第三話
「ただね、お祭りが終わるまで、自分の名前を言わない事。それと此処のものは食べちゃだめ。これだけは守ってほしい」
古事記に登場する 伊邪那岐命と伊邪那美命の話。「あの世のものを食べると、この世に戻れなくなる」というもの。例え生きたままあの世に行けても、黄泉のものを食べればそのまま黄泉の国の住人にされてしまう。そんな話がある。
まあ、このお祭りは黄泉の入り口とかじゃないから、物を食べても帰られなくなる、なんてことは起きないんだけどね。
この縁日はただの幻想で、ただ見せているだけに過ぎない。空気を口に含むのと一緒で、匂いも味も食感ですら感じることはない。只々見せているだけに過ぎないから。
両手を合わせて少女の前につきだす。
「えー」
少女の口がひん曲がった。微かに肩を震わせながら。
不服だろうが我慢しておくれ。
「お兄さんいくつ」
「十七歳」
答えた途端、先ほどにも増して怪訝そうな顔をした。老けて見えるのかと落胆するが、この格好が緊張を解いたのか、少女の方の震えはいつの間にか止んでいた。
「君は?」
「教えない」
プイッと顔を逸らされる。
「ええー」
「とりあえず回ろうか」
年相応のふにゃふにゃした手を取る。なれないのだろう下駄姿で小さい歩幅ながらも駆け足になっていた。
「ほらあそこに輪投げとか・・・」
右方向から金切り声が響く。
声の元へ振り向くと、射的屋の前で一人の少年が泣きわめいているのが見えた。台の上には丸坊主の少年が、泣き声に見向きもせずに的を狙っている。
「あーあーどうしたのぉー」
「あの子順番やぶったのぉー」
二つ結びの少女が、りんご飴片手に指を指す。
「もー一回五発だけでしょ。まだしてない子に代わりなさい」
息を切らしながら先端を片手で奪う。
「うるせー、弱っちいくせにっ」
か細い足先がみぞおちに入る。いきなり来た圧迫感が腹痛となり露見した。
「痛った」
おもちゃの銃と共に、膝が地に着いた。
「ねえ君さ、この文字見えないの」
先ほどまで暴れていた少女が割って入った。そして机に張り付けてある見出し『1かい5はつまで』の文字を指さした。
「もしかして字ぃよめねぇのかー」
坊主頭の子の傍でりんご飴を齧っている、猫のお面を被った男の子が言い放つ。つられるように周りの子が笑い声をあげる。それに乗せられて坊主頭の男の子は怒りをあらわにした。
「はぁーくっそぉー」
怒り狂ったその子は、弾を置いてあった皿を握り、少女に向かって投げおろした。慌てて少女の頭上に裾を下し、抱きかかえる体勢になった。右腕に軽い重みが降りかかる。
「だめだよ。物を投げちゃ」
皿が音を立てて落ちる。それを皮切りに賑わっていた参道が静かになる。
男の子の表情が険しさを帯びた。
「危ないでしょ。当たるとこだったんだよっ」
腕の中でもぞもぞと少女が動く。
おとなしくなった境内は、徐々に騒音を取り戻した。それに続くようにして、周りの子らは坊主頭の子を非難した。言い返せなくなったのかその子は、顔を真っ赤にして台を飛び降りた。
「なよなよ星人うるっせー」
「えっ、あっちょっと」
屋台の前を居座っていた坊主頭の子は、飛び跳ねるようにして奥の方へ消えていった。取り巻きなのか、個性のあるシャツを着た少年二人がその子に続いた。それはさながらガキ大将のようで。
両手を添え、裾からひょっと顔を出した。
「あんなのほっとこうよ」
「うん・・・」
「あんなの一人に構わないほうがいいよ」
守ったはずの少女に励まされ、格好がつかない。