった。

 純白の装甲と銅色の装飾。海老や蟹といった甲殻類を連想させるデザインのそれは、片腕と思わしき巨大なハサミに小太りの男を挟んでいた。──”鉄鬼”はそのまま、胴体と同化している大顎をガパリと開け……その人を口元に運んでいく。


 「いっ、嫌だ。やだぁ! やだぁあああぁぁぁぁぁづばぁああああああ!!!!!」


 大顎が男の胴体を咥え、潰し、引き千切る。

 人間には思っていたよりもたくさんのものが詰まっているらしい。鮮血がびちゃびちゃと滴り落ちる上半身から、内臓と思わしき肉塊が零れ落ちていた。


 「……おうっ」


 男の上半身を口に押し込むその様を見て、私は身動きできないほどの恐怖に晒された。逃げなきゃ私もああなる、走らなきゃ私も食われる。


 「あっ、ああっ、あっ」


 後退りしかできなかった。一瞬でもあの恐ろしい鉄の巨人から目を離してしまえば、背中からあの大きなハサミで真っ二つにされて……考えるだけで、考えるだけで叫びたくなる!


 「……あ」


 駆動音、そして。

 目と目が、合った。

 

 「あっ、ああああっ……」


 ズシン、ズシンと地を震わせながら巨体が鉄の巨体が迫ってくる。

 いっそのこと踏み潰してくれれば恐怖は少ないだろうか? 今からでも舌を噛んで死んでしまおうか? もはや私の中には、冷静に生存を模索するという考えも動きもなかった。


 動けない私の全身を、”鉄鬼”の遮った影がすっぽりと包んでしまった。

 伸ばされた腕に付着した血はまだ乾いていなかったものもあるし、とっくに乾いているものもあった。私もこの染みの一つになるんだと、叫ぶ気力さえ失って。


 「退きなぁ鉄クズ共ォ! アタシの孫にお触りしてんじゃないよォ!!!!」


 ヒュコォオオッッオオッッッ……シュヴァァアアッ!!!!!

 迫っていたはずの”鉄鬼”の姿は、横から割り込んできた叫びとそれに伴う風切りの音によって吹き飛ばされる。民家に頭から叩きつけられた”鉄鬼”は暫く蠢いたあと、力なくその活動を停止した。


 「ハッ! 呆気無いねぇ! 本当の鉄クズになっちまったじゃないか!」


 高笑い。地獄に似合わないそれが聞こえる方に、残骸から視線をゆっくりと移す。


 「……おばあ、ちゃん」


 そこには頼もしく、なにより安心感を与えてくれる祖母が立っていた。

 私は涙をこらえきれずに起き上がり、崩れるように抱きついた。


 「おばあちゃん。ラディアおばあちゃん……よかった、生きてて……ああ、死ぬかと思った……ぅう」

 「馬鹿だねぇアンタも。まともに戦えないくせにどうしてここに……ってまぁ、聞かなくってもだいたい想像つくがね」

 「……おばあちゃん、その手に嵌めてる武器って」

 「風塵掌。英雄様の残してくださった武器の一つさ。大急ぎだったからね、これ以外は持ってこれなかったが……ま、どうにかなるだろうよ」

 

 ふぅ、と。祖母は肩をぐるぐると回し、周囲をちらりと確認する。 

 まだ、炎の勢いが弱い部分があった。

 

 「……あっちから街の外に出るよ。走りな!」

 「っ、うん!」


 先を走る祖母の背中は、私に希望を与えてくれた。生き残れる、死ななくて済む、この地獄から引っ張り上げてくれる救いの手だった。


 (ここを曲がれば、街の外に……)


 燃え盛る町並み、崩れていく日常の舞台だったなにか。

 さよならを心で唱えながら、私はただひたすらそれらに背を向けて走った。 


 ──ぎっぎぃ、ぎぎぎぎぎぎぃいいぃいぎぎぎいいいいいいいいっっ。


 風、衝撃、立っていられなくなるほどに地面が歪み、揺れる。

 

 (なに、今の……)


