第4章-第18社 目覚め
瞼を開けると、前方に大きな川が流れていた。足元に視線を移せば草木が生い茂っており、自分はどうやら河川敷にいるようだと秋葉は認識する。
上を見れば、空を埋め尽くすほどの白い雲が浮かんでいて、風に乗って流れているのが見えた。
(ここは……)
呆然と周囲を見回してみる。だが、どれも知っている景色ではない。
いつの間にこんなところに? と眉をひそめながらも秋葉はその場から歩き出す。キョロキョロしつつ、永遠と続く河川敷をしばらく進む。
すると、大きな河川に1本の朱色の橋がかけられているのが視界に入った。橋は出口が見えないほど長く続いている。
気になって近づいてみれば、橋の入口にある橋名板に『境界橋』と刻まれているのを見つける。
聞いたことない名前だと思いながらも、導かれるようにして秋葉は橋を渡り出す。
一体、どこまで続くのだと思いながら渡っていると、前の方に人影が見えた。やっと人を発見し、秋葉は近づきながら人影を凝視する。
「あれって……おばあちゃん……?」
秋葉の視線の先には、団子の灰髪に赤いメッシュの交じった年老いた女性がいた。
白い着物を纏った彼女は、歳は取っているが背筋がピンと伸びており、しっかりとした足取りで徐々にこちらへ近づいてくる。
どうしてこんなところにおばあちゃんがいるんだろうか。ふと頭の中に疑問が湧く。
けど、今はそんなことはどうでもいい。
自分の祖母らしき人物を捉えた秋葉は即座に足取りを速める。
「おーい!」
駆け足で老婆に近づきながら、声を前に飛ばす。
すると秋葉の声に気づいたのか、俯くようにして歩いていた秋葉の祖母――北桜真弓は顔を上げて、秋葉とそっくりな赤い瞳を向けた。
「おや、秋葉かい。久しぶりだね」
「うん!」
真弓は目を細めて優しく笑いかけてきた。秋葉は心底嬉しそうに返事をする。
こうして会うのは何年ぶりだろう。
そう思いながら目の前にいる祖母の顔を見やれば、途端に鼻の奥がツンとなって、秋葉の視界が少しずつ歪み始める。
胸の中がじわっと熱くなり、次第に今までずっと抱えていたものが溢れ出そうなそんな気分になる。
そんな中、秋葉は祖母へ近寄ろうと歩き出す。
「ねぇ、おばあちゃん。ここって――」
「そこから先へ踏み入ってはいけないよ」
凛とした声が周囲に響く。
直後、秋葉は言葉を詰まらせ、その場で立ち止まる。一瞬、何を言われたのか理解が追い付かず、瞳が揺らぐ。
そして、だんだん拒絶されたような、心に針が突き刺さったような圧迫感が支配していく。
「……なんでよ? やっと……やっと会えたのに……!」
声を震わせてながら、目の前の祖母へ訴えるようにして言う。
目尻から熱いものが零れ、頬を伝う。それは収まることを知らずに流れ続ける。
どうしてそんなことを言うのか分からない。理解できない。この3年間、分からないことだらけで頑張って来たというのにこんな仕打ちはないじゃないか。
嗚咽を漏らしながら泣く秋葉を見て、祖母は困ったように笑い、口を開いた。
「まだあんたにはやるべきことが山ほどあるだろう? だからこっちに来るんじゃない」
そう告げる祖母の声は厳しかったが、どこか優しくもあった。祖母の言葉を耳にした秋葉はハッとしたように目を見開く。
「私のやるべきこと……」
そうだ。ここに来る前は何をしていたんだったっけ……。
ゆっくりと視線を下げ、考える。
祟魔を祓うため、神社の運営費を集めるため、そして、何よりも自分の身を守れるぐらいには強くなろうと学園に入学して。悠や熾蓮、薫に樹たちと出会って、厳しい訓練と試験を乗り越えて代報者になって、それで――。
「――うん。そうだね。そうだった」
本当、なんでこんな大事なこと忘れてたんだろ。戻らなきゃ。こんなところで立ち止まって泣いている暇はない。
だって、まだ大神学園に入学して代報者になったばっかりで、そこで出会ったみんなには助けられてばかりで、まだ何にも返せてない。
まだまだ創作だってしたいし、神社には放っておけないいけ好かないマスコットもいる。まだやらなきゃいけないこと、やりたいことが山ほど残ってる。
どんな状況に立たされても這い上がって、無理だって思っても、絶対に立ち上がって前へ進む。心底諦めの悪い自分はどこへいったのだ。だからここで足踏みしてる場合じゃない。
秋葉は指で涙をぬぐい、顔を上げてまっすぐ前を見る。そこにはいつだって厳しくて優しかった祖母がいた。意思を固めた秋葉を見て、彼女は優しく微笑む。
「ほら、あんたを待ってる人がたくさんいるんだから早く行きな」
「うん、ありがとう」
これでもう当分会うようなことはないだろう。
お礼を言った秋葉は、祖母の姿をしっかりと目に焼き付け、踵を返して後ろを向く。
