18. 浮かび上がる黒い記憶
洞窟の中で十数年前に死んだ殺人犯ヒラメと対峙するいずみ。ヒラメはいずみの秘密を知っているようで…
それにしても十数年前に神隠しの森で死んだヒラメと話をするのは奇妙な体験だった。ただいずみは復活したえり子の件ですでに免疫ができていたのか、ヒラメが普通に話をしていても、その凄惨な内容をのぞけば特に驚くことはなかった。実はヒラメとまともに話すのはこれが初めてだったが、不思議とヒラメが自分を攻撃するようには思えなかった。そのせいかもっと話をしたいという好奇心すらわいてきた。ヒラメの謎多き死の真相についても知りたかったし、聞きたいことは山ほどあった。
「さっき話していたのは仙台の事件のこと?」といずみはヒラメにたずねてみた。
ヒラメの遺体が発見された当時に稔が週刊誌を買ってきた。中学生だったいずみは親がいない時に居間に置いてあった週刊誌をそっと開いた。その記事で一家四人殺人事件が仙台で起きたことやヒラメが元々は釣り好きの宅配ドライバーだったことを知った。
だけどどういうわけかヒラメの変死について新聞やテレビのワイドショーといったマスコミで大々的に取り上げられることはなかった。指名手配の殺人犯が警察に追われた挙句に自殺したという結構センセーショナルな出来事だったのに、この件について掲載した週刊誌はほんのわずかだった。あとはネットの掲示板に若干の書き込みがあったりする程度でたいして話題にもならなかった。
「ああ」とヒラメが答えた。
「なんで仙台の人がこんな遠く離れた町に逃げてきたの? 大都会の方が潜伏しやすいってよく聞くけど」
いずみは解せない様子で聞いた。
「人を探していたんだ。そしたらこの町に流れ着いた」
ヒラメは大きな緑の石に似た「それ」から足を下ろすと右手の親指を口元に寄せて爪を噛んだ。足の抑えが外れた「それ」は自力で進もうとするかのようにその場で何度も前後に小さく揺れた。
「誰を探していたの?」
いずみは深堀りをしてみたがヒラメは答えなかった。
「その人、見つかったの?」
「俺のことはいい」
話を遮ったヒラメは足を軽く開いて前屈すると、足元の「それ」におもむろに両手を伸ばした。
「あんたは自分の頭のハエを追うんだな」
ヒラメは中腰のまま緑の「それ」を少しだけ持ち上げると、「あんたのところに行きたがってるみたいだぜ」といずみの方にぎこちなく「それ」を放った。いずみから少し離れたところに「それ」がボウリングボールみたいな音を立てて落ちた。
「ギッ!」
いずみは声をあげて後ろに下がった拍子に何かに左足を取られて転んだ。視界が目まぐるしく動いて世界がぐらついた。尾てい骨を強く打ってしばらく声も出なかったがなんとか横向きになって上半身だけゆっくりと起こした。踏んづけたのはピンク色の幼児用サンダルだった。そのサンダルの向こうに「それ」が落ちていた。
近くで見ると「それ」は大きな毛糸玉状のもので、あちこちからほつれた毛糸のようなものが飛び出していて太陽のプロミネンスのごとく揺らめいた。その毛糸みたいなやつの先端には小さな葉が生えていてまるで植物のツルみたいだった。そのうちの数本が急にいずみの頭の方に伸びてきた。その動きは妙にメカニカルでドクター・オクトパスのアームのように曲線的に荒ぶるムーヴを見せながらいずみを襲った。あっという間にいずみはそいつらに首の後ろを噛まれてしまった。全身がこわばるように痺れてくると、どこからともなくハッカのにおいが漂ってきた。
ハッカのスースーする冷感がふいに過熱して尖った刺激に変わりながら鼻の奥へと広がっていった。奥の粘膜が火先であぶられているように鋭く痛んで思わず叫んだ。しかし実際には喉も舌も唇も麻痺している状態でいっさい声は出ていなかった。
やがて脳のなかを満たすあぶらが沸き立ちはじめて割れるような頭痛にさいなまれた。錯乱の嵐の渦にのまれていくにつれて深く沈んでいた黒い記憶が井戸の奥底から頭をもたげてきた。
「いずみ」
緑の「それ」がしゃべった。麻痺していたはずのいずみの肩がビクっと震えた。髪の毛を後ろからつかまれて引っ張られたような気がした。
そうだった。なぜだか分からないが、すっかり忘れていた。
そんなことを忘れられる自分が、我ながら恐ろしかった。
ああ、そうか、そうだった。
わたしは、啓吾を殺したんだった。
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