第6話_初めてのマジックゲーム
「アグロー!!」
その声が聞こえてから後の記憶は存在しなかった。次にある意識は今現在。
滝の内側にいるところからだ。コナーが放った火の球が自分目掛けて勢いよく飛んできた後に聞き覚えのある声が何かを叫んでいた。その後はまるで電源を落とされたコンピューターかのように記憶が止まっている。なぜ自分が滝の内側にいるのか。なぜ今、前の前にレイがいるのか。理解ができなかった。
「アスカちゃん大丈夫? コナーってば、ちょっとひどいよね?仮にもアスカちゃんはヒロインな訳で...」
「・・・レイ?」
「ん?どうしたの?」
「どうして私、レイと一緒にいるの?」
「まさかミニゲーム中に記憶喪失?アスカちゃんがコナーにボコボコにされてたから僕が助けてあげたんだよ?覚えてない?」
そう言われ最後に聞こえた声を脳内で再生してみるとそれは間違いなくレイのものだった。
最後に聞こえた叫び声はレイが発動した魔法だったのだと理解した。途切れた記憶を推測で補っていく。 滝のふもとまで追い詰められた自分をレイがかくまってくれ今現在に至るのだろう。
ここにいるのは2人だけ。自分を攻撃しない人物と遭遇したは数年ぶりのような気さえしてしまう。
その安堵からか両の目からはポロポロとしょっぱい粒が零れ落ちた。そして、恐怖の支配から解放された心は怒りと不満で満ちあふれていたのだ。
「人間に向かって火の球を打ち放つなんて、人間のすることじゃない!!」
「そうそう、ちょっと制服を取られたくらいでね。懐の小さい男だよね、まったく。」
「いや...あれは、もはや男でもない!!」
「...っぷ!そうだよね、ましてやヒロインにする行いじゃあないよね?」
「その通り!!!これは、天誅が必要よ!女子を痛めつけた男が受ける天誅!」
「いいね!そのいき!マジックゲームは攻めが肝心なゲームだからね、逃げることよりも戦う意欲の方が大事!大事!」
レイの煽りを受けて怒りの炎はその火力を増していく。記憶の中で再生されるコナーからの逃亡戦はストレス以外のなにものでもなかった。ズボンに対する計り知れない執着心は人を攻撃する理由にはならない。このまま黙って引き下がるわけにはいかない。自分の中で燃え上げる闘志を実行に移す決心を固める。
「レイ!どうすればこのミニゲームに勝つことができるの?」
その言葉にレイは満足げに口角を上げ、目を細めてほほ笑んだ。
「さっき、カロン先輩も言っていたけどこのゲームは守備よりも攻撃が要のゲームなんだ。」
「もちろん、守備も大切なんだけど...。よく言う攻撃は最大の防御ってやつかな。 このゲームはいかに相手の得点的を射抜けるかが勝敗を分けるんだ。」
得点的というキーワードでゲーム前のカロンの言葉を思い出す。
----- 「アスカは、この魔法を使って相手の的を射抜きまくれ。」 ------
「デハリール...?」 |
「おお!それそれ!覚えてるじゃん!デハリールは的を粉砕する時に使う魔法ね。」
「このフィールドには各チームの得点的が隠されているんだ。ベガは赤、デネブは緑の的がね。的は不定期に消えては現れ、消えては現れをゲーム中繰り返すから、敵の的を見つけたらできるだけ早く壊した方がいいよ。時間が経つと消えちゃうから。」
その説明で消える少し前の記憶が蘇る。滝に到着した直後。
コナーが現れる少し前に木の板が割れるようなパキーンっという音が鳴り響いたのを思い出したのだ。
「的は木の板なの?」
「そうそう、よく知ってるね。的はそんなにもろくはないけど、簡単な攻撃魔法がキチンとあたれば破壊できる。 その寮の的が破壊されることで敵陣にポイントが入る仕組みな訳。」
「へぇー」
レイの説明から各チームの得点的はこのフィールドの全面に散りばめられており出現と消失を随時繰り返しているという。つまり、一度見た的を後々射抜こうとしてもその後同じ場所にあるとは限らないのだ。マジックゲームは洞察力と判断力が重要になるゲームのようだ。
