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神隠しの森に落ちる火球と蔦の家  作者: 雷紋 ライト
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1. 繁茂するツタ

 執拗なまでに照りつける太陽を擁して高らかに輝いていた青空は、いつのまにか見たことのない形に千切れては混じり合う暗色の雲のうねりに西から浸食されはじめていた。新宿のマンションを出たいずみはとある私鉄の急行電車に乗り込むと、一時間ちょっと下った先の小さな駅で降りた。


 実家に向かっていると未知のにおいの混じる熱風が強く吹きつけてきた。吸い込んだ高湿の風で鼻孔の奥がひりつくように灼けて、歩いているだけでしんどかった。駅から実家まで歩いて二十分かかる。海の底に引きずり込もうと伸ばしてくる亡霊の手のひらみたいな形のシュロの葉が、道端の庭先でこわばった音をたてて大きく揺れていた。鼓膜が妙な具合に圧迫されて、眉間のある一点が急にうずいてこそばゆくなった。なにかの予感のつぼみが一瞬ほころびそうになるも気まぐれにとじてしまって花ひらくことはなさそうだ。ただ、激しい雨ならもうすぐだろう。


 駅から離れるにしたがって生え放題の雑草にまみれていくアスファルトの舗道を歩きながら、いずみは乱れる髪をそのままにスマホに視線を落とすと、画面右上の緑の小さなランプが消えていることを確認した。そして目まぐるしく流動する空を仰ぐと小さく息を吐いた。あまりの暑さで自律神経がやられたのか、背中や腕がとてもだるかった。そういえば最近よく爪が割れる。何か不足しているのだろうか。ビタミン? カルシウム? 希望? 自由? よくわからない。

 

 だいぶ前につぶれた平屋建ての小さなスーパーの建物が見えてきた。色褪せた青のオーニングテントに「スーパーたどころ」という文字の白い跡がまだうっすらと残っていた。以前ここに住んでいた田所さん夫婦が営んでいた個人経営のスーパーだった。そのスーパーの角を曲がった先にいずみの実家がある。いずみはこの場所を通ると、中学生の頃に神隠しの森で起きたミイラ事件の記憶が、脳内の壁を軽くひっかくようによぎるのだった。


 昔「スーパーたどころ」の鮮魚売場に野沢という五十歳位に見えるおじさんがいた。いずみが小三だった時のクラスでは、野沢はちょっとした有名人だった。というのも、クラスの男子の誰かが、交番に貼ってある五年前に東北でおきた「一家四人殺人事件」の指名手配犯のイラストが野沢にそっくりだと言い出したのだ。


 確かに指名手配犯と野沢は目間がかなり広い所が似ていた。でも年齢が違いすぎた。指名手配犯の年齢は三十〇歳と書いてあったが、野沢は白髪まじりで腰も少し曲がっている年寄りだった。それでもクラスの男子数人は、スーパーの店先で作業をする野沢を見かけると、魚のヒラメそっくりだとはやした。そして「ヒーラメヒラメ、ひとごろしー!」と容赦なく騒ぎ立てた。野沢がギロリと睨むと、「うわーころされるー」と男子たちは大げさに驚いて一目散に逃げた。そして少し離れたところで立ち止まっては顔を見合わせては大爆笑するのが常で、そんなことを飽きるまでやっていた。


 野沢は無口で不愛想だったが仕事ぶりはいたって真面目だったらしい。また調理の腕前が抜群ということもあって、「田所さんご夫婦からすごく信頼されていたみたいだったけど…」と稔が玄関先でミイラ事件の捜査をする警察官に語っていたのをいずみは覚えている。「休憩時間とかいつも一人で本を読んでいるとか、物静かな人だとかは聞いたけど。まさかそんな大それたことをするような人には全然見えなかった」とかなんとか言っていた。事件前には稔は海で釣ってきた魚をよくスーパーたどころでさばいてもらっていた。野沢の調理した刺身や焼き物、揚げ物などすべてが他店とはひと味もふた味も違うと評判になり、魚惣菜が飛ぶように売れた。いずみもスーパーたどころのカレイの煮つけが大好きだった。こくのある甘じょっぱい味付けがどこか独特で、顔がほころぶくらいおいしかった。

 

