7年前:ノアールの過去3
長い銀髪を一つに括った青年が剣の切っ先を少女の首に添えている。
強すぎるほどの力で柄を握りしめ、美しい顔を歪めて感情任せに少女を詰った。
「お節介なんだよアンタ!俺には幸せなんていらない、必要ない!何度言ったら分かる!?」
愛情を降り注いでくれる暖かい両親と、強くて優しい姉が居た。なによりも彼らを愛していた。ずっとこの暖かさに包まれて生きていくのだと思っていて、それは当たり前ではないのだと奪われて初めて気がついた。後悔しなかった日はない。太陽が昇るたびに、なぜ俺だけが生き残ってしまったのかと思う。彼らにはもう朝日は降り注がないのに。
抱きしめてくれた父の大きさも、安心させてくれた母の微笑みも、いつも繋いでいた姉の暖かな手の感触も日に日に薄れていく。本当に一人になってしまったようで怖くてたまらなかった。あの頃はどんなに不安でも隣に姉さんが居て抱きしめてくれた。冷え切って寂しさに軋む心を慰めようとしていつも彼女の声を思い出す。
騎士号を戴くとき姓をつけろと言われて姉さんの名前を借りた。自分の名の形も変えた。短かった髪も姉さんを真似て長く伸ばした。そうすれば姉さんのように強くなれた気がしたのだ。弱い自分を居なくなったように思えた。そうやって俺は、ずっと家族の、姉さんの幻影を追っている。
俺の幸せの形は今もそこにある。
それを崩されることが怖かった。そして俺だけ新しい幸せを得るのも嫌だった。
だって、姉さんが未来を奪われたのに俺だけが輝かしい未来を歩いていいわけがない。
俺が、俺自身に許せるのは復讐だけだった。
「…大勢を救おうとする優しさも、未来を切り開こうとする強さも、真っ直ぐな愛も。過去に囚われた俺には、お前の輝きは強すぎる」
心を氷で冷やし固めて全てを拒絶した。そうして自分を保ってきたから、氷を解かす太陽のような少女を遠ざけたかった。
青年の魔法が漏れ出してキラキラとダイヤモンドダストが舞う。青年の鮮やかな緑色の瞳が嵌った目元に散る輝きは涙だったのだろうか。静かにその声を聴いていた少女が、青年に手を伸ばして───。
*
揺蕩うように意識の狭間を彷徨って、ゆっくりと浮き上がる。そっと目を開けると、そこは見慣れた家の天井だった。いつでも誰かが見守れるようにと、母がリビングの暖炉の前のソファに毛布をいっぱいに敷いて寝かせてくれたのだ。
何があったのかはしっかりと覚えているが、家に辿り着いて、医者を呼んで治療と傷薬を貰って寝かされてからはずっと寝っぱなしだ。傷口から熱が回って頭がぼーっとして、短い間隔で意識の浮き沈みを繰り返している。獣の牙で引き裂かれた傷はそれなりに、というか普通に滅茶苦茶痛くて身動ぎの一つもしづらい。
(さっきの、前世か…)
さっき見ていたのは夢だろう。もう夢の内容はほぼ覚えていないが、多分前世でプレイした乙女ゲームのシーンだったと思う。銀髪を束ねた綺麗な男の子はノア・フランドールで、すごく苦しい気持ちを吐露していた。前世の記憶も細部までは覚えてないので記憶をほじくり返してもどんなシーンだったのか分からなかったが、それでも見ているだけで胸が痛くなる光景だった。
(やっぱり、しなないでよかったなぁ)
ゲームでのノア・フランドールはやがて聖女に心を許し幸せな未来を歩んでいくことになる。それでもノアールは8歳からストーリーの主な舞台になる学園に入学できる15歳まで生傷を抱えて苦しむし、ノアールに一生消えない傷と恐怖が残るのはどんなルートでも変わらない。タンポポかわた雪のような弟があんな顔をするのは私には耐えがたい。成長するうえで多少の苦難は必要かもしれないが、いらない悲劇まで背負う必要はないだろう。ひきつづき弟の明るい未来のために頑張ろう。まあ守ろうとしてこの様なのだが。
