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1話

 ずっとわかっていた。

 愛されてなんていない。

 可愛がられてなんていない。

 自分を映す瞳はいつだって。

 妬みと。恨みと。憎しみしか映っていなかった。

 そこに自分は映っていなかった。

 いつしか誰とも会わなくなって。

 屋敷にいる誰とも会わなく……いや、会えなくなった。

 父親も。母親も。姉も。

 自分を拒むように追い払う使用人たちは……少し苦しげだったけれど。

 それでも、誰もが口を揃えて言った。


“申し訳ございません”


 それが、答えだと思った。

 だから、諦めたのだ。

 信じることを。疑わないことを。

 いつかは見てくれる。

 いつかはその瞳に映してくれる。

 いつかは――











「…………ん」


 自然と目が覚めた。

 ぼーっと天井を見つめる。

 いつもと変わらない天井。

 だだっ広くて、あの屋敷にいたときとは大違いだ。

 彼女――向峯凛さきみねりん――は向峯家の令嬢である。

 世界有数の資産家である向峯家の名は誰もが知るほど有名だった。

 向峯と手を組めば一生安泰、とさえ言われている。

 それほどの財力と権力を持つうえ、娘と息子が才色兼備、そして文武両道であることでも知られていた。

 長女は何をやらせてもプロ級の腕を持ち、その名を轟かせている。

 長男もまた、頭の回転が速く頭脳明晰なため、その知力を使い向峯家を支えていた。

 ただ、凛だけは違ったのだ。

 彼女だけは、その才がなかった。

 長男も長女も抜きんでているものがある。

 だから、同じように凛も期待されていたのだ。

 けれど。

 だけれど。

 凛には、その才がなかった。

 それからである。

 彼女がないがしろにされ始めたのは。

 最初の変化は母親だった。

 包み込むような優しく温かい笑顔を浮かべていたのに、いつしかその笑顔が消え去った。

 代わりに浮かぶのは、酷く醜いものを見るような表情。

 幼かった凛は、虫の居所が悪いのだと思っていたが、長いことそんな態度をされれば嫌でも気づく。


『ああ、お母さまの自分に対する関心が消えたんだ』


 次に変わったのは、姉だった。

 自分のことをまるでゴミでも見るようなその瞳が、凛はとても苦手で嫌いだった。

 そして、その嫌悪は表立って凛を襲った。

 空き部屋に閉じ込められたり、お気に入りのものを壊され捨てられ。

 好きだと思った男の子を取られもした。

 その時、悟ったのだ。


『この人は妹が幸せになることが嫌なんだ』


 最後の砦であった父親でさえ、あっさり凛を見捨てた。

 それからだった。屋敷内での凛への対応が一変したのは。

 使用人の誰もが彼女を避け、食事も一人だけ部屋で摂るよう言われた。

 家族なのに。血の繋がった者同士のはずなのに。

 まるで、その場にいないかのように扱われる。

 そんな環境にいれば、誰だって心を殺して生きるようになる。

 いつしか凛は、前髪を伸ばし視界を塞ぐようになった。

 自分を見下す視線が、つらかったから。

 生きていてはいけないと言われているみたいで、つらかったから。

 感情を殺し、心を殺し、他人の目が見えないように自分を隠した。

 けれど、そんな凛を助けたのは……兄だった。

 父、母、姉が妹を虐げていても、彼だけは加担しなかった。

 ただ、見ていただけだったのだ。

 妹がぞんざいに扱われている様を。

 いない者のように扱われている様を。

 関わることなく、ただ傍観していただけ。

 この人もまた、自分には興味もなにもないんだと思っていた凛だったが、彼の口から出た言葉に前髪で隠れた瞳が大きく見開かれる。


『ここを出よう』


 そう言うやいなや、あれよあれよとまるでずっと前から準備していたかのように行動を起こした。

 呆気に取られている凛の腕を掴み、馬車へと押し込む。

 何が何だかわからない彼女を見つめて、彼は言った。


『お前のことは僕が守るよ。屋敷の使用人たちにはすでに口封じをしてある。あいつらには適当なことを言っておくから。向こうに着いたら迎えが立っているはずだからね。いいかい、お前はもう自由なんだよ。それだけは忘れないでくれ』


 口早に言うと、扉を閉める。

 それを合図に馬車が走り出した。

 覚えているのは……ここまで。

 次に目を覚ませば――


「お嬢、朝っすよおおおおおおおおおおおおお! 起きてくだせぇええええええええええええ!」


 耳障りな喧しい執事がいた。

 執事らしからぬ金髪に、蒼い瞳。

 耳にはピアスが開けられているし、見た目からして執事のしの字もない様相だ。

 それでも、ぴしっと執事服を着ているのだから目を疑う。

 勢いよくカーテンを開けると、眩しいほどの日差しが凛を照らした。

 銀糸の綺麗な長髪に、真っ赤な深紅の瞳が眩しそうに細められている。

 執事はにかっと笑って言う。


「お嬢、もう朝メシ出来てるんで。早く起きてくださいよ!」

「…………うるさ」


 あの時、屋敷に着いて迎えに来た人物はこの男だった。

 その時も同じ格好で、変わらずにかっと笑って凛を出迎えた。


『初めまして、お嬢! 柊翼ひいらぎつばさと申しまっす☆』


 宇宙人かなにかかと思い、茫然としたことを覚えている。

 うぇいうぇい☆とか言いながら凛へと手を差し出し、躊躇う彼女をお構いなしに馬車から引きずり下ろした。

 見たことのない屋敷へとされるがままに連れられ、どうしてここにいるのかを事細かに聞かされたことは記憶に新しい。

 兄が向峯家から凛を守るために、遠く離れた場所に屋敷を構えたこと。

 翼は兄から大量の金をもらって凛の世話役として執事になったと言う。

 彼曰く“先立つ物は金っす! 羽振り良かったんで、つい受けっちゃったんすよ!”だそうだ。

 大丈夫かこいつ、と内心不安しかなかったが、翼の仕事ぶりは目を見張るものだった。

 毎朝決まった時間に凛を起こし、だだっ広い屋敷を端から端まで掃除し、庭の整備までこなす。

 そして今もまた、彼のルーティンである凛を起こすという仕事をこなしていた。


「今日はお嬢の好きなフレンチトーストっすよ! アイスとメープルシロップつきっす!」

「起きる」


 朝メニューを聞けば、凛はがばっと布団から飛び起きる。

 フリルのついたふわふわの可愛らしい寝間着は、凛の可愛さを引き出していた。

 ちなみにこの寝間着は彼女の兄からのプレゼントである。趣味が露呈されている。

 ふらふらと歩きながら広間へとたどり着く。

 席につくと、翼は作り立てのフレンチトーストを凛の目の前へと置いた。

 未だに前髪で隠れている深紅の瞳は感情を表すことはない。

 それでも、彼女の行動の端々に見える喜怒哀楽に翼は気付いていた。


「さ、お召し上がりください」

「……いただきます」


 ナイフとフォークを持ち、トーストを切りぱくぱくと口の中へと運んでいく。

 その姿に、翼は笑みをこぼした。

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