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神隠しの森に落ちる火球と蔦の家  作者: 雷紋 ライト
14/20

14. 記憶の地層の底にうごめくマグマ

幼い姉妹の行方不明事件や殺人犯変死が発生した神隠しの森に、ある夜火球が落ちた。その夜以降周辺の家々にツタが異常発生した。いずみは父の稔に呼ばれてツタまみれの実家を訪れると数か月前に交通事故で死んだはずの母えり子が蘇っていて、家のなかで平然と踊りの練習をしていた。死んではいるが元気のいいえり子に比べて、どんどん具合が悪くなっていく稔を心配するいずみ。えり子に成仏してもらおうといずみはえり子に自身がすでに事故で死んでいることを告げるが、えり子にはまったく話が通じず相変わらず家に留まり続ける。そして束縛心の強い啓吾の言葉を聞いたいずみは、近い過去に何か忌まわしい出来事があったことを突然思い出しそうになる。しかしその具体的な内容がどうしても思い出せず……。


「もしかしてさっきのおじいさんのこと言ってる? あの人は以前自治会の会長とかしていた町の長老みたいな人だよ。何歳だと思ってるのよ?」

「年とか関係ないよ。そういうのやめろって何度も言ったよね?」


 啓吾が繰り返す束縛の言葉を耳にしているうちに、いずみはふいに頭髪を後ろから引っ張られたように軽くのけぞった。なんともいえない奇妙な感覚がいずみを襲った。脳内で何かの薄皮が破れて生温かい液体があふれ出してきて、皺という皺の隙間に入り込んだ。


 なに、これ?


 ハッカみたいなにおいが素早く通り過ぎていって頭全体がヒリヒリと痛み出した。夥しい数の極細針に刺されているような刺激を受けて、俄かに何かを思い出しそうになった。


 とても近い過去になにかものすごく重大な出来事があったような気がしてきた。でもどうしてだろう、その具体的な内容を何ひとつ思い出せない。記憶を呼び起こそうと眉間に意識を集中してみた。記憶の地層の奥底にマグマのように煮えたぎって赤黒くうごめく何かを感じはしたが、それ以上は何もわからなかった。そのうちだんだんと胃の辺りが熱くなってきて、外気の炎暑もあいまっていずみは気持ちが悪くなってきた。


 見えない誰かに助けを求めるように視線を上げるとあの黒猫と目が合った。黒猫はジャングルと化した隣の貸家とうちとの間に設置された格子フェンスの狭い隙間から奇術的なやわさでこちら側にすり抜けてきた。不思議なことにいずみの頭痛や胸の不快は瞬く間に雲散していった。肩の力も抜けてラクになっていた。黒猫には何か不思議な力があるのだろうか? 黒猫の方はといえば、やっぱり素知らぬ顔でそのまま立ち止まることもなく物干し台の方に行ってしまった。


「聞いてる?」

 啓吾の苛立った声が聞こえた。記憶の奥に封印された何かは、なぜだかどこか忌まわしくけがれているように思えてきた。別に今無理に思い出す必要はないのかもしれないといずみは考え直した。それが本当に必要な記憶であれば、きっとそのうち自然と思い出すに違いない。


「ああ、ごめん、聞こえなかった」

 マグマのせいで今までのやり取りが頭からすっかり消し飛んでしまっていた。

「だから、男と話すなって言ってんの!」

「ああ」

 いずみは現実に引き戻された。


「いつもそんなこと言うけど……でもさ、地球上には何十億人も男性がいるんだよ? それなのに『他の男と話すな』なんて無理だし、おかしいよ……そんなこといったら父親はどうなの? 父親だって性別は男だよ。父親とも話をしちゃダメなの?」


