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2話

「お嬢、申し訳ありませんっすけどお暇いただいてもいーっすか?」


 今までにない真剣な表情で、翼は言った。

 凛は何を言われているのかわからず、小首を傾げた。


「暇、って……なに?」

「あーっと、ちょっと今日一日だけ出かけたいっていうか……なんつーか……」

「……好きにすれば」


 そう言うと、凛はふいと顔を背け踵を返し自室へと戻っていった。

 彼女の後姿を見つめながら、翼は大きなため息をつく。

 世話役となって二ヶ月ほど経ったが、凛のすべてを理解できているかと言われれば答えは否、だ。

 彼女の行動の端々に感情が見え始めているのは確かな事実。

 それは、共に生活している翼が一番わかっていること。

 凛の好物を出せば、前髪で目が見えず表情一つ変わらなくても喜んでいることはわかる。

 どこか雰囲気が明るくなるし、彼女の発する言葉にだって喜びが浮かぶ。

 そういう部分は、感じ取れるようにはなった。

 しかし、やはりまだ凛のことを読み取る力は弱い。

 今だって暇をもらえないか、と打診したはいいが、凛は止めるでもなく承諾するでもないふわっとした答えを投げてきた。

 その答えの奥に潜む、本当の答えは見えないでいた。


「参ったっすねぇ……」


 首筋を撫でながら、どうするかと悩む。

 ぶっちゃけ、暇が欲しいわけではなかった。

 ほしいわけではないが、屋敷にいたくもないのだ。

 むしろ、好きにすればなんていう言葉よりもっと掘り下げてきてくれれば、こちらとしてもあの手この手で屋敷を空ける算段がつくというのに。

 これでは、承諾ももらえない上に止められてもいない一番最悪な状態だ。

 けれど、早くしないと…………


キィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!


