表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/7

七年前:ノアールの過去 2

少し改訂しました

冬の山は静かだ。

年を越して寒さも深まり、森の動物たちは殆ど春を待って眠りについてしまった。雪が積もって音を吸ってしまうせいでもある。それでもやはり活動している動物はいるし、生きている限り何かしらの痕跡を残すものだ。今日の狙いはここ最近麓で見かけるようになった丸々太った鹿である。鹿が残した痕跡を追って行動圏を絞り、気配を消して耳を澄ましていればやがて油断して姿を現すので、弓を引き絞る。なるべく一撃で、苦しまないように。

一条の弓が牡鹿の首を貫く。牡鹿はビクンと動きを止めて、ゆっくりとその体を雪の上に横たえた。


「良い腕だ。将来は弓の名手かな?」


「それほどでもあるけど、父さんには敵わないよ」


ザクザクと後ろから雪を踏みしめて父さんが覗き込んできた。その手にはウサギやイタチの小動物が抱えられていて、あの牡鹿も含めればいい稼ぎになるだろうと思われる。それにしても父さんとノアールに貰ったコートと手袋が面目躍如の大活躍である。いつもよりずっと暖かくて、弓が随分引きやすかった。

腰に下げたナイフで、まだぴくぴくと痙攣している牡鹿にとどめを刺し、父さんと二人で祈りを捧げてから父さんが弓を引き抜いて血抜きを始める。まだ暖かい血が湯気を立てて、雪に赤く染み広がっていく。父の狩りに着いていくようになって何度も見た光景だが、なんだか今年の冬はいつにも増して目が離せない。多分、今気がかりなことのせいだ。


──この世界には魔法が存在する。これは建国神話の話になるが、我が国の魔法使いというのは建国の時代に光の神から力を与えられた聖女と十人の騎士に由来する。

彼らは建国後聖女を王に据え、聖女の血を分けた最も優秀な三人の騎士の血統を王族公爵とし、残りの七人には功績に応じて爵位を与えた。これがリーベンタール神聖王国の貴族階級の基礎であり、そこから派生したり新たに爵位を与えられたりして拡大していったものが現在の貴族社会である。

魔法を使えるのは基本的に聖女や十人の騎士の血を継ぐものだけで、必然的に魔法使いは血の濃い伯爵位以上の貴族に現れることが多い。

だが人間が繁殖する以上、血とは交わり広がっていくものである。嫁入り婿入り、廃嫡に不倫に火遊び諸々の事情で、王族や貴族の血は意外と各地に点々と蒔かれ紡がれていっている。故に稀ではあるが、隠し子だったり先祖返りだったりで平民からも魔法使いが生まれることがある。


ただし魔法が現れるのには、もう一つ条件があるのだ。

それは妖精に好かれること。

妖精というのは神々の指であり、流転する自然の担い手である。魔法使いは妖精に手助けをしてもらうことで、初めて人智を超えた力を操れるようになるのだ。好かれ具合が魔法の強弱に影響したりもするらしい。

しかし妖精は命を尊び慈しむものではあるものの、基本的に気がひかれなければ生命の運命には干渉しない。そこで貴族には王都の大聖堂の、神の御膝下である妖精の泉で洗礼を受ける義務を設け、妖精に好かれやすく(というかマッチング)しているのだが、平民にその機会が回ってくることはまず無いため益々平民から魔法使いというのは現れにくい。

それでも栄えていて人口が多いこの国では、毎年平民からも何人か魔法使いが現れるようだった。王都には貴族の子女や騎士、学者志望の青少年に加えて、そのような魔法が現れた平民も幅広く受け入れて教育する機関があるそうだが、ゲームの中でノアールはそんな平民出身の魔法使いの一人だった。

貴族の隠し子だったというのは考えにくいので、恐らくノアールは先祖返りを起こしている。

冬の妖精は冷気と死を司り、森で凍えていく命に寄り添って、待ち侘びた春の訪れを共に待ってくれる慈悲深い存在だ。冬の始まりに家族を失い、深い絶望と死の香りに纏われたノアールは冬の妖精には可愛そうで堪らなかったのだろう。ゲームのノア・フランドールは若くして魔法を使いこなす優秀な騎士だった。