「いい? このゲームで大切なことは相手を恐れない気持ちだ。」
「同じフィールドにいる仲間を信じて、自分を信じで、積極的にゲームに参加していくんだよ?いい?」
レイに似つかわしくないそのセリフはなぜか不思議と不安な気持ちを安堵させてくれた。
臭いセリフを口にしたものだから可笑しくなってしまったのかもしれない。けれど、それは自分を勇気づけるためのものなのだと分かっていた。その気持ちを受け取ったとばかりに深く頷き返す。
「アグアパレッド!!!!」
ズドーンっと大きな音と共にうす暗い滝の内側に外光が勢いよく差し込んだ。
「俺たちは鬼ごっこをしているんじゃない...マジックゲームをしているんだよ?」
「こんなところに隠れて時間を潰すなんて辞退行為にも等しい...やる気ないなら俺のズボン返してよ」
そこにいたのは獲物を狩りに来たコナーだ。じりじりと距離を詰めるコナーにレイは不敵な笑みを見せて対抗する。その表情に恐怖など一切なく、むしろこの状況を楽しんでいるかのようにさえ思えた。
「これ以上の作戦会議はできないみたい。アスカちゃん、さっきの言葉を忘れないで。」
「君は自分が思っているよりも冷静で周りを観察することができる。そうでしょ?」
その意味深な言葉を放ったレイの目はどこかを見るように合図していた。コナーに気づかれぬようその方向を見やるとコナーの後ろには赤い得点的が現れているではないか。それは先ほどまで存在していなかったものだ。赤い的はベガ寮の得点的だそれを射抜けばデネブ寮のポイントとなる。
獲物をにらみつけたまま前進するコナーはそれに気が付いていないようだ。
的の存在を気付かれぬようポーカーフェイスを装うもいつそれが消えてしまわないか無意識のうちに的の生存を何度も確認してしまう。右に左に動くその目をコナーは見逃さなかった。
背後の異変を確認するため目線を斜め左下に移動させ、後ろを振り向こうとしたその時。
「アグアパレッド!」
レイが水の壁でコナーの視界を塞いだのだ。この行動でコナーの推測は確信へと変わる。
「っち、得点的か。アグア...」
「デハリール!!!」
コナーの呪文を遮るようにアスカが呪文を唱えると何ともきれいな木板の割れる音が鳴り響く。
パキーンっと鳴ったその音は壁に何度も跳ね返り、何度もこだまを繰り返した。そのうるさくも心地よいその音はアスカの心を身震いさせた。初めてマジックゲームで得点をもぎ取った瞬間だったのだ。
コナーの視界から水の壁が消えたその頃には見事に撃ち抜かれた赤い的の残骸が地面に散らばっていた。
その残骸を秒見つめたコナーはその視線をこちらに戻す。
「やるじゃん。もう、君には手加減なんていらないみたいだね。」
そういい放った直後、突如としてコナーが視界から消えたのだ。風のように跡形もなく消えてしまった。
静まり返った空気は張り詰め、それは怖さえ感じさせた。口に溜まった唾をごくりと飲み込み、右手の杖を強く握り直す。するとその直後、殺気だった気配を背後に感じ悪寒と共に視線を後ろへ向ければそこには杖を構えたコナーがいた。
「ゲームオーバーだよ。ヒューゴ!」
あまりの至近距離から放たれた火の球はまるで世界が止まってしまったかのようにゆっくりと飛行を開始した。よく見れば、ここにある全てがスローモーションになっていた。滞空しているコナーも。青ざめた顔でこちらに手を伸ばしているレイも。のけぞって転倒しそうな自分も。その中でゆっくりとゆっくりと重いまぶたを閉じた。その時。
-- 「いい? よく聞いて『レボーテ』だよ。」 ---
その記憶が脳裏で再生された時にはそれを口から発していた。
「レボーテ!!」
その言葉を口にすると枝先からはかまいたちの攻撃魔法とは比べ物にならない程の風が発生したではないか。まさに、それは台風だ。枝先から蜷局を巻き巨大な風を吹かすそれは滝の水をも飲みこみながら激しい渦を巻いていく。一瞬にして水を纏った暴風はコナー目掛けて放たれた。
