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神隠しの森に落ちる火球と蔦の家  作者: 雷紋 ライト
17/20

17. 殺人犯ヒラメの創世記

幼い姉妹の行方不明事件や殺人犯変死が発生した神隠しの森に、ある夜火球が落ちた。その夜以降周辺の家々にツタが異常発生した。いずみは父の稔に呼ばれてツタまみれの実家を訪れると数か月前に交通事故で死んだはずの母えり子が蘇っていて、家のなかで平然と踊りの練習をしていた。死んではいるが元気のいいえり子に比べて、どんどん具合が悪くなっていく稔を心配するいずみ。えり子に成仏してもらおうといずみはえり子に自身がすでに事故で死んでいることを告げるが、えり子にはまったく話が通じず相変わらず家に留まり続ける。いずみが新宿に帰ろうとすると、化け物じみた姿に変じたえり子はそれを許さじと牙を剥いた。えり子と対峙する最中に突然現れた小さな手によって洞窟に引きずり込まれたいずみ。そこには十年以上前に神隠しの森で死んだ殺人犯のヒラメがいた。

 小学生の頃、夏休みの早朝に近所の子供たちと一緒にファーじいさん家の広い庭に集まってラジオ体操をした。体操が終わるとまだ若かったファーじいさんか奥さんがスタンプカードにハンコを押してくれた。


 ある日いずみはハンコをもらって帰ろうとした時、すぐ近くの雑木林の中からファーじいさんの奥の家屋の方をじっと眺めているスーパーの店員に気づいた。その暗く殺気立った異様な気配に思わず足を止めると、店員はひとり立ち止まるいずみの方を見た。結構距離があったにもかかわらず、店員と目が合った時にいずみの中で火打石みたいに何かが小さくスパークした。いずみはびっくりして思わずうつむいた。近所の年長のお姉さんに「どうしたの?」と声をかけられて、こわごわと「あそこに、スーパーの人がいる」と指をさしたが林には誰もいなかった。「気のせいだよ」とお姉さんに流されていずみはそのまま家に帰った。その前からクラスの子たちがその店員のことをヒラメと呼び、指名手配犯に似ていると騒いでいたこともあって、この一件以来いずみはヒラメを内心気味悪く思うようになった。


 洞窟で男と視線を交わして、いずみはそんなことを思い出したのだった。





 いずみはヒラメを不審そうに眺めた。それはずっと昔に自殺したはずの殺人犯に対面したからではなかった。ヒラメがいずみを見て、まるで幽霊に出くわしたような仰天顔をしていたからだった。ヒラメはいずみに向かってわずかに手を伸ばすような動きをして今にも何か言いたそうに唇を震わせた。


 いやいや、なんでそっちがそんな顔するの? 驚いたのはこっちの方なんですけど! いずみはそう言いたくなったが言葉は出てこなかった。ただヒラメにそんなびっくりした顔をされたら、こっちはもう、する顔がない。いずみは真顔のまますっかり醒めた気持ちになっていた。ヒラメは眉をハの字に垂らして懐かしそうに目を細めたが、いずみを全体的にまじまじと見るうちに、やがてヒラメの腕はだらりと下がって顔中の筋肉から力が失われていった。


「なんだ、ナオミじゃない……」


 落胆したヒラメは背を丸めて首のない地蔵に視線を落とした。どうやらヒラメは人違いをしていたらしい。


 どこかで水の流れるかすかな音がした。そういやここはどこなんだろう。いずみは情報を得るために耳を澄まそうとした。そうすると水中に潜ったみたいに鼓膜が圧迫されてなにも聞こえなくなった。そのなんとも言えない不快さに耳をおさえて身震いしていると、突如耳管が開いてヒラメの声が明瞭に響いてきた。


「殺すつもりなんかぜんぜんなかった」


 けれどもいずみはいまだ耳の奥に残る違和感の方に気取られていてヒラメの言葉をうまく聞き取れなかった。


「むしろ助けにいったんだ。あいつらはナオミを食いものにしていたからな」


 ろうそくの灯りに反応した岩壁の様々な突起の影が不規則に揺れて、咆哮する人の横顔になったり、スカルのえぐれた二つの黒い孔になったりした。ヒラメは短く息を吐くと、「そのとき」の話を始めた。



 あの日の何週間か前だったかな、もういつだったか忘れたけど、ある時俺はとうとう見かねて、仕事が終わったナオミを家に連れて帰ったんだ。あいつらのところにいたらナオミはダメになる。もう放っておけなかった、がまんできなかった。でも狡猾なあいつらは俺のスキをついてナオミを連れ戻しちまった。だから俺はナオミを再び救い出すためにナオミの家まで行ったんだ。最初に出てきたのはいやしいツラをしたナオミの親父だった。ギャンブルで作った自分の借金返済のために娘のナオミを風俗送りにするようなひでぇ野郎さ。「ナオミはここにはいない」なんてウソつきやがって。警察呼ぶとかごちゃごちゃぬかすから、思い切り突き飛ばしてやった。


 そう回想しながらヒラメはこぶしを握った手を目の前の見えない誰かに向かって素早く突き出した。


 そしたら親父は玄関でうずくまっておとなしくなった。少し離れた所に立っていたナオミの母親と婆さんが血相変えて居間の中に逃げ込むのが見えた。こいつらもロクでもないやつらさ。ナオミが店を辞めるのを許さなかった。わたしたちを路頭に迷わせる気かって一晩中わめき散らしたんだと。そもそもこいつらには小さい頃からずっとひどい目に遭わされてきたってナオミから聞いていた。俺は居間のふすまを開けた。いかにも根性のわるそうな目つきの母親は「助けて」とガタガタ震えていて、婆さんの方は「命だけは」ときたねえ声で二回くらい言うと突然念仏を唱えはじめて拝みだす始末だった。なんだか無性に胸くそ悪くなってきたから、二人とも順番に突き飛ばしてやった。そしたらやっぱりおとなしくなった。