だが私が生きる世界ではノアールは家族を失わず、死に囚われることもなかった。今も家で母さんと並んで手仕事をしているだろう。今のノアールに妖精が付け入る隙などない。

私はノアールが妖精に好かれなくてもいいと思う。ノアールは家仕事が好きな優しく穏やかな気性だ。ノアール自身が魔法に憧れ、王都で騎士になることを望むのではあれば話は別だが、今のところそんな話を聞いたことはない。今のまま静穏にこの街で暮らすのが一番だと思うのだけれど、どうにもノアールが魔法に目覚めるような気がしてならないのだ。明確な根拠はないけれど、ノアールの過去がストーリー通りにならなかっただけでそれ以外は記憶通りの出来事が起こっている。例えばこの世界には抑止力のようなものが存在していて、形は変われど大筋は乙女ゲームのストーリーに添うようになっているとか、ありそうな話である。

もし、ノアールがストーリーとは別の形で魔法に目覚めるとしたら、何かしらの形でノアールの周囲に冬の妖精が好みそうな死の気配が忍び寄るということだ。


(いらない心配ならいいけど)


ぐるぐる考えているといつの間にか父さんは血抜き処理を終えていて、足で血に染まった辺りに雪を被せていた。そうして父さんが持っていた小動物は私が抱えて、父さんは鹿を担いで山を下りる。今年は少し寒さが厳しくて、冬の匂いを嗅ごうとして息を吸い込むと鼻の奥がツンとして涙がにじんだ。ゴシゴシと目元を擦っているといつの間にか父さんとの距離が離れていて、追いつこうと少しだけ駆け足で急いだ時、ずるりと体が傾いた。


「…っあ」


雪庇だ。崖からせり出した雪庇の上を歩いていたことに気づかなかった。声を上げて父さんが振り向くけれど間に合わない。私はそのまま崩れた雪と一緒に崖を転がり落ちていく。


「~~~~~~ッ!っぶわ!」


ぼすん、と音を立てて勢いが止まった。雪がクッションになったようで衝撃はそれほど強くない。けれど、落ちる時に崖の岩肌にぶつけてしまったようで足首がじくじくと痛んだ。見事にひっくり返った体をよいせっと起こすと、高い崖の上から父さんが覗き込んでいる。


「フラーン!!平気か!?怪我は!」


「足首ちょっと痛めちゃったけど、大丈夫!」


そうはいってもさすがにこの崖を上るのはすこししんどそうである。素直にそう伝えると、父さんは気が休まらない様子で立ち上がった。


「仲間を呼んですぐにそっちまでいくから目印を立ててから雪に穴を掘って隠れていなさい!獣に見つかってはいけないよ!」


そういって崖の上から姿を消した父さんを見送ってから、言いつけ通り大きめの枝を突き立てて雪穴を掘る。どうにも具合が悪い足を引きずって穴にこもると、どうやら冬の妖精がきまぐれを起こしたようで空はみるみるうちに雲に包まれてやがて雪が降り始めた。

雪がしんしんと降り積もる光景は嫌いではないけど、太陽も隠れてしまった薄暗い山中で不自由な足を抱えて眺めるにはすこし心細い。不安な気持ちも相まって、時間の流れが遅く感じる。父さんはまだちんちくりんの私を狩人として信頼して連れてきてくれているのに、大変な迷惑をかけてしまった。じくじくと不安で痛むお腹を抱えて縮こまって、はっとした。


(これ、ノアールの魔法が目覚めるきっかけになったりしないよな?)


