ありがとう存じます
誤字脱字報告ではなく、感想の一部として、「ありがとう存じます」という言い方に違和感を覚えるという趣旨の意見をいただきました。
「昔は見たことがないような気がするので、最近のオンライン小説で急に広まった誤用ではないか」とまで疑っておいでのご様子。
ちょっとびっくりしました。
「お越しなさい」に誤字報告をいただいたときと同じくらいの衝撃です。普通に昔から使われてるけどなあ。このかたのおっしゃる「昔」が具体的にいつ頃のことを指しているのかがわかりませんが、青空文庫で検索をかけると用例がたくさんヒットしますから、少なくとも明治から昭和初期にかけては普通に使われています。
夏目漱石、太宰治、泉鏡花、高浜虚子、谷崎潤一郎、山本周五郎など、名の知れた文豪たちの著作の中でも使われています。確認しやすいところだと、夏目漱石の「我が輩は猫である」でしょうか。十章に出てきます。
中でもよく使っているのは吉川英治。「鳴門秘帖」では何度も出てきます。まあ、この人は時代物を書く人ですからね。こういう古風な言い回しを好んで使っていても、不思議ではありません。
ですから「古くさい言い方」と思われるならわかるのです。でも、文法的に間違ってるとまで感じるかたもいらっしゃる、というところに驚きました。
文法の話をするならば、別に間違ってはいません。「ありがたく存じます」も「ありがとう存じます」も、どちらも使われる言葉です。強いて言うならば、「ありがとう存じます」のほうが口語的、という違いがあるくらいでしょうか。
「ありがたく」が「ありがとう」となるような変化のことを、国語の文法的には連音、あるいは音便と言います。学校で習う用語は、音便のほうだったかな。Wikipediaにも説明があります。「ありがたく」が「ありがとう」に変化するケースだと、音便の中でも「形容詞の連用形」が該当します。
たとえば「うれしゅう存じます」は、「ありがとう存じます」と同じタイプの音便です。「うれしく存じます」と「うれしゅう存じます」はどちらも間違っていませんし、実際、どちらも使われています。
きっと千夜一夜物語のシェヘラザードは、話が佳境に差しかかるたびに、にっこりと「今宵はここまでにいたしとう存じます」と容赦なく打ち切っていたんだろうな、などと想像したりもするわけです。
古風な言い回しであることは、否定できません。ですが、現代でも完全に廃れてしまったというわけではないようです。
衆議院のサイトで検索フォームに「ありがとう存じます」と入力してみると、「ありがとう存じます」が議事録に残っているものがいくつかヒットします。決して多くはありませんが、かといって完全に廃れてしまったわけでもないことがわかるでしょう。
残念ながら令和のものはヒットしませんでしたが、平成なら十分に現代に含めてよいと思います。──いいよね……?
そんなわけで、作者としては「ありがとう存じます」には少しも違和感がないのです。おそらくこの先も、状況に応じて使っていくと思います。あしからずご了承ください。