 あきれたような啓吾のため息が聞こえた。

「何言ってるの? おかしいのはいずみの方だよ? お父さんと話したっていいに決まってるじゃないか。変なこと言わないでよ」

 啓吾は子供を諭すように言った。啓吾は訳のわからないことを言うかと思えば、一転してたいそう分別がある人みたいにもなった。いくつかの人格がくるくると入れ替わるようなところがあって、そんな啓吾と接しているといずみは時々目が回ってしまった。そしてもしかしたら実は頭がおかしいのは自分の方なのかもしれないと思わされてしまうこともあった。


「あのさ、思ったんだけど、多分俺、いずみのお父さんとは気が合うと思うんだよね」

 さきほどまでの怒声はどこへやら、すっかりつきものが落ちたように啓吾の声は普通に戻っていた。いずみは啓吾の感情の起伏の激しさにいつも振り回されていた。

「『死んでいてもなんでもいいから一緒にいたい』とかお父さん言ってたよね? わかるわーそういう気持ち。お母さんには嫌われちゃったみたいだけど、お父さんとは仲良くできそうな気がするんだよなあ」

「さっきの話……どこで聞いてたの? まさか、今うちの中にいるの?」

 いずみは気味が悪くなった。もしかしたらこの人、うちに盗聴器でもつけているの……?


「今マツモトキヨシ。ここ、めちゃくちゃ涼しいわ」

「そう……熱中症とか大丈夫?」

「平気だよ。水買って飲んだから。俺帰る」

 啓吾は店員から駅の場所を聞いたから、そのまま電車に乗って帰ると言った。

「え、記憶戻ったの?」

 いずみの問い掛けに答えることもなく啓吾は電話を切った。


 いずみが家に戻ると、ちょうどえり子が部屋から出てきた。

「ねえ、お腹がすいた」とえり子が言った。どんだけお腹がすいてんのよとツッコみたい気がした。盗聴器がどこかに仕掛けられてやしないかと玄関をきょろきょろ見回してみた。でも最新の盗聴器がどんな形状をしているのか自分がまったく知らないことに気づいて、すぐに探すのをやめた。


「体調は大丈夫なのか?」

 えり子の声を聞きつけて稔がやって来た。

「体調ってなに?」

 さっき頭が痛いと自分で言っていたことも忘れたのか、えり子はいぶかし気に聞き返した。

「なにって……いや、なんでもない」

 死んでいるのに体調もなにもないだろうといずみは口に出しそうになった。えり子は稔が玄関に置きっぱなしにしていたマツモトの黄色いレジ袋を探って中身をひとつずつ外に出した。麦茶二リットル一本と牛乳一パック、豆腐一丁、虫除けスプレー……するとえり子はひときわ高い嬌声をあげた。

「わあ! シベリア! なつかし~。子供の頃おばあちゃん家でよく食べたのよ~」

 えり子は好物を見つけて大喜びしていた。


「お菓子はあとで食べるといいよ。いずみがつくってくれたそうめんがあるから、みんなで食べよう」と稔が言った。えり子はシベリアを手に小躍りしながら居間に行った。ガスレンジの横の台に、えり子が盛り付けたそうめんの大皿が置かれていた。いずみはすっかりのびたそうめんの上にきゅうりと大葉とみょうがとさばをのせていった。


 背後のキッチンテーブルに大皿を置こうと振り返ると、白いランニングシャツに着替えた稔が冷蔵庫の扉を開けてしゃがみ込んでいた。稔はえり子と一緒に居間に行ったと思っていたからいずみは一瞬驚いた。稔の後ろ姿を見ていると、肩の上の小さな骨の尖りがするどく浮き出ていてなんだか痛々しかった。稔は小柄ではあったけれどがっしりした体格で昔は動作も大きくてそれなりに存在感があった。それが検査で心臓の血管のつまりが判明して血管に風船を入れる手術をしてからというもの、めっきり気力体力が衰えて痩せてしまった。えり子の死で稔はさらに意気消沈して細くなっていったのだが、それにしてもこんなに気配がないなんておかしいといずみは心配になった。稔の方がよっぽど幽霊みたいだった。

ご覧いただきありがとうございます(^^♪ NEXT も Coming SOON! よろしう

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