 玄関の方で物音がするから行ってみたら、受話器を耳に当てながら電話機の白いスイッチみたいなのをガチャガチャ押しているナオミがいた。

「ほら、やっぱりいたじゃないか。ウソつきめ」

 親父はまだ三和土にうずくまったままだった。


「電話はつながらないよ」

 ナオミを驚かさないように、できるだけやさしく声を掛けた。ナオミは振り返った。ハキダメにツルとはこのことだと思った。こんなうすぎたない親から生まれたとは思えない程ナオミはきよらかでうつくしかった。ナオミを一目見て俺は癒されてほっとした。ナオミと早くここを出てゆっくりしたかった。


「どうして? なんで?」

 ナオミはヒステリックな声をあげた。

「だって電話線は切ってあるから」と俺は教えてあげた。大嫌いな家族の元に引き戻されたせいか、ナオミは気が立っているようだった。

「携帯はどうしたの?」

 ナオミは無言だった。

「とにかくもう大丈夫だよ。俺が来たから、もう安心して」

「こっち来ないで! なんでこんなこと……」

  ナオミは受話器を落として後ずさりした。

「あいつらはもう大丈夫だ。すこしお灸を据えといたよ。もうこれに懲りて、これからは態度を改めるさ。さあ家に帰ろう。家に帰って二人でゆっくりしよう」

「来ないで!」

 ポニーテールを後ろから思い切りつかまれたように、ナオミの顔全体がひどく引きつっていた。

「ひどい言いようだな。俺は君を助けに来た味方だぜ。味方にそんな言い方するかね?」

 ナオミはもの凄いスピードで何かを考えているように長いつけまつ毛の目を激しくしばたたかせると、急に声の調子を変えた。俺をなだめるような、いつも店で聞いていたようなやさしい声になった。

「ああ……そう、そうよね、助けに来てくれたのよね、ありがとう……ありがとう……それじゃ、その、右手のそれ……それをあたしに渡してくれる? 危ないから、それをあたしに」


 俺の右手は出刃包丁を握りしめていた。なんだこれは? 頭が白くなった。いつの間に? 包丁の切っ先から血がしたたり落ちるのを見て、それまで狭まっていた視界が不意にひらけた。三和土や居間が血の海だった。思わず半歩下がろうとしたらスニーカーの底がニチャッと廊下の床に粘着した。ナオミが俺の右手に飛びついて包丁を取り上げようとした。包丁は俺の手を離れて廊下に落ちた。ナオミが拾おうとしたが、俺はとっさに柄部分を踏みつけてそのまま廊下の奥の方にバックパスするみたいに蹴った。ナオミは血の跡で滑ったのか、そのまま廊下に手をついてしゃがみ込んだ。俺は起こそうとナオミの腕をつかんだ……つもりだったが、実際には仰向けになったナオミに馬乗りになっていた。


「誰にも……誰にも言わないから。警察にも、誰にも言わない。約束する。あんたがあたしを監禁してたことも、ここでのことも、絶対誰にも言わない。だから、助けて、お願い」

 ナオミは俺を見上げながら、あの婆さんみたいなきたねえ声を出したんだ。あの懇願するようなさもしい声! それを聞いていたらなんだか異様にムカついてきてさ。

「監禁? なんのことだ。あいつらから君をかくまっていたんじゃないか」

 俺は自分自身とナオミを落ち着かせようと右手でナオミの頬を撫でた。触れたところが赤く汚れていった。ナオミは激しく顔を振った。

「ああ~~〜気持ち悪いんだよ! もうやだ、もうやめて! 誰か、誰か助けて!」

 ナオミの白くて細い首のおもてがびくびくっと下品にふるえていた。俺はその首に手をかけた。そしてあらい脈動を繰り返す小さなのどぼとけの下あたりに親指を当てて思い切り中に押し込んだ。ねずみ花火みたいな火花が目玉の表面をすばやく走り回っていたのをよく覚えている。指先から腕の筋肉をつたって、痛いほどの電光が通り抜けていって全身の毛が逆立った。

 それは奇妙な体験だった。それまでずっと長いこと自分の奥底にうごめいていた暗くほとばしるマグマみたいなものが一気に噴き出したようだった。そして原初の地球みたいにドロドロに融けたカオスが分離していって空と海と陸が生まれていくような、一種の荘厳さが胸のなかからあふれてきたんだ。熱いガスの雲の合間から一筋の光さえ差し込んできた。でもそこは光と闇が反転した世界だった。一筋の光は真っ黒な光だった。それは俺に不思議な万能感を与えてくれた。俺はうまれて初めて自分と世界がつながったように感じたんだ。



 ヒラメはいずみの存在を思い出したように振り向くと、「毒虫でも見るような目つきだな」といずみに言った。

 いずみはとっさに視線を外した。しばらく静寂が続いた。やがてヒラメがあきれたように言った。

「でも、あんただって似たようなもんなんだろ」

「それ、どういう意味?」

 いずみが聞き返した。

「俺に意味を聞くかね?」

 ヒラメはうつむいて足元の緑色の大きな石みたいなものをスニーカーのつま先で押さえながら揺らしていた。

更新遅くなりました! 最後まで気長にお付き合いいただけるとうれしいです!(^^)! よろしくお願いします!


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