高校3年生半年間だけの恋人!
高校生活を軽く書いた物語。受験勉強と重なる恋愛青春。ある高校のクラス対抗のバドミントン混合ダブルスで急激に近づいた二人の恋物語。たった半年だけだけど高校生活で最後の半年間を受験と
恋愛を爽やかに描いた物語。
高校3年の夏休みも終えて、いよいよ受験の佳境を迎えて来ていた。
9月には、一時の羽目を外す星高祭の3日間がある。
3年生は、2年の時のクラスに戻り、1年から3年までの8団
に別れいろんな競技を競う。
前夜祭は、恋人達が第2体育館でフォークダンスを踊る。
僕は、3年間、1度も踊った事が無かったな・・・・・・・・
余りに移り気の性だろう。
その時期には、特定の彼女がいなかった。
僕の2年生時は、26クラスでちょっと特殊だったと思う。
担任は、大家悦子先生。
早稲田大学文学部卒後の初採用・担任が僕がいる26だった。
凄いクラスだったよ。
後で思うに、最高にまとまっていたと思う。
多士済々の人物が揃っていた。
あの当時の星高は、本当に自由で、特に26はチョイ悪ガキ女子集団で、
男女含めて、十人以上で、女の子の家に行って朝まで、
酒と煙草とダンス(あの頃は、ディスコかな・・)だった。
だけど、バカじゃない。
その中には,京都大学2人、中央大学法学部合格者もいる。
まァ、色々青春群像がある訳で
その中で、僕を含めて何人かのグループが中心で、何せ、生徒会長と副会長がいた。
3年として6団を束ねていた。
3日間の喧騒のあとは、
ひたすら勉強・勉強・勉強・・
*
10月に、もう一つ・・
盛り上がる行事があった。
全学年クラス対抗、球技大会。
僕は、バドミントンを選択。3組混合ダブルス。2勝で勝ち。
僕達の31クラスには、男子には、バド経験はいなかったけど、
元テニス部員がいたし、女子に元ジュニアの子がいたりで、
結構盛り上がっていた。
僕は、バドの経験は無いけど、結構上手くて
元ジュニア経験の米口恭子と組むことになった。
他の2組より強くて、最終組の重責を負う。
1年の時に、バドミントン部に1日だけ在席。
中学のバレーボール部が県2位で、あのスパルタに飽き飽きしてたので、
文化部へ
じゃ〜何処へ。
本が好きだったので、文芸部へ
後に、いろんな人や女性とも関係を持つことになる。
恭子は、小柄で身長150㌢位だったかな。
でも、とっても、可愛くて、
学年の付き合いたい女子ベスト5に入る女の子だった。
でも、中学からの彼氏が居るとの噂があって、誰もアタックしていなかった。
試しに、探ってみたら、何と、今、フリーだった。
これは、良いところを見せるチャンス。
クラス対抗別の競技は、バド以外は敗退してしまい、
残るはバドミントンチームのみ、
何と我がチームは、3組ともに全勝で決勝戦へ。
勿論、バド現役の上位者達は、出ていなかったけれど、
決勝の相手は2年生で、現役も何人か含まれたメンバーで、
僕達の前2組は、ストレート負けで、
僕等の最終組前に、雌雄は決定してしまったけど、
クラスの全員が僕達の応援に。
恭子は、流石にジュニア出身。頑張り屋さんで、
一生懸命に、シャトルを追っていた。
だけど、男子のスマッシュには対抗出来ない。
僕も、強打で、女子の現役狙いで、拮抗した試合になった。
第1ゲームは取ったけど、第2ゲームは、相手チームも、
実力を出し取られてしまう。
いよいよ、最終ゲームへ。
こちらは、受験勉強とか、日ごろの煙草で、息があがる。
恭子も、床にベタリと座り込んでハァハァ言ってる。
無理やりインターバルを長めに取って呼吸を整える。
途中で相手ダブルスに、バドの現役コーチが助言始めたので、
こちらは、3年悪ガキ集団。
先公(先生)、口出すな!!
堂々と勝負させたれや!!
これで、先公口出しなし。
僕は、恭子がミスった時には、恭子の可愛いお尻にラケットで
ポンポンとガンバ!!の合図を送って・・・
見事、勝利した。
その直後、そのコーチから、
本当に、バドの経験ないの?
どうしてバドミントン部に入らなかったの。
君だったら、すぐにレギュラーで、結構、良いところまで行けたのに。
結果は、準優勝だったけど、
1組全員、優勝した様な大騒ぎだった。
この時、僕と恭子の間に、何かお互いへの信頼感みたいな
感情が生まれた気がする。
もちろん、好意も。
以後、3年1組の席は、僕と恭子がワンセットになった
廊下側の前から3番目が僕で1つ後ろの席が恭子に決まり!
