第4章-第15社 反撃開始
織部の張った結界が解除され、祟魔の髪が堤防から決壊した津波のように溢れかえって秋葉たちへと降りかかる。低空飛行する鳥のように接近してくる髪帯を前に秋葉は後ろへ退く。
逃げ回っている間、薫、熾蓮は予定通り、樹の組んだ足場を頼りに攻撃を開始する。一定の距離ができたところで、秋葉は刀を振るって祓力の斬撃を飛ばし、追ってくる複数の髪を撃破する。
そして、懐から1枚の札を取り出す。札には祓札の時と同様、崩し字で隠札と書かれていた。織部によれば、この札に祓力を通しながら念じることで、自身の姿を特定の対象から見えなくすることができるらしい。
(これでよし……)
札へ祓力を通すと、徐々に札が消滅すると同時に自らの身体が透けていき、札が消えるころには完全に祟魔からは見えなくなった。札の効力は5分。その間に気配を消して少女に取り憑いているモノを祓わなければならない。
『秋葉、もういいぞ』
『分かった』
結界の足場の生成が完了したようで、樹から念話が飛んでくる。
刀を手に秋葉は岩肌から跳び、足場を辿って対岸の山林へと走り出す。無差別に飛んでくる攻撃に対して、身を翻して避けながら前進する。
熾蓮たち3人が引き付けてくれているからか、難なく対岸の山林へ侵入した秋葉は、木の陰に身を潜める。
(みんな頼むよ……)
山林の中で息を潜ませながら、様子を見守る。
今回の作戦は他の3人へ攻撃が集中している隙に背後から奇襲して祓うというもの。
奇襲するにしても、結界が解除されて以降、こうも激しい猛攻が続いているようではまともに近づくこともできない。ある程度祓ってもらってから動き出そうとタイミングを窺う。
黒い荒波を前にして、その場で踏み込んだ薫は、姿勢を低くした状態で刀の柄と鍔に手を掛ける。辺りの空気が一瞬、静寂に包まれたかの如く静まる。
「せいッ!」
周囲に稲妻が走る中、神速で抜刀した彼女は大きく薙ぐようにして横一線に祓力の斬撃を飛ばす。飛んでいった斬撃がカーテンのように大きく伸びた髪に衝突した。
直後、広範囲に雷撃が走り、祟魔の髪全体に帯電する。放たれた電撃は水面にまで広がり、ドォンッ! と大きな水しぶきを上げて迫って来る毛髪にまで至っていた。
電気を帯びて傷んだ髪がめげることなく猛威を振るう中、正面にいた熾蓮はまっすぐ目の前の黒い壁を捉える。
『蔵』の中から取り出したのか、両指の間から数本の苦無を出現させた彼は、帯電状態にある髪へ立て続けに放った。
「的はデカけりゃデカいほどええってな!」
熾蓮が指を鳴らした瞬間、刺さった苦無から発火。帯電して弱った髪があっという間に炎に包まれて火柱が上がる。散り散りになった髪が風に吹かれて消滅する。
と、少し離れた地点から数発大きな発砲音がなった。
「おら、こっちだ!」
岩肌に佇んでいた樹が銃口を空に向けて引き金を引き、祟魔の注意を向ける。
熾蓮と薫に集中していた髪束の一部がまっすぐ樹へと向かってきた。樹は帯のように伸びたそれを刀で両断する。
「終わりだ」
銃を持った手を柄を持つ手とクロスさせて結界の弾丸を発射する。高速で飛んでいった弾丸は接触した瞬間、みるみるうちに膨張して瞬く間にやってきた髪を覆う。
すると、結界内に祓力が充満し中にあった毛髪が消失した。
(もう少し……)