「ぐっ!」
滝の水を取り込んで体格と威力を増強させたその風は、水龍の如く鋭い勢いをもってコナーをフィールドへと押しやった。コナーの苦い声が聞こえた直後、殺気立つ気配が消え去たもののその詳細を確認することはできなかった。なぜなら、コナーを吹き飛ばしたその風はアスカ自身をも吹き飛ばさんと吹き荒れていたからだ。あまりの勢いと水しぶきで両目を開けていることができない。
靴の中の全ての指を中敷きに向かって食いしばる。それは足の肉を痛めつける程だ。
数秒間にわたり吹き荒れたその風がピタリ停止した時には洞窟の中は水浸しとなっており気が付けば、うす暗いはずの滝の中に眩しすぎる程の太陽が差し込んでいた。
眩しい過ぎる太陽に薄っすらと開けた目はまつ毛越しに空中に浮かぶ人物を捉えていた。
「おいおい、一体何があったんだ!?お前たちは無事か!?」
逆光でその人物は真っ黒な影だったが、その声と口調でカロンだということが分かった。
「おやおや、君たち、びしょ濡れではないか。このままでは風邪を引いてしまうね。」
カロンの横にもう一人、赤いマントをヒラヒラとなびかせた黒い影がフィールドの奥からやってきた。
「これでは、もうゲームにならないね。この試合、ベガの勝ちのようだ。」
徐々に近づいてきた2つの影はやがて破壊された滝のゲートを潜りアスカ達の目の前へとやってきた。
カロンの隣にいた人物。それはソーンだった。ソーンは試合を中止しようというのだ。
ベガの得点的を必死の思いで1つ射抜き、いざこれからという時のゲームの中止の申出。そんな願いなど聞き入れる訳にはいかなかった。
「待って!どうして!?ゲーム時間はまだ残っているでしょ!?」
「おや?君はまだ戦う気力満々のようだね。」
「当たり前でしょ!」」
「...ふふっ、ゲームを楽しむのも結構だが残念ながら君はゲームオーバーだ。」
「君の足元を見てごらん。」
ソーンの指示で何の変哲もない自分の足元を観察してもゲームオーバーの理由がわからなかった。
現状を理解できないその不満は表情となって現れていたのだろう。ソーンとのやり取りにカロンが口を挟んで解説する。
「お前、ボードから落ちてるじゃねーか。」
そう言われ再び足元を見やれば2人の言う通り、足の裏はぴたりと地面にくっついていた。
ボードが外れた原因は先ほどの爆風とみて間違いない。だとするとあの場にいたレイは無事なのだろうか。後ろを振むくと肩をすくめたレイがその詳細を悟らせた。彼の両足も同様、地面に着地していたのだ。ことの重大さを理解したのもつかの間、頭の上から呆れたカロンの声が降ってくる。
「ったく、お前たちは何をやっているんだ。」
そのあきれ果てた視線はレイとアスカを交互に見やる。呆れてものが言えないとはまさに今のカロンを指すのだろう。その冷たい視線は全身水浸しの身体を 更に冷やしていく。その空気に耐えかねた口角は自分の意志とは無関係にその角度を上昇させる。これぞ、正しく苦笑い。
「ちょっと、何笑ってんの?あんな魔法で人のことぶっ飛ばしておいて」
そういったのはジャングルの中から現れたコナーだった。
当然、彼もびしょ濡れでジャングルに飛ばされたコナーは泥だらけの上、両足にはボードを着けていなかった。その変わり果てた姿を見るや否やソーンは心配を越えた笑い声を放ったのだ。
「おやおや、コナー!どうしたんだその身体は。」
「どうも、こうも、彼女に殺されかけたんですよ。」
「おや、なんと!」
そういったコナーはぎろりとこちらをにらみ倒し堰を切ったようにこれまでの不満をぶちまけ始めた。
「君、俺の所持品をすべてズタボロにしないと気が済まないわけ?」
「マジックゲームの、しかも、ミニゲーム如きであんな強力魔法を使うなんて...どうかしてるよ。」
