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神隠しの森に落ちる火球と蔦の家  作者: 雷紋 ライト
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2. 神隠しの森

 いずみは裏手の庭に向かう稔の後をついていった。実家の外壁を見ていると、ツタが粘着性の巻きひげの根を次々と壁に吸い付かせながら一緒に歩を進めているようにも見えた。


「『もっと大変なこと』ってなに?」

 ツタの異常発生問題よりも大変なことなんて、いずみにはなかなか想像できない。イヤな予感とこわいもの見たさ聞きたさの好奇心で背中がぞわぞわ波打った。

「うん、あとで……。中で話すから」

 稔は家の中を指さした。

「でもまあ、このツタもそうとう難儀だよ。玄関とかガラス戸の回りは鎌で刈ってるんだがな、すぐに伸びてくるからあっという間に元に戻ってな」


 不意に谷口さん家からコップが割れるような音がした。

「あら大変!」

 若奥さんらしき声と赤ん坊の泣き声がそれに続いた。いずみは音が漏れ聞こえてきた隣家の高窓を見上げた。

「あれ、お隣さん、赤ちゃん産まれたの? お子さん、二人目かな?」

「うーん、いや、その、どう……」

 稔は妙に歯切れの悪い物言いをした。

 庭に出ると田舎特有の濃密な土のにおいの風を感じて、いずみは実家に帰ってきたと実感した。

「なにかあったの?」

 いずみが聞くと稔は声を落とした。

「赤ん坊、産まれて数か月で亡くなったらしい」

「えっ、なんで?」

 稔はシッと口に人差し指をあてた。

「さあ……突然息をしなくなったとか」

 稔の言葉を聞いていずみは眉根をよせた。

「じゃあさっきのは? 赤ちゃん、泣いてたよね?」

 稔はあいまいに首を振った。

 

 ドドドドドドドド……遠い機械音に目をやると、庭に隣接した宏大な畑の向こう側の端でトラクターが土起こしをしていた。近所の農家が所有するその畑の奥には鬱蒼とした森が広がっていた。

「こっちのツタもすごいだろう」と稔が言った。

「うん、すごいね。この前来た時には何でもなかったのに」

 いずみは庭側の外壁を見上げて、荒々しく無秩序なまでに蔓延(はびこ)るツタに圧倒された。

「一か月でこんなに伸びるの?」

 ツタは目地という目地にその根っこをねじ込みながら縦横無尽に勢力を拡大していて、がんじがらめにした家屋を、宿主の栄養を奪う寄生生物さながらに絞り上げているようだった。


「ここ一週間くらいで急にこんなになっちまった。このあたりの家は結構やられてる。ここに住んで二十七年だけど、こんなこと初めてだ」

 いずみはふと思い出した。

「そういえば、一週間前に電話くれた時、森になんか落ちたって言ってなかったっけ。打球だかなんだか…」

「ん?」と稔は少し考えて、「あーそれ、『だきゅう』じゃない、『かきゅう』」といずみの聞き間違いを訂正した。

「火の球で『火球』。赤く燃えたやつが空から降ってきて、そこの森に落ちたんだよ」と稔は畑の向こうを見た。そこは通称「神隠しの森」と呼ばれる森だった。魚料理の得意な殺人犯のミイラが発見された場所である。


 あの森が「神隠しの森」と呼ばれるようになったのは、ミイラ事件よりもさらに十数年前に起きた小さな姉妹の行方不明事件に由来しているという。平成になったばかりのその年の夏休みに小四と小一の姉妹が森で突如姿を消した謎の事件だ。いずみ一家がこの土地に引っ越してくる前のことだった。



 小学生姉妹の母親の運転する車が森の中でエンストしたのが事の始まりだった。この土地に明るくない母親は途方に暮れた。まだ携帯電話が普及していない時代だったが、姉妹の父は今はもう存在しない携帯電話会社の代理店の店長をしていた。エンストした車の助手席にはショルダーバッグ型の巨大な携帯電話が置いてあった。大きくて重くて持ち歩くのが恥ずかしかったけどまさか役に立つ日が来るとは、と母親は思った。夫から「これからは携帯電話の時代になるから、広告としてぜひこれをぶら下げて街中を歩いてくれ」と言われていた。子供がいるからそれは難しいと遠回しに断っても夫には通じない。夫は機嫌を損ねると数日口をきかなかったりする。揉めるのが面倒なのでいつも持ち歩いていると見せかけて助手席に放置していた。車内から夫に電話したがつながらなかったので仕方なく黒い機器を右肩にずっしりと掛けながら車外に出て電話した。やっとのことで電話が通じると、夫に「現在地はどこ?」と聞かれた。周りを見回しても目印になるものは何もなかった。狭い一本道と昼なお暗い鬱然とした森が続くばかりで電柱すらない。きっとここは夜には漆黒の闇に閉ざされるのだろう。まだ昼間でよかったと母親は思った。それにしてもミンミンゼミの無数の鳴き声がすごかった。森の中であまりにも密度高く響き合っていて、においみたいに服や皮膚に染み付いてきそうだった。車や通行人が来ないだろうかと左右きょろきょろしていると背後に姉妹が立っていた。