結界が解除されたころに比べて、だいぶ祟魔の攻撃が弱まってきた。徐々に緊張が高まる中、自然と刀を持つ手に力が入る。
『秋葉、そろそろ』
『分かってる』
織部から念話を受けた秋葉が駆け出そうとした途端、水面に浸かっていた黒髪が急速浮上し、3人へ襲い掛かる。
飛び出す寸前で足を止めた秋葉の眼に必死に防御し躱している彼らの様子が映る。
「このままやとキリ無いな……。しゃーない。本来、引率は手出し禁止やねんけど今回は特別や」
面倒臭そうに頭を掻くと、織部は両手をパンッと叩いた。次の瞬間、無数の銃弾が球体状に出現し、一呼吸する間もなく祟魔を包囲した。
織部が右手を前に振ると、現れた銃弾が一斉放射された。動いている熾蓮、薫、樹には一切当てない脅威のコントロールで猛威を振るっていた髪に全弾命中する。
と、銃弾から発火し、あっという間に祟魔の髪を焼き尽くした。焼かれた髪は塵となり消滅する。
その光景に身を潜ませながら見ていた秋葉はもちろん、回避していた熾蓮たちも目を見張る。
(嘘でしょ……。織部先生ってば、せんど手こずったアレを一瞬で無力化しちゃった……)
織部の祓式操作の精度の高さに開いた口が塞がらない。流石は正級代報者。6階級下の巫級代報者の自分たちとは格が違う。
『後は頼むで秋葉』
『あ、あぁ……。3人とも援護頼む!』
織部の声で現実に引き戻され、すぐに3人へ念話を飛ばす。
『了解!』
返事がきたのを合図に秋葉は、前日の雨でぬかるんだ地面を蹴って、山林から飛び出た。結界に着地して、全速力で走る。
織部の攻撃で勢いは弱まったが、それでも髪束は暴れ回るようにして飛んでくる。それを躱しながら進む。攻撃が掠り、脇腹から血が滲むが、秋葉はかまわず突進していく。
「――ッ!」
屈んで髪束の合間を滑べって抜け、しゃがんだ状態のまま足に力を込める。強化した足で蹴った。祓力の波で結界にヒビが入る。祟魔へ距離が近くなる度、濃い祟気が充満しているのを肌で感じる。
一気に間合いを詰め、腰に差した刀を抜く。刀身を祓力で覆い、祟魔の背後へ接近。秋葉は祟核へ狙いを定めて、刀を振るった。と、鈍い音が耳に届いた。
何だ今の……。
そう自身の身体を見下ろしてみると、直径15センチはあろう髪束が腹を貫通していた。
「はっ……?」
なんで……見えないはずなのにどうして……。
理解が追いつかず、混乱したように秋葉は呆然とした顔を浮かべる。
次の瞬間、刺さった髪束が大きくうねり、ぐんっと秋葉の身体が持ち上がる。腹部を貫通した髪束は秋葉を伴って高速で宙を舞う。
「ぐうっ……!」
大きく吹き飛ばされる秋葉は己が身に降りかかる遠心力へ歯を食いしばって耐える。
髪束は川を挟んだ歩道側の木々へ彼女を打ち付けると同時に腹部から引き抜いた。その影響で背後に並んだ木が衝撃波を受けて大きく揺れる。
ろくに受け身も取れずに秋葉は木に衝突し、その反動で握っていた刀が手から放り出される。刀が地面に落ち、貼られていた祓札が2つに裂かれて消滅した。
「ゲホッゲホッ!」
内臓から気管を通って血が逆流し、激しく咳き込む。俯いた視線の先には、口元を覆った手と紺袴の上に赤い血が着いているのが見えた。
「ぐあああああああッ!!」
アドレナリンが切れたのか今まで感じたこともない激痛が秋葉を襲う。
痛い痛い痛い痛い痛い……!