 砂埃が舞い散り、視界が一気に劣悪に染まる。なにも見えない、なにも分からない……ただ、耳の奥に静かに確かに伝わる駆動音が、私の血脈をどんどん加速させていた。


 ──ぎぃいいいいっ、ぎぃいいいいいっ。


 砂埃に包まれたその全貌が、晴れていく。

 純白の装甲、見上げるほどの巨躯。

 丸太のような剛腕、力強く威圧感のある鉄仮面。──猿。いいや、ゴリラだ。


 「……ぁ」


 いいや、重要なのはそこではない。

 そいつの剛腕には、血反吐を吐く祖母が握られていた。


 「ぁあああああああああああああああああああああああああああ」


 絶命している。殺された。ああまた殺された、次は私だもう逃げられない誰も助けてくれない。

 私はぐちゃぐちゃになって死ぬだろう。そのあとに啜られるだろう貪られるであろうああいやだいやだいやだ。


 「──はな、せぇ。この鉄クズがぁ!!!!!!」


 キュォオオオ、ゴォンンンッッッッ!!!!

 吹き荒ぶ風が、おばあちゃんの”風塵掌”から超至近距離にて放たれる。その威力は反動でさえ凄まじく、風圧に耐えきれずに尻餅をつくほどだった。


 (まだ、生きてる)

 

 安心。しかし、それはそよ風だと言わんばかりの不動によって散らされる。

 その”鉄鬼”は”風塵掌”の直撃を受けてもなお、びくともしていなかった。


 「このっ……クソッ、タレェ……!」

 

 がぱり。開かれた鉄仮面の大顎に、祖母が運ばれていく。握りしめられた祖母の身体が、抵抗する気力も体力さえもない祖母の身体が……悍ましい”鉄鬼”の口元へと。


 「いや、いや……待って、お願い」


 相手は聞く耳を持たない。私のことなど見向きもせず、淡々と私の大事な人を咀嚼しようとしている。

 私は戦えない、立ち上がることすらできない。

 おばあちゃんが殺されるのを、泣きながら見ていることしかできない。──さっき食い殺された、名前も知らないおじさんのように。


 「……けて」


 もう、この街に戦える人間はいない。

 そもそも、生きている人間がいるかどうかもわからない。


 「たすけて……!」


 それでも、祈ってしまう。

 いるかどうかも分からない誰かへ、聞こえるわけがないほど小さな声で。……覚悟を決める暇もなく、ただ私は現実を受け入れ、涙を押し潰すように瞼を閉じた。


 ……ぱきん、がらんがらん、きぃーん。


 (……あれ?)


 ……閉じた瞼を開いて、私は、目の前で起きた全てを目撃した。

 地面に散乱する鉄塊、部品の数々。火花を散らしながら後退る”鉄鬼”の右肩から先は綺麗に無くなっていて、それは斬撃や爆撃といった力技によるものでは無いように見受けられた。


 「忘れ物したと思って戻ってきてみたら……」


 そして、目の前には背中があった。


 「なんだこれ、地獄か?」

 「トウテツ、さん……!?」


 大きく、広く、何より頼もしい彼の背中が……祖母を抱きかかえながらそこに立っていた。

 彼は祖母をそっと地面に寝かしつけたあと、振り返る。


 「よっ、さっきぶりだな!」


 しゃがみ込んできたトウテツさんはやっぱりトウテツさんだった。赤いハチマキで纏められた逆立った白髪、白いシャツ、工具ベルトが巻き付けられた黒いズボン……黒い手袋を嵌めた大きな手には、それぞれ二本ずつ工具が握りしめられていた。


 「あの人は無事だ、まだ生きてる。それよりいきなりで悪いんだけどさ、俺のドライバー知らねぇか? こう、赤いグリップのやつだよ」

 「……あっ、はい」


 私はもうなにがなんだか分からなかった。ポケットの中にしまい込んでいた、恐らくトウテツさんの忘れ物であろう赤いグリップの……ドライバー? とやらを力無く手渡す。


 「おっ、これこれ。やっぱお前ん家にあったんだな、ありがとうな持っといてくれて」

 「──トウテツさん後ろ!」


 片腕を失っても完全に破壊されたわけではない。ゴリラに似て非なる形をした”鉄鬼”は、残った腕を乱暴に振り上げ、そしてそれを私とトウテツさんの方に振り下ろした。

 

 「うっし、じゃあ道具も揃ったことだし……」


 不可避、当たれば即死。


 「バラすか」

 

 ──だったはずの、一撃。

 それは、しゃがみから繰り出されたトウテツさんの裏拳が触れたと同時にバラバラに崩れていた。……その拳には、指と指の間に二本の工具が握りしめられていた。


 私はその全貌を、冗談にしか思えないような正体を目撃していた。


 (一瞬で、分解した……!?) 


