72:都市伝説
「そうだ!! 監察にうつってからの皐月のことは何もご存じないですか?! 例えばその、上官とトラブルがあったとか……」
逢沢は首を横に振る。
「聖警部のことですか? 彼女とは行方がわからなくなる直前まで連絡をとったり、たまには会って話をすることもありましたが……どちらかと言うと、かなり尊敬している様子でしたね。いっそ羨ましいと思えるほどに」
「言い争っていた場面を見たっていう、話を聞いたことがあるんですが?」
知らなかった。彼女はどこからそう言う情報を入手したのだろう?
上村は思わず郁美の横顔を見つめた。
「詳しいことはわかりませんが、おそらく……彼女のことを止めようとしていたんだと思います」
「その、皐月が調査を進めていた件についてですか?」
「彼女は決断が遅いくせに、一度こうだと決めたら曲げないタイプですから……」
なるほど確かに。
これは上村の推測に過ぎないが。
父は姉と逢沢を結婚させたかった。そして彼もそれを望んでいた。
当時、働き始めていた姉はちょうどいろいろ忙しくしてた頃で、結婚か仕事かでさんざん悩んだ末に、仕事を選んだ。
そうして相手を待たせている間に、彼は別の女性と結婚してしまった。
「たぶん、聖警部ならいろいろ詳しいことを教えてくれるでしょう。もっとも……彼が皐月の行方を知っているかどうかは謎ですが」
【上村君に伝えてください。あなたのお父さんは県警が誇る立派な警察官だったと】
【お姉さんの件については必ず、折りを見てお話しします】
彼はそう言っていた。
今までずっと【I】および【H】は彼のことだと思っていたから、今さら複雑な気分だ。そうやって敵を作っておかなければ目標を達成することができないように考えていたから。
警察学校にいた頃、あまりの厳しさに何度もあきらめそうになった。
自分を突き動かすのはただ、父と姉の仇を探し出すこと。それだけを原動力にしていた。
それにしても。
先ほど、交番長が言っていた【県警に渦巻く闇】とはなんだろう?
「Iは逢沢さんのアイだったのね……」
郁美はため息交じりに呟く。
「となると、Hとは誰のことなのでしょうか? 聖警部ではないとすると」
2人は顔を見合わせた。
「そうよねぇ……は行の名字の人なんてそれこそ、たくさんいるだろうし……」
※※※※※※※※※
和泉が自席に戻ると、なぜかの友永ともう1人、知らないオジさんが待っていた。
「よぉ、ジュニア。休日出勤ご苦労さん」
2人とも至ってカジュアルな私服姿だったので、一瞬どこかの一般人が迷い込んできたのかと思った。
「……どちら様?」
友永は肩を竦める。
「だから言っただろ、制服着て来いって」
「非番の日にまで着たくない」
オジさん達は仲良さそうにじゃれ合っている。
「こいつは基町南口交番の小橋。俺の古い知り合いだ。お前、何度か会っただろ」
「周君の……?」
そう言われてみたらそんな気もする。
「今夜はデートなんだろ? 藤江の奴、朝のことでえらい凹んでたから、しっかり慰めてやってくれよ?」
朝のことって何だっけ。和泉は記憶を辿り、思い出した。
そうだ。渡邊義男の事件の重要参考人が、何を思ったか現場に落ちていたという証拠品を、周の元に持ちこんできたという件。
彼はそれを直属の上司ではなく、自分にまず報告してくれたのだった。
そのことを知った地域課長が彼をひどく叱責した。その言い分には一理あるが。
「……わざわざそんなことを伝えるためだけに、こんな所までおいでになった訳ではないですよね?」
小橋は近くにあった椅子に腰かけると、
「あいつ、確かに持ってるよな」
「周君ですか? 間違いありません」
「実はな……」
周の上官はつい先ほど、彼から連絡があったこと、彼が違法なサイトを利用して売春を行っている可能性のある女子高生2人と接触したことを話してくれた。しかも渡邊と関わりがあったらしいことも。