「それじゃあね」
振り向きざまに笑みを浮かべ、その場から歩き出す。すっと心が軽くなったような気持ちのまま、秋葉は来た道を戻っていくのだった。
◇◆◇◆
身体が鉛のように重く怠いのを感じて、ゆっくりと瞼を開ける。
「っ……ここは……」
視界全体に夜空が広がる中、秋葉は地面に着いた手を支えにして起き上がる。
確か祟魔を祓った後に倒れて……。
微かに痛む頭を手で押さえながら、意識を失う前のことを思い出そうと記憶を辿る。
「良かったぁ! 目覚めたんだね!」
起きたことに気づいた薫が声を上げて、秋葉に抱きつく。
よく見ると、その目には涙が滲んでいた。どうして薫が泣いているのか分からずに戸惑いながらも薫の頭を撫でる。
すると、樹と共に周囲の警戒に当たっていたのか熾蓮が歩み寄って来た。
「ホンマ心配したんやからなぁ……」
熾蓮は眉を下げながらそう溢す。彼の表情はこれ以上ないほど安堵に満ちていた。と、後ろからやってきた樹が熾蓮の肩に手を置く。
「目覚めなかったらどうしようかと思ったぞ……」
「ごめんごめん」
普段は冷静で落ち着いている樹からも言われ、秋葉は苦笑交じりに謝る。起きて早々みんなから心配され、思わずほっこりした気持ちになる。
と、今度は遠くから秋葉たちの様子を見守っていた織部が近づいてきた。
「おはようさん。もうどこも痛ないか?」
「織部先生……はい、大丈夫ですけど……」
強いて言うなら、薫にこれでもかというほど抱きしめられて少し痛いぐらいだろうか。
この子は本当、力が強すぎるなと身に染みて感じていると、白髪に水色のメッシュの混じったポニーテールが目に入った。
一瞬、秋葉の思考が停止する。しかし、すぐさま口を開けてこう言った。
「って、なんで白澪がこんなところにいるの!?」
「あら、それだけ声出せてるんならもう大丈夫そうね」
秋葉の大声に振り向いた白澪が、笑みを浮かべながら歩いてきた。若干彼女の頭がボサついてるのが気になるが、そんなことよりもだ。
記憶が正しければ、確か学園の保健室にいたはずでは……?
頭の中で混乱していると、満足したのか薫がむくっと起き上がって秋葉から離れる。
「秋葉も起きたことだし、そろそろ説明しましょうか」
全員が集まったところで、白澪は少し話が長くなるからとその場に座るように言う。
彼女によると、同じ治療師の橘香月と保健室で待機していた時に、西園寺学園長がやってきて「秋葉が危ないからすぐに向かってくれ」と言われたそう。
けど、学園からではどうやっても時間がかかる。
そう思っていたら、その場に偶然居合わせた3年生の先輩がここまで送ると言ってくれたそうで、彼女の祓式であるイヌワシに乗せてもらい、学園から飛んできたというわけだ。
「ほうか……学園長が……」
「はい」
感慨深そうに呟く織部に、白澪は真剣な表情で頷く。
ちなみに、白澪の髪が多少乱れているのは、時速200キロの速さで学園からここまで3分で到着したからだそう。
白澪からイヌワシで運搬してくれた3年生の先輩の名前を聞くに、水無瀬羽衣というらしい。会う機会があったら、その時にお礼を言っておこう。
「何はともあれこうして目覚めてくれてよかったわ……」
「本当にありがとうございます……」
微笑みながら言う白澪へ、秋葉はしみじみとした顔で頭を下げる秋葉。
瀕死の重傷を負っていたというのにこうしてみんなと喋れているのは、他でもない白澪のおかげだ。彼女が来てくれなかったら今頃、祖母と一緒に三途の川を渡っていたことだろう。本当に感謝してもしきれない。
「そういえば、エルは?」
周りを見渡すも、白髪の高身長とかなり目立つ風貌をしているエルの姿が見えないことに気づく。
「あいつなら渡月橋にいた2人が目覚めた言うて先、神社に戻ったで」
「あ、なるほど」
熾蓮に言われ、秋葉は納得する。
そういえばそんなこともあったっけ……。
つい1時間前の出来事だというのに、色々ありすぎて昨日のことのように思える。
気を失った彼女たちを織部が神社まで運んでいったらしいが、あの子たちは無事だろうか。
そう思っていると、少し離れたところで気を失っていた少女が、意識が戻ったのかゆっくりと身を起こした。その様子を見た白澪は、学園に連絡を入れないといけないからと席を外す。
一方で、少女は周りをキョロキョロと見回すと、突然すっと立ち上がる。疑問に思っていると、少女は秋葉たちの方へ走ってきて滑り込むようにして土下座をした。
「本当にすいませんでした……! 取り返しのつかないことをしてしまって……! 切腹でもなんでもいたしますので……!」
地面に這いつくばるようにして頭を下げる彼女に、その場にいた全員が呆然とした表情で口をポカンと開けて固まるのだった。