「車から出てきちゃダメじゃないの!」と母親は姉妹を叱った。

「車の中で待っててって言ったでしょう。勝手にロック開けたら危ないのよ?」

「ドア、開いたよ」とピンクのワンピースを着た小一の妹が言った。

「勝手にドアが開いたの。だから出てきた。ママが開けたのかと思った」と白いワンピースを着た小四の姉が言った。

「ママは開けてないわ。お姉ちゃん、ママは嘘つく子は嫌いだっていつも言ってるよね? 勝手にドアが開くわけないでしょう」

「うそじゃないもん」とお姉ちゃんは暗い声で言った。いつの間にか電話が切れていた。電波が悪いみたいだ。こんな森の中でさっきつながったのが奇跡だったのかもしれない。母親は再度電話を掛けてみるがうまくいかない。

「ママ」と妹が森の中を指さす。

「あそこ、ぴかぴか光ってる」

 妹が小さなてのひらをグーパーグーパーと開閉した。「ぴ・か・ぴ・か」

「どこ?」

 地元民がきのこでも取りに分け入っているのかと思い、荒れた森の奥に目を凝らしてみた。誰でもいいから助けてほしかった。知らないうちにこんな所にきてしまった。なんでこんな道に迷い込んでしまったのだろう、と母親は悔やんだ。よく見ても何も光っていないし誰もいなかった。落雷を受けて裂けた木が何本もあって、それぞれがバラバラに彼方此方の木に変な角度で倒れ込んでいた。森の奥に人が入るのを拒んでいるかのようだった。風もないのに蒼黒の下草が一斉に揺れたように感じた。下草のなかに得体のしれぬ獣や蛇や虫がうじゃうじゃ潜んでいるようで気味悪かった。


「何にも光ってないわよ」と母親。

「ほら、今もチカチカしてる」と姉も妹と同じ方向を見て言った。母親は改めてそちらを向いてみるが光るものなど何処にも見えない。

「ちょっと、ママをからかうのはやめて。あなたたちはいつもそうやってママを……」

「ママはいっつもパパやおばあちゃんの顔色ばかり見てる」と姉が言葉を被せてきた。

「わたしたちのことなんて本当は全然見てないし、ちっとも信じてくれてない」と姉の顔はみるみる青くなった。母親は大人みたいな口をきく姉にびっくりした。そんな物言いをするのは初めてだった。「顔色ばかり見てる」? そんなことを小四の子供に言われるなんて思ってもみなかった。

「親に向かってなんてこと言うの! こんな一生懸命育ててるのに……信じられない。そんなひどいことを言う子に育てた覚えはないわ。もう、夜パパに叱ってもらいますからね!」

 母親が声を荒げていると、受話器から夫の声が聞こえた。いつの間にか電話がつながっていたみたいだった。

「あなた、ごめんなさい、気がつかなくて……」

 夫の声は途切れ途切れにしか聞こえなかった。電波のよさそうな所を耳と足で探りながら辺りを歩き回った。すると道の先から車がやって来るのが見えた。母親は手を大きく振って助けを求めた。

「すみません、車がエンストしちゃって」

 ウィンドウを開けた運転手に声をかけて、後ろを振り返った時にはすでに姉妹の姿は消えていた。それから三十年経ったいまでも、姉妹は発見されていない。


 その時ウィンドウを開けた運転手は森近くに住む宇都宮さん家のばあさんだった。行方不明事件が起きた時にはまだ四十代半ばだった。ちなみにこのばあさんの旦那がファーじいさんだ。ここ数年で認知症が進行してきたじいさんは家族が隠したゴルフクラブを野性的な勘で見つけ出しては夜中に庭でスイングの基礎練を始める。そして気分が乗ってくるとボールを叩くのだが、そんな時にタイミング悪く森に入る道に車が通ったりすると、「ファーーーー!」と途方もない大声で叫ぶ。危なくて仕方ない。打球がフロントガラスすれすれに切れた車のドライバーからの通報で警察沙汰になったこともあったらしい。

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