じりじりとした耐え難い無数の針で突き刺された痛みと共に刺された箇所から熱さが込み上げてくる。
祓力を重点的に背中に回す余裕が無く、背中と刺された腹部を中心として全身へ強烈な痛みが走る。
呻き声を漏らしながら、痙攣する右手でぎゅっと穴の開いた腹部を抑えてうずくまり、痛みに必死に耐える。痛みのあまり、視界が涙で滲む。
内臓を突かれて風穴が空いたおかげか、とめどなく血が流れ出て地面に血だまりができていた。
「秋葉ッ!」
熾蓮、薫、樹が一斉に叫び、秋葉の元へ向かおうと駆け出す。だが、いかせるものか猛スピードでやってきた髪束に阻まれてその場から動けずにいた。
「あいつんとこには俺が行く! 3人とも、何が何でも手ぇ止めるな!」
「はいッ!」
織部から指示を受け、3人は悔しさの滲み出るような返事をする。
一方の織部は岩肌を跳躍して秋葉のいる木へと向かう。重力に従って空から歩道へ落ちる織部に、黒い帯状の髪は防壁を生成し、襲い掛かる。
「邪魔や! そこ退けええええ!」
手に拳銃を出現させた織部は落ちながら、連射する。命中した銃弾から火花が散り、襲い来る髪束もろとも壁が爆発して炎上した。
着地した織部は、そのまま行く道を遮る髪を銃で射抜きながら接近する。
「ヒュー……ヒュー……い゛っ!」
呼吸をしようとするが、痛すぎてまともに息を吸うこともできない。
そうだ……止血しないと……。
思い出した秋葉は腹に当てていた手を起点に、傷口へ祓力を回す。白澪から教わったようにして、薄く膜を構築していく。
と、身体全体に悪寒がした。顔を上げ、ぼやけた視界で見る。秋葉は目を見開く。彼女の目の前には、空を覆うほどの黒い帯状の髪があった。
(駄目だ……手足に力が入らない……)
紅葉で防御すべく手を伸ばそうとするが、感覚がなくなりつつある腕では叶わない。攻撃はすぐそこまで迫っているというのに何もできない。
あぁ……もう少し、もう少しだけ……力があれば……。
視線を落として、だらんと力なく垂れている左手に力を込めようとするが、指先が揺れるだけだった。
この際、何でも良い……。神だろうが祟魔だろうがなんだろうがこの状況を覆せる、逃れられる何かがほしい。
まだ代報者になって1日と立っていないのだ。まだみんなと一緒にいたい! みんなと戦いたい! まだ生きたい! ここまでみんなが繋いでくれた命、ここで使い果たして溜まるかこんなところで諦めてたまるもんか……!
そう力強く前を向いた瞬間、1枚の桜の花びらが空から落ちてくるのが視界に入った。
(……さく……ら……?)
今は4月末。この付近には桜の木はなく、青々とした山林が生い茂っているだけ。秋葉の祓式が発動させたわけではない。ならば、これはなんだ。
そう思った次の瞬間、秋葉の目の前に大量の桜吹雪が発生し、高速で回転する。無数の桜の中から一筋の斬撃が飛ばされる。紫に光った斬撃は目前まで迫っていた髪束に接触する。
と、斬撃が当たった箇所から急激に冷気が流れ、髪を覆うようにして紫の氷が出現する。氷に覆われた髪束はバリバリと音を立て、破片となって消え去った。その頃には桜吹雪は散っており、秋葉の目の前に人が見えた。
長身のすらっとした躯体に腰まで伸びた長い白髪。雪のように白い髪には紫の毛が混じっており、それらはハーフアップの形で後頭部に纏められている。
白衣に白袴、草履を身に着けた彼は手にした紫の氷剣を腰に携えていた鞘へ納める。
「おまっ……」
目の前に突如として現れた彼に秋葉の目が限界まで見開かれる。
「なんとか間に合ったぁ……。やあ、さっきぶりだね秋葉」
気の抜けたような声で呟いたエルは、ゆっくり後ろを振り返ると秋葉へ微笑みかけた。