穴の外でひときわ強い風が吹く。雪の妖精の笑い声が聞こえた気がした。






「もう絶対そうだぁ…ごめんノア…だめなお姉ちゃんでごめぇん!」



みるみるうちに風は強まって外はすっかり吹雪である。

幸い雪穴は丈夫で風はしのげているがこれでは目印が見えたものではないし、父さんも探すにも探せないだろう。今は平気だ。ポケットに軽い保存食は入っているし、コートと手袋のおかげで酷く寒いわけでもない。けれど吹雪というのは意外と長く続いたりする。このまま日が落ちてしまったら大変だ。探すのも困難になるし、何より夜は獣の時間である。鼻が利いて素早い狼なんかに見つかったらきっと私なんてぺろりだ。それに山道を外れた場所では偶に魔獣が出たりする。魔獣は普通の獣よりずっと凶暴で、大人が5人がかりで倒すようなやつだ。ちょっとべそをかきそうである。私が死んでしまったら両親はもちろん優しいノアールはきっとひどく気に病んでしまう。なんとしてでも私はノアールのもとに帰らなければいけない。とにかく息を潜めて、夜を越すことも見越して体力を消耗しないようにしよう。

そういえば、寝物語に母さんが吹雪は妖精が宴を開いて歌って踊っているのだと聞かせてくれたことがある。その時は楽しそうだと笑ったが、生命の危機に瀕している今となってはなんて呑気なんだと呆れてしまう。コートについたフードを目深にかぶって、早く吹雪が止まないものかとじっと外を眺めた。









ふ、と意識が浮上する。

どうやら縮こまっているうちに眠ってしまっていたらしく、吹雪で半分ほど入り口が埋まってしまった穴の外はすっかり夜の帳が落ちている。吹雪はどうやら止んだようで、あれだけごうごうと踊り狂っていた妖精はどこへやら、すっかり静かになって空には月まで浮かんでいる。積もった雪に月明かりが反射して辺りは薄ら明るかった。アオーンとほど近い場所で獣の鳴き声が聞こえる。朝になったら山の奥に帰るだろうか。下手に出歩かず、朝までじっとして朝日が上ったら入り口を掘りかえして目印を立て直そう。

しかし流石に夜になると寒さが肌を刺すようである。吹雪で思いのほか体温が奪われてしまったらしい。体の動きが鈍く感じる。カチカチと歯の根が落ち着かないのを抑え込んで寝るべきか寝ないべきか悩んでいると、静かな森にさくさくと、雪を踏みしめるような音が響いた。


(…狼?でも、四つ足は足音を立てないし…熊にしては軽い。…まさか魔獣じゃないよな)


入り口をほんの少し掘り返して周囲を伺うと、カンテラの明かりが揺れているのが見えた。人だ、そう思って手を振ると、カンテラの影はすぐさま気付いて駆け寄ってくる。それにしてもやけに影の背が低いが、もしかして。

ボスン、と小さな人影は穴の前で足をつっかけて雪に飛び込んだ。フードからのぞいた髪の毛は、雪のように煌めく銀髪だ。


「ノア!?」


「…お姉ちゃん……!」


むくりと起き上がったノアールは寒いのか泣きそうなのか、恐らく両方のせいで鼻頭を真っ赤にしてくしゃくしゃに顔を歪めている。もうしゃくりあげてまともに言葉を紡げないでいるノアールを穴の中に引きずり込んで宥めてやると、少しだけ落ち着きはするもののしがみ付いて離れない。トントンと背中を叩きながら顔を覗き込む。


「ノア、どうして一人でここまできたんだ。父さんはどうしたの」


「…夜になってもお父さんもお姉ちゃんも帰ってこなくて、雪は吹雪始めるし、帰ってきたと思ったらお父さんだけで、お姉ちゃんが崖に落ちたって言ってそのまますぐに引き返していっちゃうし。ほんとはダメだって言われたけど、なんでかわかんないけど、お姉ちゃんが死んじゃうかもってずっと胸がどきどきしてた。雪がうるさいんだ。…喋ってるみたいで。かわいそうっていうんだよ。かわいそうに、かわいそうにって。…それで、我慢できなくて、内緒で探しに来た」


ぎゅ、とノアールはきつく目をつぶって、よほど不安だったようでより一層強くしがみ付いてくる。ノアールは妖精の声を聞き取れるようだった。もしかしたら、生まれつき好かれやすい性質なのかもしれない。