半ば熱に浮かされながらうんうんと頷いていると、きゅう、と左手が握りしめられる。
「…ノア?」
ノアールはソファの下のカーペットに毛布に包まって蹲りながら、私の左手を握ってこちらを覗き込んでいた。意識が浮かび上がるたびにノアールはそこにいた。父や母が傍にいる時もあったが、外に出かけているのか今はノアールだけだ。
「お姉ちゃん、痛くない?」
「痛いけど、ノアが手にぎっててくれたから平気になった」
「なら、ずっとにぎってる」
ノアールが少し笑って手に力を込める。指先はひんやりとしていた。暖炉が焚いてあるとはいえ冷えてしまったのだろう。かかっていた毛布を少し寄せてやれば、ノアールは素直に身を寄せた。
「父さんと母さんはなにしてるの?」
「…僕の魔法の事で駐在騎士さんが訪ねてきたから、役所に行ってる」
「そっか。…ノアは魔法習いたい?」
「…わかんない。急にそんなこと言われてもって感じ」
「そうだよなー。魔法とか、王都とかって殆ど別世界の話みたいだもん」
そうだよ!と少しぶすくれてたノアールは力強く頷く。
ノアールが魔法に目覚めそうだという予感は的中していたが、おそらく懸念していた『死の気配』というのは魔獣で私が怪我をしたこと無事にやり過ごせたのだと思う。だから別に悲しい出来事が起こらないならノアールが魔法を学ぶ道を選んでもいいと思ったのだが、ノアールはどうやらあまり歓迎していないようだ。まあそれならそれで私はノアールと一緒に入れるから嬉しいけれど。
「でも、ノアの魔法の力があったから私は助かったんだよね」
「…ぼく、無意識だったけど」
「それでも助けてくれたのはノアだよ。妖精は力を貸してくれるだけで、勝手に悪さをしたりはしないんだ」
ありがとう、ノア。
そういうとノアールは私の手を握っていない方の手を見つめる。
ノアールが指先に手を込めるとその周囲が少し冷えて、ころんと小さな雪玉が出来上がって、暖炉の熱ですぐにとけた。それを毛布で拭うとノアールは私の腕にうずまった。
「…そっか、上手く使えば、皆を守れるぐらい強くなれるかもなんだ」
「うん。…まだよくわかんないかもしれないし、私もよくわからないけど、きっと貴重な力だよ。ノアの宝物になるかもしれない。ゆっくり考えなね」
「うん…」
「…ちょっと、話してたら疲れたみたいだ。...でも......」
とろとろと落ちてくる瞼を逆らわずに落とす。ほとんど意識はまどろみに落ちて行ってしまって、最後に何か口に出したような気もするがよくわからなかった。
*
『…でも、ノアがとおくに行っちゃったら、すこしさびしいね……』
そう呟いてお姉ちゃんは再び眠りについた。お父さんとお母さんの色が混じった青緑色の瞳は怪我の疲れですこし虚ろに見えたから、早く回復してくれるといいけれど。
それにしてもお姉ちゃんはいつも元気だし、起きるのも寝るのも一緒だからこうして静かに眠るお姉ちゃんを見るのは新鮮だった。
お父さん譲りの銀色の髪とお母さん譲りの真っ白な肌はお揃いで、隠れてしまった瞳はすこしだけ違うけど、でもそれもお揃いってことにする。
僕たちは紛れもなく姉弟で、ずっと一緒にいるのが当たり前だった。けれどお姉ちゃんが魔獣に食いちぎられそうになった光景が脳裏から離れない。僕たちがどれだけ一緒にいたくても、繋いだ手は容易く引き裂かれてしまう。
「僕も、お姉ちゃんと離れるのは寂しいや…」
だから、まだ決められない。けれどもしお姉ちゃんを、お父さんとお母さんを守れるぐらい強くなれるなら。そんな風に考えながら、僕も丸まって瞼を閉じた。