コナーの瞳がぐるりと目の中を旋回しそれと同時に心底深いため息を漏らした。それもそのはず。
コナーが着ている学服は泥だらけ。さらに奪われた寮服までもが泥だらけになってしまったからだ。
やり場のない怒りを残り僅かな理性でどうにか押さえつけているコナーに対し、 この状況を楽しんでいるレイは火に油を注ぎ始めた。
「引力魔法を使うって、ちょっと僕もやりすぎだと思ったね。」
「ふぬっ!?」
「君たちはまだ、1年生なんだよ?しかも今日は新学期初日。それなのにこれでもかとばかりにすべての制服をことごとく痛めつけられれば怒りたくもなるよねぇ?」
「まったくだよ。制服だって何着も持っているわけじゃない。君、加減ってもんを覚えた方がいいんじゃない?」
「あー、わかる。女子って頭に血が上ると気が済むまで攻撃の手を緩めない時あるからね。」
「少し考えれば分かりそうなことでしょ?ちょっとは、冷静になって行動してよね。」
「分かるわー!それ!」
レイのほぼ脱線に近い慰めはそれでも効力があったようでコナーの怒りは徐々に鎮まっていく。
その物わかりの良さを愛しむかのようにソーンがコナーの肩に手を回した。
「何やら、色々あったようだが、デネブ寮の生き残りはカロンだけだ。このゲーム2対1では勝ち目なしだ。 よって今回はベガ寮の勝利とする!カロン、異存はないかい?」
「はぁ一つ。そうだな。俺一人がこのどでかいフィールドをちょこまか動いても 勝敗は見えている。今回はお前たちの勝ちだ。」
「ふふっ。対戦相手が悪かったんだよ。だけど......。」
何かを言いかけたソーンはアスカを見やり優しく微笑んだ。
にこりと微笑んだその目は笑うことなくアスカだけを見つめている。
「デネブ寮にも面白い逸材がいることがわかったよ。......そうだろ?」
そういったソーンは目を線にして笑ってみせた。その朗らかな笑顔の意味がこの時は解らなかったのだ。 こうして初めてのマジックボードは終了したのだった。
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遼に帰ってからは周囲の視線が痛かった。泥だらけでしかも、ベガ寮の男子服を身に纏っているのだ。身体に穴が開きそうな程 周囲の視線を感じるも、そんなこともお構いなしにカロンは約束通り個人部屋を案内してくれ、レイは預かっていた寮服を渡してくれた。
自分の部屋を見るや否その腰を下ろすことなくシャワールームへ直行した。時計は18の数字に向かい刻々と針を進めてる。シャワーを浴び終えると疲労と空腹で全身の脱力を感じつつ、気怠い腕を持ち上げてデネブの寮服へ袖を通した。 袖を通すとほのかに衣服のりの香りが鼻に抜け、その制服が新品であることを感じさせた。 もう一度その香りを確かめるように大きく鼻から息を吸い口から吐いた。
その深呼吸は今日1日の達成感を味合わせるものだった。深呼吸と同時に閉ざした目をゆっくり開ける。
開いた目に真っ先に写ったのは泥だらけのベガの寮服だった。
新入生に配布された制服とは思えない程、変わり果てたその姿は自分の着ている制服に罪悪感を与えた。 脱衣物のバスケットからコナーの制服を取り出してその表面に付着した泥を手で撫で払う。
「コナーも新品の制服を一番に着たかったよね...。」
あれだけ制服に対して執着を見せていたコナーだ。自分の寮服の最初に袖を通すのは、当たり前ながら、自分でありたかったに決まっている。ソーンの計らいとは言え今更ながらコナーに対する哀れみの気持ちが湧いてくる。そんな気持ちからか手で払いのけられる泥や砂はすべて手で払いのけた。それは、コナーに対する償いの代わりなのかもしれない。
夕焼けの西日が赤い遼服をより紅に染めていく。その時。
「えっ...まって、穴が開いてる......。」
土を払いのけたその先になんと親指大の穴が開いているではないか。
直径3センチにも満たない黒い穴は見る者の背筋を凍らせた。
