75:CSVの謎
その時だった。
「ちぃーっす!!」
どこかで聞いたようなオジさんの声。
「お、何しにきやがった? テキトー刑事が」
そうは言いながらも嬉しそうな口調なのは交番長の小橋である。
「やかましいわ、左遷交番長」
「左遷じゃねぇよ。昇任配置だ、ボケ」
姿を表したのは和泉と同じ班の刑事、確か名前は友永、だ。そのすぐ後ろで和泉がこちらに向かって手を振っているが、周はシカトした。
友永はあまり手入れのされていない髪をかき回しながら、女子高生2人をマジマジと見つめ、
「お? 何だお前ら、そろそろ学校始まるだろうが。遅刻のペナルティは両手にバケツ……って、今時流行らねぇか。その制服は安井学園だな? あそこは規則が厳しいだろ」
「すごい、オジさん……どうして知ってるの?」
周も驚いた。
「そりゃお前、女子高生に関するデータは頭に全部、頭に入ってんだよ」
きゃー、と真帆は嬉しそうに笑う。
確か、以前に聞いたことがある。長年生活安全課少年係にいたと。
「何の用だよ? 青少年の補導なら、今は係じゃないだろうが」
「お前が俺達を呼んだんだろうが、小橋。ボケるにはまだ早いぞ」
中に入れ、と交番長は顎をしゃくる。
「君たちは早く学校へ行くこと、いいな?」
周が言うと真帆は笑って、
「【君たち】だってー!!」
うるさいな……。
周が顔をしかめた時、
「ねぇねぇ、お兄さん!! 名前なんて言うの?!」
けたたましい声で今度は誰に話しかけているのかと思ったら、真帆は和泉の袖を掴んでぴょんぴょん跳んでいる。
「私、真帆って言うの!! ねぇねぇ、REINやってる?!」
なんだこいつ。
「ひ・み・つ。じゃあね」
和泉は笑いながら友永に続いて奥に入って行く。
「ああもぅ……ねぇ、周なら知ってるでしょ? 彼の名前。教えてよ」
どうやら彼女は和泉に興味があるらしい。
「適当変人男」
彼を一言で表現するに実に相応しい。我ながら会心の出来だと思う。
「行こうよ、真帆」
葉月が友人の袖を引っ張る。
「あ、待って。君の連絡先……俺にも教えて」
周は彼女に声をかけた。
「えー? 周って、葉月がタイプなの?!」
「違う。そういうことじゃなくて……」
「この子、競争率高いんだからねっ?」
うるさい。
どうしてこう、女子高生って言うのはキャイキャイうるさいんだろう。この子だけかもしれないが。
「あ、それとね。さっきちょっと浮気しかけたけど、私の本命は周だからねっ?!」
「……はい?」
じゃーね、と真帆は葉月と共に交番を駆け出す。
頭痛がしてきた。
※※※※※※※※※
「……っていうことだ。ナベの野郎、懲りずに新しいサイトを運営してたみたいだ。サイトの正確な名前はわからんが、さっきの女子高生に聞いておけば良かったな……」
交番長の小橋は苦々しげに言う。
渡邊は過去にも、未成年に特化した出会い系サイトを運営していたらしい。そのことがバレてもう少しで逮捕にまで至るところだったが、証拠隠滅され、お釈迦になってしまったそうだ。
「……渡邊氏はCSVと呼ばれていた、間違いありませんね?」
和泉は興奮を抑え、努めて静かな声で問いかけた。
「ああ、何の略か知らんがな」
「そりゃあれだ、前に話を聞いた大学生の男が言ってただろ。ナベの野郎、チーフって呼ばれて偉そうにしてたって。チーフスーパーバイザーじゃねぇのか? 家電量販店とかコールセンターなんかにいる、監督的立場の人間がそういう役職で呼ばれることもある。サイトの管理人かつ、利用者を監視する……そう言う意味合いも込めてんじゃないか」
「CSV……たぶん、このことだ……」
まだ推測の域に過ぎないが。
殺害された女子大生、彼女が言い残した【CSV】とはきっと、本名を知らなかったから。彼女もまたサイトの利用者であり、渡邊の顔を知っていたのではないか。
もしかすると【CSV】と呼ばれている人間に刺された、そう伝えたかったのでは。
だとするとなぜ、彼女は渡邊に殺されなければならなかったのか。
このサイトを管理している奴の秘密を握ったか。
あるいは。
他に動機があるとしたら、どんな事情が考えられるだろう?