 一見するとそれは工具の先端がコツンと触れただけのように思えた。

 だがそれは違った。私は見たのだ、次々に緩められていくネジを、装甲の向こう側に隠れた赤やら緑やらの神経のようななにかが切断されていくのを……目で追えただけでも実に百回を超える連撃が、あの”鉄鬼”の腕を構成する連結全てを解ききったのだ。

 

 「ここに来るまでの道が、ほとんど血の海だったよ」


 立ち上がり、私に背を向けて歩き出す。


 両腕を失い後退る”鉄鬼”と、対照的に一歩一歩を確実に詰めていくトウテツさん。

 背中越しでもその様子が、怒りに満ちていることが分かる。


 「何人喰い殺したんだよ、テメェらは」


 なにも分からなかったはずの私は、少しずつ察しがついていた。

 しかしそれはあり得ない。現実的に考えてまず絶対に人間が成し得ないことだと常識的に分かっていたからだ。


 それでも、事実は目の前で繰り広げられていく。


 「ッシャァッ!!」


 先に仕掛けたのはトウテツさんだった。前傾姿勢を保ったまま、勢いよく”鉄鬼”に突っ込んでいく。


 対して”鉄鬼”の肩部分が開き、変形した後にその中からミサイルが六発ほど放たれる。それはバラバラな軌道を描きながらも、あらゆる方向からトウテツさんへと向かっていく。


 (避けられない!)


 ダメだ死んだ。そう思っていたのは、私だけだった。


 「──ヴァラァッ!!!!」

 

 だが、そうはならなかった。


 放たれた六発のミサイルは起爆すること無く軌道を逸らし、トウテツさんの背後を少し通り過ぎたところで……空中でバラバラに解けて地面に撒かれたのだ。

 なにが起きたんだと考えるよりも前に、両者はいよいよ激突する。


 片腕を失った”鉄鬼”は残った剛腕を使ってトウテツさんを殴り潰そうとする。

 だがそれは容易く見切られ掻い潜られ、全てを避け、そして。──両足は崩れ、軋む金属音とともに残った胴体部分だけががらんと地面に叩きつけられた。


 地面に散乱する部品や鉄板を踏みしめ、両者の間合いは縮まっていく。

 その時のトウテツさんの瞳孔は、大きくそして鋭く開かれていた。


 「スクラップだ、クソッタレ」 


 直後、トウテツさんの両拳が唸りを上げて突き刺さる。

 打撃の瞬間に崩壊、いいや分解される。まだ終わらない、彼の攻撃は終わらない。


 「バラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラバラヴァラッ……」

 

 ネジが外れる音、鉄板が外れて地面に叩きつけられる音、周囲にばらまかれる部品の数々が、その猛攻の凄まじさを物語っていた。恐るべき速度で行われるそれはやはり破壊ではなかった。

 そして、”鉄鬼”の中から赤い光を放つ”コア”が剥き出しになったそのタイミングで……彼はより一層拳を高々と掲げ。


 「ヴァ”ラ”ァ”ァ”ァ”ァ”ッ”ッ”!!!!!」」


 雄叫びとともに、振り下ろした。

 コアは硝子細工のような音を立てて砕け、そのまま”鉄鬼”は全く動かなくなった。


 「……クソッタレが」


 一連の流れ全てを見ていた私は、最後にそんな捨て台詞を聞いた気がした。

 ただ、そこら中にぶち撒けられた”鉄鬼”の残骸、部品の数々を踏みしめながら、トウテツさんがこちらへと歩いてくる。


 (……この人なら、もしかしたら)


 なにも分からなかった。だけど、これだけは分かる。

 この人があの”鉄鬼”の全てを、私に訪れるはずだった死の未来を……バラバラに”分解”したということを。


 そして私は、ある期待を抱いていた。


 (お父さんを、助けられるかもしれない)


 それはそれは他力本願で、身勝手で、恩着せがましい期待を。






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