「嘘でしょ、ねぇ......ねぇ!!嘘だと言ってよロイ先生ぇー!!」
シャワーを浴びたばかりの身体にはじわりじわりと冷たい汗が染み渡る。砂が残るその寮服を両腕に抱き抱えシャワールームを飛び出した。行先などわからない。けれど身体を動かさなければ恐怖で息が止まりそうだった。寮室を飛び出し、正面玄関の大階段を駆け下りる。食堂を通過し短距走のようなスピードで廊下を駆け抜けた。暗い廊下にオレンジの光が差し込んだ。ドボドボと吹き出す水の音に反応しそこを見やれば見知った顔がそこにいた。
「おお、寮服に着替えたんだな。なかなか、似合ってるじゃないか。」
そこにいたのはカロンだった。涙越し写ったカロンにはうまく焦点を合わすことができなかった。
瞳からその雫零れ落ちると、開けた視界に困惑したカロンの表情を確認することができた。
「なっ、なんだお前、泣いているのか?」
廊下を爆走してきた女子の涙など理解できるわけがないだろ。けれど今のカロンにはそれを宥めるしか手段がないのだ。
「どうした、なにがあった?まぁ、とりあえず座れ。」
そう言われ中庭のベンチへ腰を掛ける。両手に抱えていたベガの寮服に気が付いたのか大まかな原因を理解しつつもその詳細を確認すべく、カロンによる事情聴取が開始された。
「どうだ、座って少しは落ち着いたか?」
「はい...。」
「お前が泣いている原因はその服のせいか?」
上から目線のしゃべり方だがその口調は優しく、まるで言葉に心を撫でられているかのようにさえ感じた。その優しい問にこくりと頷くとカロンは両手から寮服を取り上げそれを自分の目の前に広げて隅々まで観察をし始めた。
「...確かに汚いが、それが泣くほどのことなのか?」
「......開けてしまったんです。穴を。」
その言葉でさっきよりも制服の隅々を凝視するとそのありかを発見したようだ。
「あぁ、これか。言われるまで気が付かなかったぞ。」
「どうしよう。カロン。それ、コナーのやつなのに。」
この世界でカロンは最上級生だ。だかしかし、今はそんなことに気を配れるほどの安寧など持ち合わせていなかった。
「お前は心配症だな。こんな穴1つに泣いてやるな。ここは魔法学園だぞ?」
「こんな穴も汚れも俺がきれいにしてやる。」
「インガス!」
その号令で穴が開いて泥だらけになっていた制服はものの見事に新品同様な代物へと早変わりしたのだ。 それは瞳の潤いを停止させるほどの衝撃であまりのあっけなさに開かれた下あごは元の位置へ戻ろうとしない。
「ほーら、どうだ? これでコナーも満足するんじゃないか?」
「すごい...こんなことができるの...?」
「俺を誰だと思ってるんだ? 三大寮の寮長カロン様だぞ?」
意地悪そうに言ったその言葉にもカロンの優しさを感じた。これがカロンの優しさなのだ。
不安と恐怖から解放された心には、温もりが包み込みほころんだほほはハニカムことを止めなかった。
「明日も授業はある。これがないと困っている奴がいるんじゃないか?」
「そうね、渡してこなくちゃ。カロン、ありがとう。」
くいっと口角を上げたカロンは早く行けとばかりに顎でその行き先を合図した。
それにこくりと頷きベガ寮へ向かって歩きだす。幸いベガ寮は寮の中でも正門に一番近い。
それ故、所属寮生以外も比較的行きやすい場所だ。とはいえPlow学園のばかデカい敷地を15分程は歩くことになる。ベガの所属生でない者の定めだ。コナーが寮にいることを願いながらその足をできるだけ早く進めることにした。
夕食時は傾き、日が地平線へ顔を隠そうとしていた時間へ差し掛かる。
ゼエゼエと息を切らしベガ寮へ向かいつづけること15分。日が落ちる手間で目的地に到着することができた。 談話室をノックしてしまうのが良いのか、食堂帰りのコナーを捕まえればよいのかその判断が付かず ベガ寮の中庭をゆっくりと徘徊すること数分。気が付けば足元に黄色に光る猫がすり寄っていることに気が付いた。