授業の間の休憩時間は、必ず僕は、後向きになって
彼女と他愛のないお喋り。
彼女は、表情豊かで見ていて楽しい。
笑うと左エクボができて可愛さが増す。
そのエクボを見たくて努力する
じきに、僕が振り返ると、必ず彼女の顔に左エクボができて、
もう彼女のエクボは、僕のものになっていた。
何度か、昼食に手作りのお弁当を作ってくれて、
皆に冷やかされた。
受検勉強のなかで、唯一の和み
学校にくるモチベーションに
ある時、お喋りのあいだに、彼女の顔を見ていたら、
僕のアタマは空っぽになって、
つぶやいていた・・・・
恭子ってホント・カワイイな・
彼女・・びっくりした顔をして
すぐに、凄く紅くなって・・
バカ・・・
すぐさま・・キスしていい?
教科書を盾にして、顔を寄せて素早く恭子の唇にチュッ・・
恭子のぷっくリした唇からは、リップの甘いアップルの香りがした。
教室内に結構いただろうけど気にしない。
公認だったし。
彼女は、地元の短大。
僕は、関西or東京の大学志望。
それは、お互い理解していた。
高校3年、半年間だけの恋人!
彼女を家に何度か連れてきた事がある。
*
家の2階は、アニキの部屋と兼用だったけど、
アニキは、アパート暮らしをしていて不在だったから、
オーディオセット、Wベット、応接セット全て僕が使って居た。
高校時代、何人の女の子をこの部屋に連れてきただろう。
10人は、くだらないと思う。
その内、少なくとも、7、8人とちょっとした関係をもった
弁解じゃ無いけど、26のグループのある娘に恋をした。
彼女は水泳の選手で県の上位者。
僕のファーストキスの相手だ。
もう、僕の相手になるような娘じゃなく、
経験豊富な小悪魔そのもの。
見事に手のひらに乗せられて、
彼女が連れてきた桜高の1年の
また、その子のかわいいこと。
ミス桜高レベルだ。
その子は、1年ながら平泳ぎの県1位の子。
彼女の前で、その子とキス。
2人交互にキスをして、もう、おもちゃ扱いだ。
男って、そんなものよ!
そんな彼女も後に教員だ。
今も年賀状のやり取りをしている。
散々な目にあって失恋して、僕は、荒れに荒れてしまった
結果、いろんな学校の女の娘を家に連れてきていた。
友人は、そんな僕を見て、
アイツ、終わったな!
*
2年の秋の修学旅行は九州で、
5泊6日で、ほぼ全九州を網羅するバスでの強行軍だった。
そのバスの中での、あの粗末な
マイクで歌ったところ大評判になり、
また、たまたま旅行での写真の写りが良かったのか、
20枚ほども売れて、生涯最大のモテ期になった。
その頃の僕は、長髪を通リ越して
立襟よりも、うしろ髪の長さは、
10㌢も長くて、女か!と友人に言われていた。
その後のクラスレクレーションの時間で、
3人のユニットを組みボーカル&ギターで約40分。
両側のクラス含めて百人以上が
教室&廊下に集まった前で歌って大評判となった。
学年の番(長)が、わざわざ来て、
おい!エラいモテてるらしいな
その時期だったから、
そんな暴挙も出来たんだろう。
*
でも、そんな日々は続かない。
と言うより、このままだったら底辺大以外、受からないぞ。
2学期の途中から、入学以来、初めて勉強し始めた。
学年最下位から、一気にクラスの平均点よりも
全教科15点以上の点を取って、百番内までに。
でも、2年から3年になる春休みに、問題を起こす。
無免許バイクで、警察ヘ。
その時の星高校長は、オカンの高校時代の恩師。
オカンの嘆くこと。
校長室にオヤジも呼ばれ、
意外にも、普通は謹慎なのに、注意のみ。
絶対、大家先生や生活指導の鬼の小寺先生が、
僕を守ってくれた結果だった。
内申書に絶対ひびくからね。
鬼の小寺は、3年の時には、政治経済の先生。
僕は、この教科を得意としてて、
小寺は、皆が答えられない問題を最後に僕に答えさせる。
ニマッとしながら。
勿論、全て大正解。
だから、成績はクラストップ。
彼は、生徒の裸の性根を見抜く眼を持っていたし、優しい先公だった。
後日、隣の市に有る簡易裁判所にオカンと出向く。
裁判官は、僕に質問する。
君は、どうして捕まったのか、その理由がわかるかね?
