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1番星には届かない

作者: てす


 カンカンカンと踏切が鳴る。夕暮れの街を電車が走り抜けていく。電車が去ったあとの遮断機の向こう。誰もいないそこを僕はただ見つめている。また明日ね、と手を振っていた彼の姿はもうそこにはない。

 彼と出会ったのは夏休みも折り返しの盆の頃だった。いささか旬の過ぎたデザインのシャツ、褪せた色のジーパンにロゴの入ったスニーカー。ひび割れたアスファルトの狭い道路に、彼は独り佇んでいた。

 今どき珍しい、折りたたみ式の携帯を操作しては辺りを見渡している彼に、半ば不思議に思いながらも声をかけたのが始まりだった。

どうやら彼は都会の出身らしかった。


僕は気さくで穏やかな彼とすぐに仲良くなった。彼は色々なことを教えてくれた。ネオンというものが煌めく街は夜でも明るいこと、空はビルで区切られていて四角かったりすること、駅はとても混んでいて、うっかりすると人の波に呑み込まれて反対方向に流されてしまうこと。

 彼の話は僕の心を踊らせるには十分だった。生まれてこの方、この小さな町には電波塔があるくらいで、そういった、賑やかなところといえば、親が買い出しに連れていってくれる隣町の大きなスーパーくらいのもの。

 もちろんそれも楽しいけれど、見たことのない世界の話を聞くのはそれとはまた違った、例えればおとぎ話を聞いているかのようで。僕はいつかトウキョウへ行ってみたいな、と彼に零すのだった。彼はそれを聞いて、苦笑いを浮かべたけれど、どうしてだかはよく分からずじまいだ。


 彼は自分のことはあまり話そうとはしなかった。一体何歳で、どんなことをしているのか。歳は僕より上のようだけど、それ以外は何も分からない。テレビに映る男の人が持っているような、四角い鞄を抱えていたから、もしかすると仕事はサラリーマン、とかいうやつなのかもしれない。

 彼は、他のことについて詳しく聞こうとすると、また今度ね、と困ったように笑った。何も話してくれなくなったら嫌だから、僕もまた同じように笑うのだった。それに、こんなに嫌がるということは、知らない方がいいことのような気もした。


 あと10日ほどで夏休みが終わる、そんな夕暮れ。

 彼は突然、もう会えないと言い出した。なぜだか理由を聞いても、長く居すぎたんだ、ごめん、としか言わなかった。

トウキョウへ帰るのか、と聞くと数秒間を置いて首を横に振る。長いということは仕事のお休みで来てたのかという問いにも、彼は首を横に振るのだった。

 そして、その言葉どおり、その日の夕暮れを最後に、彼は二度と姿を見せることはなくなった。 

 

ふと見上げればそこには、きらり光る1番星。

同時に指さしては、どちらが先に見つけたか、自分だ、いや僕の方だと張り合っていたのが遠い日のことのよう。

どうしてだろう、あれはほんのわずか数日前のことなのに、遥か昔のことのように思えた。

 あの日突然に現れて、そして突然に姿を消した彼。

彼はいったいなんだったのだろうか。もしや、人間ではなかったのだろうか。人間ではないとしたらなんだろう、妖怪、狸、はたまたお化け。それとも、お狐様が気まぐれで遊びにでも来たのだろうか。

 いや、そんなことはどうでもいい。うだる夏が魅せる幻でもいい。ただひたすらに、もう一度、彼に会いたい。

 貴方の見てきた世界の話を聞きたい、塩で握ったおにぎりを一緒に食べたい、そうだ、公園のブランコでどちらが高く漕げるか競争をしようよ。僕は徒競走は苦手だけど、ブランコだったらとても得意なんだ。

 

ぎゅっと唇を噛み、僕は空を見上げた。濡れた視界にも星は眩しかった。

 そういえば、どうして彼はあんな少し昔に流行ったような服を着ていたのだろう。あれは、僕のお父さんが昔読んでいたという雑誌にあったものに似ていた。それに、長くいすぎた、とはなんだったのだろう。

 彼が来たのは、お盆の頃のことだ。そして、今は明けて数日後。もう少しで学校が始まる頃だ。

 お盆と言えばお墓参りだろう。提灯を持って、ご先祖さまを連れて帰るのだ。誰も迎えに来ない人は、思い出の場所を散歩していたりするのだと、おばあちゃんが言っていた。


 もしかして、とひとつの可能性に思い当たる。彼の困ったように笑う顔。旅に出たくなった、という言葉。旅、というのは僕が考えるようなことではなかったのかもしれない……つまりお兄さんはもう……。

 だめだ、それ以上は考えるな、と頭の中にサイレンが鳴り響く。でも、そうだ、それなら普段は人気のない道にいたのも、時代遅れの服にも、折り畳み式のケータイにも説明がついてしまう。

 全てがパズルのピースのようにうまく噛み合っていく。手が震え、ひゅ、と息が変な音を立てた。

 知りたくなかった、こんなこと。彼が頑なに知らせなかったのは正解だったのだ。

 ゆっくりと、深呼吸をする。お母さんが教えてくれたように。ドキドキと早まっていた胸の音が少しずつ治まっていく。

 僕は、足元の細い木の枝を拾って、少し考えてから捨てた。代わりに、彼と一緒にそうしたように夜空を見上げる。

分かってしまった。分かりたくはなかった。

だから、これは、ただの祈りだ。きっとどこにも届くことはないし、誰のためにもならない、僕のためだけの願いだ。

「また、会おうね、お兄さん……」

 ようやく絞り出せた、掠れた言葉。秋を含んだ夜風が頬を撫でる。背を向けた瞬間、さようなら、と柔らかく告げたような気がしたお兄さんの声は、聞こえない振りをした。だって、彼は、また明日ね、と微笑んでくれるはずなのだから。

 ぽたり、と雫が地面に落ちて。じんわりと小さな染みが広がった。

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