「うわぁ!猫!...ねこ?」
足元を八の字にクルクルと回るそれを抱きかかえるとそれはミーと一鳴きして見せた。
一見猫のようにも見えるが、よく見ると尻尾の先は炎のようにメラメラと光っておリ、それは耳も同様だ。猫にしては狐のような面持ちで、そのかわいくも不思議な生物を観察しているとそれを探す声が夕暮れの空気に響き渡る。
「ウリ!、おい、ウリ!」
その声はまるで隠れているペットを探す主人のようだ。その声を聞くや否や猫狐はメラメラと燃える耳を ピコピコと反応させ『ミュウ』と一鳴き訴えた。その訴えで彼の身体を地面に置くと夕日に向かって走り出す。その先は主人の元だ。
「こら、どこに行ってたんだ?」
「ミュウ!」
飼い主の心配を他所にすっとぼけた表情を続ける”ウリ”。そんな微笑ましい光景を眺めていると日没とともに飼い主の顔が暗い夜に映し出された。
「あれ、君なんでベガ寮にいるの?」
それは、この寮にやってきた目的でもある本人だった。
少し気まずさを感じながららも勇気を出して話しかける。
「えっと、さっきは制服を貸してくれありがとう。スカートだったし、コナーのズボンに助けられた。」
「貸したって言うか...正確には取られたんだけどね。まぁ、お役に立てたならよかったよ。」
少し拗ねたような諦めたような表情でウリを撫でるコナーにカロンが直したそれを差し出した。
「あの、これ、コナーの制服。」
新品同様の制服に目を丸くしながらもその表情はどこか嬉しいそうなものだった。ウリを片手に持ち替えて空いた手でそれを受け取った。
「...すごいね、......新品みたいだ。」
それは静かな賞賛だった。コナーが制服を見つめ優しくほほ笑んだのだ。その微笑は、今日のわだかまりを許してくれたかのようで安堵からかアスカは涙腺を緩むのを感じた。その粒が目から零れ落ちる前にコナーは寮に向かって歩き出す。
「ありがとう。これで明日、浮かずに授業が受けられそうだ。」
背中を向けたコナーの表情は見て取ることができなかったが、その顔は穏やかだったに違いない。
歩き出したコナーの肩からは抱きかかえられたウリがこちらに向かって顔を出している。
「ミー!」
「ウリ、またね!」
そんな彼らの後ろ姿を見送り、少し肌寒くも心地よい風を感じつつベガ寮を後にしたのだった。
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学校初の授業はロイ先生の魔法学だ。生で受けるロイの授業に高ぶる気持ちを押さえつつ、その教室に向かっていると静寂だった廊下は徐々に雑音を増していく。その雑音は近づく程に生徒の笑い声だということが判明した。だがしかし、何を見て笑っているのかキョロキョロと辺りを見回すもその正体を確認することはできなかった。教室の中へ入るまでは。
「おいおい、コナー!どうしちまったんだお前のズボン!スッゲー丈が短けーじゃねーかっ!」
どでかい声でケタケタと笑いながらそう言ったのはシェロだ。
背筋が凍るような単語が耳に入る。教室の入口から気配を消すように中にいるであろうコナーの姿を探すと彼は一番奥の窓側の席にいた。 頬杖をつきながらシェロを無視し、不機嫌そうな顔で外を眺めている。どうやらこちらにはまだ気が付いていないようだ。 何も見なかったことに、何も聞かなかったことに、穏便にこの魔法学の授業をやり過ごそうと腹に決めたその時。
「おい、アスカ!見てみろよ!コナーのズボン!スゲー変なんだんぜ!」
シェロが名前を呼んだ瞬間に、コナーは光の速さで入口目掛けて目を向けた。大きく見開かれたその目を今度はすっと細め、席を立ちあがってこちらに向かってくるではないか。その表情は怒りそのもの。
ブチ切れている鬼が徐々にその距離を詰めてくる。アスカはただ震える唇をぐっと噛みしめその時間を耐えるのだった。