 中二の冬休み直前にいずみは野沢が「一家四人殺人事件」の指名手配犯本人だと知った。当然野沢は偽名だった。警察がアパートに踏み込んだ時に、野沢と名乗っていた男は裸足のまま二階から軽々と飛び降りて神隠しの森方面に逃亡した。

 その翌日、指名手配犯は森の深部で変死体となって発見された。セーターで首を吊っていたという。霜の下りた早朝に散歩していた犬が見つけた男はミイラ化していて、特に頭部は黒く乾燥してレーズンみたいにしぼんでいたという。でも人間が一晩でミイラになるわけがない。いずみはいまだにこの話を眉唾物だと思っている。


 そんなことを死ぬ直前に巡るという噂の走馬灯のように瞬時に思い出しながら角を曲がろうとすると、あたりの様子が一変していることに気づいた。ツタが大繁殖していたのだ。スーパーたどころの角を曲がったすぐ先にある大きなドラッグストア側の建物は何でもなかったが、道を隔てた反対側の伊東さん家やその隣の谷口さん家を見ると生い茂るツタで家全体が覆われていた。いずみの実家は谷口さん家の隣だった。道路を渡って伊東さん家に近付いてみると、外壁一面に貼り付いた具合の悪そうな色のツルが毛細血管のように脈動しているように見えて気味悪かった。谷口さん家も同じような状態だった。


 一か月前にここに来た時にはツタなんかどの家にもなかったのに。


 いずみは不安な心持で小走りに実家へ向かった。


 果たしていずみの実家もまたツタが屋根にまで到達していた。ツタはその横溢する繁茂力を遺憾なく開放しながら、実家のクリーム色の外壁を侵略するかのように四方八方に駆け巡っていた。ただ玄関の扉回りのツルは扉の開閉を邪魔しないように駆除されていた。


「今日は急に悪かったな」

 

 玄関でいずみを出迎えた父の稔はこの前会った時よりかなり痩せていて、顔色が少し黒ずんでいた。家の中はたいして涼しくなく、空気がよどんでいた。換気をしていないのだろう。まだ梅雨明け宣言は出されていなかったが、最近はずっと真夏なみの猛暑が続いていた。稔は体調が悪そうに見えたが、最近は言動もおかしかった。


 稔はここ一週間毎日のように、「よお、元気か」といずみに電話をしてきた。そしてこの暑さのことや同じ地域の認知症のじいさんが夜になるとじいさん家の裏の森を打ちっぱなしと勘違いしてフルスイングで球を打って危ないとか、そんな話をした。

 稔が世間話をするために電話を掛けてきたことなど、今までに一度もない。きっと何か別に用事があるんだろうと思って、「何かあった?」と聞いてみても、

「いや、なんでもない」と稔は言葉を濁してそのまま電話を切ってしまう。そんなことが何日も続いた。とうとう昨日いずみはしびれを切らして稔にハッキリ言った。

「何か話したいことがあるんでしょう? 毎日電話してきたって、言ってくれないとわからないよ」


 それを聞いた稔は長い無言の後にしぼりだすような掠れ声を出した。

「ちょっと見てほしいものがある。家に来てくれないか」

 それで今日いずみは実家を訪ねたのだった。



 現れたいずみの顔を見ると稔は咳き込み出した。長く乾いた不吉な咳だった。 

「大丈夫? 夏風邪?」

「いや、大したことない。ヌググ!」と稔は咳払いした。

「ねえ、どうしたの? 家の壁、ツタがすごいじゃん。度肝ぬかれたんだけど」

 稔はサンダルを履いて外へ出た。

「そうなんだよ、なんか急に異常繁殖してな」

 そして稔といずみは二人で外から家屋を眺めた。

「なんでこんなことに……」

 いずみは言葉を失った。

「さあな。突然こんなことになっちまってなあ……。谷口さんたちと一緒に市にも相談してるんだけど、埒が明かなくて」

 同じくツタだらけの隣の谷口さん家の方から子供の騒ぎ声と茶碗がかち合うような音が聞こえてきた。


「今日来てくれって、このツタのこと?」

 稔は首を振ると、何気なくツタのひげの端っこを引っ張った。

「いや……もっと大変なことが起きてな」

 そう言うと稔はひげを持つ指をはなした。ひげはゆるんだバネのようにゆっくりと震えた。その動き方はどこか不自然で、まるで本物のツタならこのような動き方をするはずだと考えて真似しているような、慎重な震え方だった。

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