以前聞いた話を思い出す。
北署地域課の小野田と言う男は渡邊とつながっていた。
現北署長が組織的に売春組織を運営しているという噂についても。
被害者は何らかのきっかけでそのことを知り、公にしようとした。
そのために消された。
だとすると。小野田か北署長が、彼女の殺害を渡邊に依頼したとも考えられる。
そして渡邊はそのことで彼らを脅した。
ゆえに始末された……。
その罪をあの葛城陸と言う青年に押し付けようと画策し、遺体を放置した現場に彼を呼び出した。
リクは渡邊の管理する出会い系サイトでサクラとしてアルバイトしていた。
「……どうにかしてもう一度、葛城陸に話を聞く必要があるな……」
「おっ、またあのキャバクラ行くのか? だったら俺も行く」
友永が嬉しそうに言うが、
「残念ですが、どこかの保育園か公園で張り込みですよ」
確かあの子供は基町近辺に住んでいたはずだ。
「ねぇ、周君。あの子供……ほら、エビ太君だったっけ」
「瑛太だろ」
「あの子、どこの保育園に通ってるか知ってる?」
周はしばらく悩んでいたが、
「……確か、カバンに【ひかり】とかなんとか書いてあったような気がする……」
「それだけわかれば充分だよ、ありがとう」
和泉は交番を後にした。
※※※※※※※※※
これでよし、と。
郁美は部屋の隅にある観葉植物に水をやり、ブラインドカーテンを全部開けてから自席についた。いつもならこのタイミングで岩淵が部屋に入ってくる。
ところが、今日は様子が違う。
監察室長の聖は始業時間のきっちり5分前にやってくる。その彼が姿を見せた時点でもまだ、岩淵は姿を見せない。
郁美はスケジュールを確認した。今日は通常出勤のはずだが。
「……岩淵さんは?」
「今日はまだ、お見えになっていません」
室長は黙り込む。何か考えてこんでいるようだ。
「行きましょう」
「え、どこへ?」
答えはない。郁美はしかし、彼についていくことにした。
県警本部から外に出る。
彼は通りに出てタクシーを拾った。そして後部座席に落ち着いた時、
「……嫌な予感がします」
確かに。郁美も同感だ。それから目的地である岩淵の自宅に到着するまで、互いに無言でいた。
※※※※※※※※※
≪広島本部から……基町南口≫
無線機が出動命令を告げる。
自転車の盗難に遭ったという被害届を受理し、書類をまとめていた周はびくっとして手を止めた。
≪西白鳥町1丁目1番地コーポ西白鳥201号室。部屋の中から異臭がするとのこと。至急現場へ急行せよ≫
「うわぁ~……来たぞきたぞー」
チャラ男こと西浦が額に手を当ててのけぞる。
「何が来たんですか?」
「そりゃお前、あれだよ。孤独死ってやつ。部屋の中、1人きりで亡くなったまま、誰も気づかないで遺体が腐乱し始めた……とうとう臭いが外に漏れ始めたってやつだ」
「予断を持たせるな、西浦。周、行くぞ」
チャラ男に注意しておいて、桜井が周を手招きする。異臭がするとの通報があって考えられるケースは、孤独死の他に、テロの可能性も考えられる。住宅街だから孤独死だろう、という先入観を持って臨む訳にはいかない。
ただ、いずれにしても相当な覚悟がいる。
「もし西浦の言う通りなら、寒い季節でまだマシだったな。これが夏の暑い日だったら腐敗がドンドン進んで……」
自転車に跨りながら呟く指導部長を、周は恨みがましい眼で見つめてしまった。
「そんな顔をするな。念願かなって刑事なった暁には、変死体に次ぐ変死体を見る羽目になるんだからな」
そう言えば。病院で亡くなったケース以外はすべて、いったん事件性の有無を確認するために警察が臨場すると学んだ。そしてそれは刑事の基本的な仕事の1つだと。
交番の制服警官の役割と言えば。刑事達が到着するまでの間、現場を荒らされないよう保存すること、立ち入りを規制すること。
警察学校にいた頃、一度だけ解剖見学に参加したことがある。
その時は臭いに辟易したものの、遺体そのものを見るのは別にどうということもなかった。ただしそれは解剖用に【整えられた】遺体だったからかもしれない。




