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神隠しの森に落ちる火球と蔦の家  作者: 雷紋 ライト
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6. 魔力をもつ女

幼い姉妹の行方不明事件や殺人犯変死が発生した神隠しの森に、ある夜火球が落ちた。その夜以降、周辺の家々にツタが異常発生する。父の稔に見てほしいものがあると実家に呼ばれたいずみは、実家全体がツタに覆われているのに驚く。稔の言う「見てほしいもの」は別にあるらしいのだが、それが何なのか中々教えてくれない。やがて激しい雷雨がやってきて、鳴らないはずの風鈴が鳴りだすと、母えり子が現れた。えり子は数か月前に交通事故で死んだはずだったのだが……。

「電話で見てほしいって言ってたのは、あれのこと?」といずみが聞くと、稔は頷いた。

 いずみは意識的に大きく息を吸って、長くゆっくりと吐き出した。吐き切った後、ふたたび肺の奥まで届くように思いっきり深呼吸した。新鮮な空気をできるだけ肺いっぱいに取り込んで、気持ちを落ち着かせようとした。

「ねえ、お母さんは、この間、事故で死んだよね?」

「ああ」と稔。

「死んでるのに、なんで生きてるの? そんなのおかしいじゃん……ああわけがわからなくなってきた!」

 いずみは冷静になり切ることができずに頭をかかえた。


「あれって本当にお母さんなのかな?」といずみは独り言みたいに呟いた。

「何言ってるんだ、あれはえり子さんだよ。三点確認したから間違いない!」と稔は即座に答えた。

「三点確認?」

「鼻のいぼ、右前腕部の火傷の跡、それから左の二の腕の刺し傷、全部あった! えり子さんの三大特徴がすべて一致してたんだ。だから間違いない」


 二の腕の刺し傷というのは、まだ二十歳だったえり子が通り魔事件に巻き込まれた時に負った傷のことだ。集団就職で東京に出てきた三十歳の男が覚醒剤でラリった状態で包丁を振り回して見ず知らずの通行人を何人も刺した。偶然その場に居合わせたえり子は包丁の切っ先を向けて正面からやって来る通り魔を避けようとしたがよけ切れず、二の腕の内側の端を切られたのだった。アイロンの火傷跡は色がある程度薄くなっていたが、二の腕の刺し傷跡の方はいつまでも生々しく残っていた。


 稔は自信満々な様子だったが、いずみは忽然と現れた女が本当に母なのか、いまだに信じ切れないでいた。土間コンクリートの上に腰をおろした黒猫はすました顔で耳先をピンと立てながら前肢をひとしきり舐めていた。


「あれが最初に現れたのはいつだったの?」といずみはたずねた。

「火球が落ちた次の日だったかな。火球の話を谷口さんから聞いたすぐ後だったから、よく覚えている。家に戻ってNHKの昼のニュースを見ていたら、突然あの風鈴の音が聞こえてな。それからこの部屋からガタガタ音がしたんだ。てっきり泥棒でも入ったのかと思って見に来たら、えり子さんが踊ってた。それ以来、鳴らないはずの風鈴が鳴ると、えり子さんが姿を現すようになったんだ」

「それで? それで何してるの、あれは」

「いや……別に……普通にテレビを一緒に見たり、この部屋で踊りの練習をしたり。今までと一緒だよ。でも夜遅くになると、いつのまにかいなくなってる」

「そうなんだ…」


 もしあれが母だとするなら……といずみは考えてみた。突然事故に遭ったから、自分が死んだことに気づいていないとか、成仏できていないとか、そういうことなのか……? また頭が混乱しそうになったので、思ったことを口にしてみた。

「あれ、お母さんの幽霊なのかな?」

「幽霊なんていないよ」と稔は反射的に否定した。

「俺はそういうオカルトみたいな話は好きじゃない」

 稔は昔からその手の話を毛嫌いしていた。

「でもさ、もう一回確認だけど、お母さんは二月にトラックにぶつかって死んだよね……?」といずみ。

「うーん」と稔は呻いた。

「じゃあ、あれは、いったい、何なの?」

 稔は両手で顔を覆った。「いや、本当に頭がおかしくなりそうだ」

 いずみも同感だった。


 台所に行くと、女がざるに入ったままのそうめんを物欲しそうに見つめていた。

「私も、そうめん、食べたい」

 そして女は、カーキシャツに黒いパンツ姿のいずみをあらためて上から下までざっと見た。

「なーによ、あなた、またそんな男みたいな恰好して。こんな暑いのに、なんでズボンなんか履いてるの?」

と咎めるように言った。いずみは普段からスカートを履かない。足元で裾がひらひらするのが苦手なのだ。


「ほんと、あなたみたいな色気のない子は、少し踊りでもやって女らしさを身につけたほうがいいんだけどねぇ」

と女はあきれた顔をした。


 昔からえり子はいずみに対して、「女らしくない」、「かわいくない」と言うことが多かった。大人になってからは、「色気もない」という項目が追加された。えり子の言葉には妙な魔力が宿っていて、そんな言葉を吐かれる度に、いずみは自分をしゃぶしゃぶし過ぎて栄養も旨味もすべて抜け落ちて硬くなった豚肉みたいに感じるのだった。


「そういえばあなた」

と女が聞いてきた。


「あの腐れ外道とまだ一緒なの?」


 いずみは脳天を警策で強打されたような衝撃を受けた。


 この人は母だ、といずみは直観した。


「腐れ外道」なんて言葉を使う女性が、他にそう何人もいるとは思えなかった。



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