僕は、どう答えたと思う?
「法律があって、それに反したから」
裁判官さんは、本当に笑って、その通リだね。
でも、君がその行為で、誰かを傷つける、
或いは、死なせる可能性もあるし、自分が死ぬ可能性もある。
それを考えた事があるかい?
そうですね。すみませんでした。
そこまで考えてませんでした。
反省します。
オカンは、最初の返答に絶句。
なんて生意気な屁理屈!!
激怒を通リ越して呆れていた。
その4年後、大家先生の元で
星高で、僕が国語の教育実習をするとは、
僕自身思ってもいなかった。
*
オカンは、全員の女の子と顔を合わせてる。
コーヒーとお菓子を持ってくる時にちゃんと顔をみている。
オカンは、後に今度の子は、うんぬん。
恭子は、好評価だったな。
とってもカワイイ子だねって。
恭子とは、お胸止まり。
だって、階下には、オカンが居たし。
*
恭子は、隣の市からの電車通だけど一緒に帰った事はない。
必ず一緒に帰る友だちがいた。
放課後は、僕は文芸部に寄ったリしていたし、僕も幼なじみで
同じ文芸部の新谷修君と帰宅していた。
色んな事を相談し、議論する生涯の友人だ。
彼は、一浪した後、国立大学の難関学科に入る。
宅浪だから努力の人だ。
大学時代、1番手紙のやり取りをした。
東京の事、影響された本の事。恋愛の事等。
文芸部の1年生に、気になる女の子がいた。
3年の僕にも、臆せず意見を言う気の強い娘だった。
後に東京で恋人になる運命の沢田由紀だ。
勿論、綺麗な娘だった。
少し影がある分、魅力的だった
基本、メンクイだった。
*
恭子は、僕らの高校だったら
それほど勉強しなくても入れる短大だった。
ただ、僕は、重要科目の英語が大の苦手で、
英語が普通ならばもっと上位に行けたと思う。
3教科試験の1つに、超弱みを抱えていた。
他の2教科の日本史と国語で満点を取らないと志望大学には入れない。
だから、その2教科を徹底的に勉強したけど、偏りすぎだね。
お互い、進学後は続かないと思っていた。
何故かな。
他には、交際を続けて結婚までこぎつける友人もいたけど,
その努力は、並大抵ではない。
余りにもお互いを知り合う時間が無かったのもあるだろう。
僕の東京への憧れが、
彼女への思いよりも強かったのかものしれない
けど、僕の移り気の性格じゃ無理だったと思う。
彼女も知ってる。
東京への進学も決まり、
家に呼んで彼女に似合う可愛いリングをプレゼントした。
次に会う時、そのリングをしてなかったら、
別れの合図の約束。
案の定、5月の帰省の時には、彼女の指には、
あのリングは、無かった。
折り込み済みとはいえ、少し寂しかった。
けれど、それは、彼女の優しさの表れ。
そう思い、元気で幸せに.
本当に、半年間限定の恋人!
*
さて,東京生活。
何せ、初めての一人暮らし。
あの頃の大都会のエネルギーは、田舎育ちの僕には、強烈だった。
学校は、授業料値上げをめぐり学生自治会との抗争。
何せ、70安保の東大闘争と並ぶ、日大闘争の拠点で、
全学連闘争で最後まで陥落しなかった学部だった。
学生証が無ければ学内に入れなかったし、
学内では、デモ行進もあったし、勉強どころでは無かった。
*
後日譚。
何十年後、当時、5月、恭子と
別れたことが書かれた友人宛の手紙の下書きを発見した。
恭子に結構本気で惚れてたようだ。
でも、すぐに立ち直ろうと努力していた。
まだまだ、当時の僕は、19歳にもなってない若さがあった。
帰郷して就職後、何年かして、従兄弟の伯母から電話があった
4つ上の従兄弟に縁談があり、相手は、あの恭子だった。
同級生の僕に、情報収集。
元カノだと言えるかよ。
即答出来ず・・いい子だったよ。
もし、上手く行っていたら、どんな顔をお互いしただろう。
幸い?成立しなかった.
笑顔がとってもかわいい娘だったのに・・・
あのあといい彼氏出来なかったのかな
そんな僕も、後の2度の恋も実らず・・
その後、同窓会名簿でちゃんと名前変わっていたので、
幸せになってるはず。
そう願っている。
高校3年生半年間だけの恋人!
約40年前の物語です。
彼女の幸せを今も祈っています。