なるほど。つくづく持っている子だ、藤江周という子は。
それと同時に和泉は、なぜその話をわざわざ自分に持ってきてくれたのかと訝しく思った。
「……どうして、そのことをわざわざ僕に?」
すると小橋は言いにくそうに表情を歪める。
「あんたの方がよっぽど信頼できるからな」
「それは光栄ですが、何か他に理由があるのでは? というか、今度は小橋さんがあの濃い顔をした課長とやらに叱られるんじゃありませんか」
彼はキョロキョロと辺りを見回す。
「……まさか、防犯カメラとか録音機器なんて回ってないだろうな」
よほど【重い】内容の話があるのだろう。
「要するに、大きな声では言いにくい内容かつ、あなたの上司である地域課長には報せたくない……そういうことですね?」
小橋はうなすく。
「あくまで噂だし、都市伝説みたいなもんだが……俺は真実じゃないかと考えてることがあるんだ」
回りくどい、もったいぶった言い方をする。
「早く言えよ」と、友永。
うるさい、と文句を言ってから小橋は言った。
「渡邊のことじゃがの、ウチの誰かとつながっとるようなんよ」
和泉は頭の中でつい先ほど、聖から聞いた話と結びつけた。
「違っていたらすみませんが、まさか地域課の……あなたの上官である小野田課長のことでは?」
小橋はビックリした顔で後ずさる。
「な、な、なんで……?!」
「いやだって、今の話の流れからして、それしか考えられないじゃないですな」
そりゃそうだ、と友永も笑っている。
「小橋さん以外にも恐らく気づいた人がいるのでしょうね。監察官も既にその【情報】をキャッチしています」
なんだそうか、と彼は深く長い溜め息をつく。
「渡邊なんだが、あいつはかつてケチなただの客引きじゃった。黒服をやってたこともある。およそ似合わんかったけどな」
「なんでそんなに詳しいんです?」
と、問いかけておいて思いだした。「そう言えば長く保安課にいたって」
「ほうじゃ。あの男はどうせロクな死に方をせんじゃろうと思ってたけどな」
「ところで、渡邊と小野田に関係があると、小橋さんがつかんだきっかけは何ですか?」
小橋はため息混じりに答える。
「……基町南口交番へ配属になってから管内を警らで回っていた時だ。偶然、飲み屋から一緒に出てくる2人を見かけた」
「向こうが小橋さんに気づいた様子は?」
「なかったな。仮に俺が怪しいと思って声をかけたところで、返ってくる答えはだいたいわかる。あの人はかつて、生安……保安課にいた。渡邊の野郎は前にも似たような違法出会い系サイトを運営していて検挙されたことがある。実刑には至らなかったがな。その件で再度、内偵に入っていると言われたら俺も何も言えない」
そうだろう。
マル暴の刑事がヤクザと一緒にいたら即【癒着】と決めつけることができないのと同じだ。
「ただ……噂自体はだいぶ前からあったらしい。誰かが監察にチクったとも」
「監察が動いた気配は?」
「それどころか、噂を口にすることさえ禁止っていう……」
前の監察官は給料泥棒だったというし、事実だったとしても、なかなか物証となると難しい。
それにしても。
「なんですかそれ。警察の中の上級国民ならぬ、上級職員ですか?」
小橋は苦笑いをした。
「ま、今の北署長の子飼いだからな。小野田って奴は。あいつには……県警の7不思議、いや、開けてはならん秘密の扉としていろんな疑惑に包まれとるんよ。もっとも生安内だけで、他の部署にはあまり広がってないけどな」
「どんな内容なんです?」
「俺が保安課にいた時、未成年を使って組織的に売春をさせてる闇会社があるっていうネタがあった」
それ自体はよくある話だが、と彼は声を潜める。
「こっから先の話は確かじゃない、都市伝説みたいなもんだ。その売買組織の元締めが……今の北署長だっていうな」