 外ですさまじい音がする。

 タイヤがもの凄い勢いで擦れる音だ。

 その音を聞き、翼は両手で顔を覆った。

 終わった。時間切れ。タイムアップ。

 脱出できなかった。

 翼が打ちひしがれているなんてお構いなしに、インターフォンが鳴り響く。

 それが一回ではなく、連続で鳴り響くのだから感傷に浸っている場合ではない。

 悲しみは次第に怒りへと変化し、苛々しながら玄関へと向かう。

 怒りに任せて扉を開けば、そこには見たくもない男女が楽し気に立っていた。


「なんだ、お前の出迎えか。僕はお前に会いに来たわけではないんだが」

「…………開口一番、嫌味っすか」

「事実だろう」


 腕組みをして言い放つのは、向峯家長男にして翼を金で買った男――向峯龍牙さきみねりゅうが――である。

 黒の短髪に凛々しい同色の瞳。若草色の着物を着こなしている。

 傍から見れば、その筋の人だ。

 翼はげんなりした顔を浮かべ、龍牙の後ろに控えている女へも視線を向ける。

 そこにいるのは、気が強そうな風貌をした金髪の女だった。

 ぴしっとしたスーツに身を包み、静かに立っている。

 龍牙の側近である西城雪乃さいじょうゆきの

 代々向峯家に仕えている西城家の長女であり次期跡取りである。

 武道に長けており、その身一つで龍牙を守っている。


「…………さっき、嫌な音が外からしたんすけど」

「ああ、車をかっ飛ばしてきたからな。どこにもぶつけてないから、安心してくれ」

「いや安心とかじゃなくて……」


 翼が反論しようとしたと同時に、龍牙の後ろから目に見えぬ速さで何かが飛んでくる。

 それは顔スレスレで止まった。

 恐る恐る目の前で停止しているものの先を見れば、雪乃が鋭い瞳を向けていた。

 その視線だけで人が殺せそうだ。本人には死んでも言えないが。


「坊ちゃんが大丈夫だとおっしゃっているんだ。貴様は黙っていろ」

「…………うっす」

「まったく……その腹の立つ口調は治らないのか。お嬢様に悪影響だ」

「あんたの素行の悪さのほうが……」


 ぽろっと言ったのが悪かった。

 気が付けば床とお友達になっていた。左頬も痛い。

 黒のヒールを鳴らしながら雪乃が近づき、翼を見下しながら言う。


「なんか言ったか?」

「………………言ってねぇっす」

「ふん。とっととお嬢様のもとへ案内しろ。いつまで坊ちゃんをここに立たせておくつもりだ」


 あまりの威圧感に、翼は何も言えなかった。

 ゆっくりと立ち上がると、殴られた頬を押さえ再度げんなりした顔を浮かべる。


「こっちっす」


 翼が歩き出すと、二人も彼の後に続いて屋敷へと入った。

 龍牙はきょろきょろと屋敷内を見渡しながら、時々考えるような仕草をする。

 それに気づき、翼は言った。


「……なんか気にかかることでも?」

「ん、いや……手入れが行き届いているのはいいんだが、いまいちぱっとしないなと思ってな」

「はあ……そうっすかね」


 そう言われ、翼も歩きながら屋敷の中を見渡す。

 内装はどれも翼が連れてこられてから一度も手を付けていないため、龍牙が用意したままになっている。

 豪華なシャンデリアも、床を覆うカーペットも。家具もすべて龍牙が用意したものだ。

 こちらが勝手に手を加えるのはどうかと思い、今まで何も考えずにいたが……

 凛の好みもあるだろうし、と思っていた。


「花でも生けたらどうだい? 凛も花が好きだから」

「そうなんすか?」

「…………なんだ。凛とそう言う話はしないのか?」

「いやしないっつーか、話してくれないっつーか」

「は? 話してくれない? 凛がか?」


 龍牙は目を見開いて驚く。

 その反応に、翼も驚いた。


「え、話してくれんすか?」

「当たり前だろう! 僕はあの子のお兄ちゃんだぞ!? そうかそうか。お前にはまだ話してくれないのか」


 もの凄く嬉しそうな顔をしている。

 腕を組み、大きく首を頷かせ、とても満足そうだ。

 後ろにいる雪乃も当然だと言わんばかりに頷いている。

 なんだこいつら。

 そう思っている翼を余所に、龍牙は言った。


「そんな二ヶ月ぽっきりの関係で心を開かれては僕の立場がないからな。僕には心を開いてくれているに決まっているんだ」

「おっしゃる通りでございます、坊ちゃま」

「やはり兄という立場は早々崩れんな! いやあ、参った参った! お前に負けるわけないと思ってはいたがな!」

「その通りでございます。坊ちゃまのお心はお嬢様にしっかりと届いております」


 ぐっと胸元で拳を握り力説する雪乃と、あっぱれといった雰囲気で喜んでいる龍牙。

 愉快かこいつら。

 若干苛つく。

 しばらくすると、白い扉の前へとたどり着く。


「お嬢! お嬢にお客様っす!」


 言うと、ゆっくりと扉が開く。

 が、開くと同時に龍牙が飛び出し強引に扉を開けた。

 勝手に開いたことに茫然とする凛を、龍牙はぎゅーっと抱きしめた。

 抱きしめたというか、本当に絞めているんじゃないかと思う。


「りいいいいいいいいいいいいいいん! 僕の姫君プリンセス! 我が愛しの妹よおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 抱きしめ叫ぶ声に、凛ははっとする。

 見慣れた若草色の着物。聞き覚えのある声。そして、温もり。

 最後に感じたのは、ずっと昔のように思う。


「兄、様……?」


 か細く消え入りそうな声音を、龍牙は聞き逃さなかった。

 凛の両肩へと手をやり、顔が見えるように距離を取る。

 未だに真っ赤な瞳は前髪に隠れているが、その姿は二ヶ月前の凛とまったく変わっていない。

 そのことに、酷く安堵する。

 驚きと、怯えが入り混じった凛の表情すら変わっていないのだ。

 安堵と共に、胸が締め付けられる。

 この顔をするようになったのは、自分のせいだ。

 この顔をさせているのは、自分のせいだ。

 無意識に肩を掴む手が震えてしまう。

 それに気づかれないように、龍牙はいつもと変わらない表情を浮かべて見せる。


「元気そうでなによりだよ、凛。変わりはないかい?」

「え、と……なん、で兄様が……」

「大切な妹の身を案じて、様子を見に来ることは兄の務めだよ。僕が強引にここに追いやっていると言っても過言ではないのだから」

「様子、見に……」


 その言葉に、凛の顔色が悪くなる。

 気づいた翼が咄嗟に龍牙から凛を引き離す。

 龍牙は少しむっとするも、凛の顔色の悪さに気付き、眉根を曲げた。


「坊ちゃん」

「ああ、わかっている……様子を見にきたことは、本当だよ。ただ、僕個人としてだ。本家あっちは関係ないよ」


 それでも、凛の顔色は変わらず身体も少し震えていた。

 落ち着かせるように翼が背を撫でる。

 その光景に、龍牙は手を握りしめ踵を返した。


「…………驚かせて、すまなかった」


 言うと、その場を後にする。


「凛お嬢様を頼んだぞ」


 慌てて雪乃も龍牙を追った。

 翼はただ、二人が去っていくのを見ているだけしかできずにいた。



















 車中では、無言で外を眺める龍牙とその様子を気にしていた雪乃で何とも言えない雰囲気が出来上がっていた。

 凛が負った傷は、そんな二ヶ月ぽっちで消えるような傷ではない。

 そんなこと、重々承知でわかっていたはずなのに。

 傍観者であった自分にすら、恐怖を覚えていた。


「くそっ……」


 そう吐き出すように言う龍牙に、雪乃は何も言えなかった。

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