言いつけを破って私を探しに来てしまうような弟が可愛いのが正直な気持ちだ。そもそもそんな心配させたのは私だし。それでも、ここはちょっぴり心を鬼にするべきだろう。


「…ノア、母さんや父さんに黙って山に来たりしたら駄目だ。ノアが思っているよりも夜の山はずっと怖いところなんだ。もし私が見つからなくて迷子になっちゃったらどうするの?きっとノアなんか獣に襲われたら一口でぱくんだ。そうしたら、私は悲しくて家に帰れなくなっちゃうよ」


「…ぅ、ごめん、なさい」


「もう二度と一人で夜の山に来たりしないって約束できる?」


「うん」


ぽろぽろ、と遂にノアールの涙は決壊して頬を転がり落ちる。溶け出しそうに潤んだ目元をごしごしコートの袖でこすって、力いっぱい抱きしめた。


「…ごめんね、ノア。私がいっぱい心配させちゃった。怖かったよね、ごめんね」


ふるふる、とノアは首を無言で振る。腕の中にいる暖かさにホッとして、私もノアールの被りっぱなしのフードに顔を押し付けてあふれた涙を誤魔化した。









嘘のような晴天である。

朝日が白銀の山をキラキラと照らしている。きっともう獣も巣へ帰ったころだろう。多少引きずってはいるものの、足も痛みが引いて動けなくはなさそうである。これなら二人でも山を下れるだろうと雪穴を抜け出して、ノアールと手をつないで雪道を歩く。あれからもう雪は降らなかったから、そのまま残っているノアールの足跡を辿った。


「お父さん、怒るかなあ」


「母さんも怒るよ。でも二人だから怖くないでしょ?」


「そうかも」


そんな風に話しながら歩いていれば、朝日に霞んだ向こう側に何人かの人影が見えた。きっと父さんたちだ、そう思って、次の瞬間私はびくりと硬直する。

───()()()()()

咄嗟に私はノアールを突き飛ばした。瞬く間もなく巨大な質量に押し倒されて私は雪の上に転がる。ぶつんとわき腹から皮膚が裂ける音が聞こえる。見れば獣の牙が食い込んで、コートの毛皮をたやすく貫通していた。歯茎はむき出して、毛皮が黒々としている、目は真っ赤に染まってギョロギョロと動きまわる。その狼は普通の狼よりも何倍も大きかった。

魔獣だ。


マズルを抑え込んでギリギリのところで押し返しているが、長く持ちそうにない。ぶつん、と皮膚が千切れてボタボタと血が滴り落ちる。雪を鮮血が染め上げて場違いに鹿の血抜きを思い出した。


「ノ、ア…逃げ...!」


「…あ」


魔獣は私の胸を前足で押さえて一層肉を食いちぎろうと力を籠める。ぶちぶちと肉が裂ける嫌な音が聞こえる。

痛い、熱い、痛い痛い熱い!

余りの痛みに視界が朦朧とする。血は更にあふれ出している。

駄目だノア、見るな。早く父さんたちのところに走って。

見ちゃだめだ、ノア、可愛いノア、お前にこんな光景を見てほしくない。


「ノア…!」


視界の端でエメラルドが輝いたのが見えた。



一瞬、凍えるような冷気が空間を走った。

食い進んでいた牙がぴたりと止まる。

恐る恐る伺えば、魔獣は眼を見開いて固まっている。軽い力で押し返すと粉雪のようになって崩れ落ちた。

ノアールは目を見開いて座り込んだ。傍まで駆け寄ってきていた父さんたちもしばらく呆然としていたが、私の脇腹からドクドク血が溢れているのに気づいてすぐに手当てをしてくれた。止血が終わると父さんは私を背負って山を下りた。

急ぎ足で雪をかき分けながら父さんは静かに呟く。


「ノアは、魔法使いなんだな」


ノアールは何が何だか分かってない様子で、街に着くまでずっと私の手を握っていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ノアくん覚醒…! 銀髪っていうのがまたいい! [一言] フランちゃん怪我大丈夫!?
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